砂糖の及ぼす影響について
私は、兼業農家の生まれで、7人家族で育ちました。祖父母、父母、兄弟2人と私です。 父母は、外で働いていたので、平日、学校から帰ってくると家にいたのは祖父母でした。 つまり、18歳で家を出るまでの、とても重要な時間を祖父母と過ごすことが多かったのです。 祖父は温厚な人でいつもニコニコしていて、恵比寿さんのような人だと言う人もいました。 一方、祖母は、1本しんが通っていて、考え方がはっきりしていて、間違っていると思ったことには決して譲歩しない硬い石の、いえ固い意志の持ち主でした。 そんな鉄の女ならぬ「意志の女」祖母は、当時、祖父と一緒に、畑で野菜を作り、米作りのため田仕事、山仕事をしていました。 学校から帰ると、近所の友達と遊ぶこともありましたが、田や畑で、また納屋で仕事している祖父母のところに行き、傍で遊んだりすることもありました。当たり前のように、日常的にその光景を見て育ちました。 18歳までの多感な時期に一緒に過ごすことが多かったので、沢山の影響を受けたと思いますし、祖母には厳しくしつけられたと思います。 受験勉強で最も机についていたい時期にも、上げ膳据え膳は許してもらえませんでした。 そんな祖母の言葉の中で、最も心に残っていて忘れられない教えは、「米1粒でも無駄にすると目がつぶれる!」でした。 面白いこともひねって感動的なことも言わない生真面目で厳しい祖母らしい言葉です。 『「米」は、「八十八」の手間をかけて作る作物なので感謝して大切に食べよう。』とよく言われますね。 理屈は一切語らない祖母なので、米という字の成り立ちを私が知ったのは、ずっと後のことです。いえ、ひょっとしたら米という字の成り立ちを知っていたかどうかもわかりません。 祖母も、親や育ててくれた人に「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と言われてきたのかもしれません。 でも、ただ言われても何も感じなかったら、身体を通り抜けて行ってしまい、残らないと思いますがら、人に伝えることはないでしょう。 祖母は明治生まれ、今のように米作りが機械化されていない頃の米作りは、想像を超える大変さだっただろうと思います。 私には想像するしかなく、本当に実感することは不可能でしょう。 ただ、実家の納屋や農機具庫に残っていた昔の農機具(民族博物館とかにありそうなヤツです)を見ると稲刈りや脱穀も大変な手間だったのだなと感じますし、祖父母の所有していた昔の写真を見ると、農繁期が一大行事で、どんなに大変だっただろうかと思います。 昔、私の地方では、田植えの時期や稲刈りの時期には、近所の農家が順番に、総出で、それぞれの田の田植え、稲狩りをみんなで手伝ってやっていたそうです。 子供の頃、祖父母のアルバムで、母屋の前で、何十人もの人たちが並んで写っていいる集合写真を見て、なんだろうと思っていましたが、農繁期の手伝いに来てくれた人たちとの記念写真だったのです。 田んぼが多い農家にはちょっと遠いところからも手伝いの人が来て、結構な人数の人が集まって田植え、稲刈りをやるのです。来てもらった農家は、手伝いにきた大勢の人たちに食事を振る舞い、決して『腹の細い』思いをさせないよう、十分に食事を用意して提供しなければなりませんでした。 当時の農家の女性は本当に大変だったでしょう。祖母もそれをやってきたのです。もちろんお勝手も、何十人もの食事を一人ではできないですから近所の女性たちが集まって相互に助け合っていたのでしょう。 今は、田植え機も、稲刈り機も機械化され、近所の応援なくして各自でできるようになりました。「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」は、 祖父母の世代の人たちは、 本当に、本当の実感を持って 米や食物のありがたみがわかっていただろうということです。 安易にご飯を残して捨てることは、本当に罰当たりなことだったのです。 「食べ物を大切にしよう」よく言われる言葉ですがこの飽食の時代の私たちには、単なるスローガンのようなものになっているかもしれませんね。 ~祖父母が遺してくれたもの~祖父母はすでに他界してこの世界にはおりません。 「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と小さい頃に言われて、私は「はいわかりました、そうします」と簡単に大切にできる人間だったわけではありません。わかっていることと、できることは違います。 頭では理解していましたが、10代・20代の頃は、本当にはできていませんでした。 そのころは、甘いものが大好きで、ご飯の代わりに甘いものを食べていたのです。 わかっていても普通のご飯を食べる気になれなくて、一人暮らしの夕飯はチョコ!そんなめちゃくちゃな食生活をしていた20代後半、祖母が亡くなりました。 祖母と私は心理的な結びつきが強かったようです。祖母を亡くした喪失感は言葉には言い表せないほどで、毎晩、祖母が夢に現れました。 亡くなってからの、その1ヶ月以上、私は、ほどんど何も食べれない状態になってしまいました。 頭では食べなくては、何か口にしなければと思っても、あれほど食べたくて仕方なかった甘いものも、食欲がなくて何も食べることができなくなりました。 そして、祖母は仏教徒でしたから四十九日の法要をし、その後くらいだったと思います。 ようやく祖母を見送る心の準備ができてきて、少しずつ気持ちの整理がついてきたのだと思います。 食欲が少し戻ってきて、最初に食べたのは、甘いものではなく、普通のご飯でした。 一口、口に入れたとき、「あぁ、ご飯が美味しい」と思いました。美味しかった以上に、その時、「ご飯が食べれることがこんなにありがたいことだったなんて」と真に思いました。 その時の、食べることができた安堵の気持ちと食べる事への感謝の思いは、今でも忘れられません。 それ以来、夕食がわりにチョコやチューインガムを食べる生活は卒業しました。 砂糖をやめるのはまだずっと後のことですが、約10年ほど、めちゃくちゃな食生活だったところから抜け出して、ご飯が美味しく、楽しく、ありがたく食べれるようになりました。 祖母の死が、一種のショック療法になったということですが、 これも祖母の最後の贈り物、いえ、私に与えられた試練だったのでしょうか。 頑固一徹信念の人、祖母らしい荒療法を施して旅立って行きました。 そんな明治女の影響を受けていますので、まめでのキッチンでも、食べ物を粗末にするスタッフに厳しいです。 私たちは飽食の時代に育っていますから、入りたての新人スタッフの多くは、野菜や食材を無駄に切り刻んで、いとも簡単に捨てようとします。鍋肌にたくさん料理が残った状態で洗おうとするスタッフは、もれなく私に叱られます。 「それくらいいいでしょ、ケチ臭い店主だな」と内心思っているかもしれません笑今まで、ここまで詳しく背景は話していなかったですしね。 後日談: ブログに目を通したスタッフの姿勢が変わったのを感じます。 私に注意されるからじゃなくて、自発的に食材を大切にしてくれているように思います。 お読みくださってありがとうございます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ブログは、週刊メルマガをrewriteしています。 ブログには載らない呟きや記事もあります。 直接メルマガを受け取ってみませんか? メルマガは、maga.sugar-free@mamedeno1.com より配信しています(配信専用) 携帯メールの方は、受信できるよう設定をお願いいたします。 メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine
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先日、ランチライム中に、 揚げ油が跳ねて、火傷したんです。 右手の中指、薬指、小指。 揚げ油の中に、 食材からか、調理器具からかは、 わからないのですが 何か水気があったらしい。 手を近づけた時に、ちょうど 『ボワンッ!』と 油が大きくうねり跳ねて、 右手の3本の指にまともにぶっかかりました。 飲食店やってらっしゃる方は、 おそらく皆さんそうだと思いますけど、 指を怪我しても、火傷しても オーダーが入っている時は そのまま、調理続けるんですね。 (怪我は輪ゴムとかでぐるぐる巻きにして止血してビニール袋かぶせて食材を汚染しないようにしてやりますよ) さて、火傷は皆さんご存知のように、 すぐに冷やさないと、水膨れになったり 症状がひどくなりますよね。 でも右手なので、 作業を止めるわけにもいかず、 流水を2、3秒かけるくらいで、あとは保冷剤を引っ張り出してきて当てがうくらい。 されど、作業中の利き手なので、 これも5秒くらいだけあてる。 何しろ、お料理出すのが優先です。 注文とその次の注文の間に、 もう一回、流水数秒、保冷剤数秒くらい 当てて冷やしました。 そのまま仕事続けていて、気付いたら 1時間近く経っていたでしょうか。 14時にちょうどスタッフがやってきて、 ようやく自分の状況を省みる余裕ができました。 はたと気づいたら、小指あたりに 水膨れができていて痛みがある。 ヤバイ! と思ったけれど、 今度はウーバーイーツの注文が入り、 ゆっくり冷やしている暇はない。 どうしようかと考えた時に、 ふと、あることを思い出して、 サニーレタスの外葉、 お客様にはお出ししない部分の、 葉っぱを右手に巻き付けた。 冷蔵庫に入っていたし、いい感じにひんやりする。 この時の状況を、若いスタッフは、 「おかしなことやるなあ」と見ていたようだ。 後日、 「そんなのやってる人見たら、 この人、完全にいっちゃってると思うだろう」と いってましたから笑 で、火傷に話を戻しますと、 火傷に巻き付けたサニーレタスは、 完全に萎びてしなしな、 体温で熱くなったところで ありがとうさせていただいた。 そのあとは、火傷のことは 忘れてしまって、仕事を続けました。 そして 翌日、ふと、「そういえば火傷!」と、 思い出しました。 火傷の指を見ると、何と 水膨れはなかったのです。 どの指も正常で、痛みもなし。 びっくりするほど、何も異変なく、 水膨れも火傷の後もない。 痛みも違和感もないから つい火傷したこと忘れちゃったんでしょうね。 マクロビオッティックなどを学ばれた方は ご存知でしょうが、 火傷の時に葉物野菜で冷やすのは お手当てのひとつである。 座学で学んだが、今までやったことはなかった。 「机上の理論」とまでは言わないが、 まさか、ここまで効くとは思わなかった、 これまで、自然派のお手当は、 どちらかと言うと ゆっくり作用するもので、 即効性はないと思っていて、 対処療法である西洋医学の方が、 早く効くだろうと思っていた。 しかし、考えてみると、 仮に、できかけていた水膨れに 火傷用の軟膏を塗っても 一晩で治ったかどうかわからない。 そんなに早くは治らなかった のではないかと推測する。 そうやって考えると、 葉物野菜で火傷があっという間に 消滅してしまったことが あまりにもすごーい!!と思ったので ご紹介したくなり、ペンを取りました。 今、手元に、 大森一慧 先生の著書 「からだの自然治癒力を引きだす食事と手当て」 がありまして、 それによると、 「油がはねた、というような軽い火傷には 軽く塩を塗ってから青菜をのせクールダウン。 痛みが出てきたら青菜は取り替えます」 とのこと。 一慧先生、塩と青菜なんですね。 塩は、実は切り傷にも有効です。 「傷口に塩」って、悪い冗談だと 思う人もいるでしょうが、 塩は「締める」作用があるので 止血効果や患部を収縮させる(ふさぐ)作用があります。 殺菌効果も。 この本には、火傷に塩を使う理由は書いてありませんが、 おそらくそのような理由なのではないかと 私は思いました。 化膿したり、水膨れ(膨れる=広がる)のを 防ぐ目的ではないかと推測します。 「痛みが出たら、青菜を取り換える」 そう、だから私は、野菜(植物)は尊いと 思うのです。 ただ単に冷やすだけではなくて、 火傷の熱と一緒に、痛みや炎症持って行ってくれる ってことなんでしょうね。 植物は代わりに萎れてくれる、 優しきものたちです。 私の火傷も、痛みと水膨れを サニーレタスが持って行ってくれました。 ちなみに、東城百合子先生の著書 「自然療法」では、 「すぐ塩水につけること」とまずあって、 ビワの葉エキスにつけると痛みなく 早く傷も残さず治る」とある あとは、私も子供の頃からお世話になっていた アロエ。 それから石蕗(ツワブキ)を炙ってつけるのも 効果的だとか。 ツワブキって、身近に庭とかにある方は、 都会では少ないかもしれませんが、 アウトドアで火傷した時なんかに 野にあったら使える?!かな。 ビワの葉エキスは、自然食品店などに 売っていることがありますが、 自分で作れます。 私は自家製のビワの葉エキスを常備しています。 傷にはビワの葉エキスです。 今回はサニーレタスのおかげで出番はなかったですが。 いやあ、葉っぱ(植物)すごい!!と 思ったので、 火傷の話をちょっとだけ書くのつもりが、 書いちゃいましたね(汗 もちろん、重度の火傷には、 さらに別のお手当が必要なので、 全ての火傷に葉っぱ、ではありません。 お気をつけください。 ところで 冒頭に記したように、 火傷に葉っぱ貼るなんて、 『ちょっとおかしな人』 これが一般的な感覚なのだと この時、気づかされました。 「傷や疾患は薬や医療行為で 直すもの」→ 「薬や医療でしか治らない」 近年、私たちはこのように 刷り込まれてきましたからね。 かくゆう私も子供の頃、 風邪をひいた祖父が 喉にネギを貼り付けて 手拭いを巻いている (ネギ湿布?!というのでしょうかね) という姿を何度も目撃していて、 「おじいちゃん、そんなことしても治らないよ」 とそのたびに言っていたのを思い出しました。 当時、私は、体調不良は病院や薬でしか治らないと 思っていたのです。 ネギ湿布は、 一度も試したことはありませんが、 何度もやっていたということは、 ひょっとして効果があったのかも しれませんね。 いつかやってみよう笑 何はともあれ、私たちの糧として また代わりに萎びたり枯れたり その生命を差し出してくれる 植物たちにとても感謝しています。 植物は高貴な存在だと個人的には思っています。 あぁ、こういうこと書くから 変な人なんでしょうね(汗 最後までお読みくださって ありがとうございます。
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先日、時々来店される顔見知りのお客様が店でランチを召し上がった後、お帰りの際におっしゃった言葉があります。 「私、実は最初、ここのお料理が美味しいと思えなかったんです。 でもそれは、自分が化学調味料の味に慣れてしまっていたからだと気付きました」と。 美味しいと感じなかったにもかかわらず何度も来店してくださっていたなんて、なんとありがたいことか! ありがとございます!!! 確かに、化学調味料は、私たちの舌に絶大な影響を及ぼして旨いと感じさせます。それはとても強大です。私は、化学調味料が入ったものを食べると、3日ほど舌が痺れています。 また、以前実家で、醤油差しに入っていた醤油様の黒い液体を味見しようと数滴口にした途端、舌に突き刺すような痛みがはしり、「お母さーん!」 と思わず叫んでしまいました。 これは、父がどこかで貰ってきた市販の昆布風味のしょうゆという類の化学調味料入りの味付け醤油だったのです。 本来はそれくらい味覚に刺激を与えるものです。でも食べ続けていると、慣れて麻痺して、感じなくなります。 独身で一人暮らしをしていた頃、仕事が忙しくて、お昼をコンビニ弁当で済ませていた時期があります。 最初にコンビニ弁当を食べ始めた時は、「なんか嫌な味だな」とか「嫌な匂いだな」と思っていたのですが、数回利用するうちに嫌な感じも何もなくなって美味しいと感じるようになっていたのです。 その後、手作り弁当に戻していましたが、環境が変わって、久しぶりにまたコンビニ弁当を食べたら、やっぱり「嫌な味、匂い」がしました。 本当に、怖いことに、科学的な味で、舌が麻痺してより強い刺激じゃないと美味しいと感じなくなってしまうということです。 前述の、便利な市販の化学調味料入りの味付け醤油、たった数滴で、無数の針で舌を突かれたような激しい痛みを伴いました。 このように、化学調味料は、激しく舌を刺激し、そのうち麻痺させ、味覚を鈍化させてしまうものだということです。 あなたが今、もし化学調味料入りのものを日常的に召し上がっているなら、1週間から10日くらいそれらがない生活をして、その後に元の化学調味料入りに戻してみるとよくわかると思います。 ある方が、普段は市販の一般的な醤油を使っていたのですが、厳選した材料を使った天然醸造の醤油を目にし、さぞかし美味しいだろうと購入し、楽しみに家に帰って使ってみました。 すると 「ん・・・?思ったほど美味しいと思えない。」 「高いお金払って、残念だったな。」と思ったそうです。 そして、その醤油を使い切る頃、今までの醤油に戻しました。 そうしたら、なんということか、「すごく不味い!」と思ったそうです。 今まで、強い化学的な旨味に慣れて麻痺していたんでしょうね。 市販のお醤油は、早く大量に醸造するため、製造過程で、アミノ酸液など旨味になる成分を添加したり、甘味料・着色料や保存のためにアルコールを添加したりします。 醤油に何が添加されているかは、地域によってちょっとずつ違うように思います。 その地域の人たちの好みというか食文化に影響されるのでしょうね。 以前、島根県の出雲大社の近くの蕎麦屋さんで、お蕎麦を食べようとして、「砂糖が食べれないので、つゆではなくて醤油をください」と店員さんにお願いしたところ、一瞬、ん?という間があって、帰ってきた言葉は、 「え?お醤油には砂糖入っていますよね!」というものでした。 島根県が全てそうではありませんが、地域によって甘い醤油が好まれる地域があるのだと思いました。当店が使用している同じ島根県の奥出雲の井上醤油店さんは、大豆、小麦、塩という昔ながらのシンプルな原材料で作られています。奥出雲地域は、井上醤油店さん意外にも、森田醤油さんなど、昔ながらの製法で厳選した材料で作ったお醤油メーカーやお酒の醸造メーカーもあって、私にとっては好きな地域です。 私は乳は口にしませんが、牛乳やバターなど乳製品で質の良いものを作られている「木次乳業」さんのある木次町もこの近くです。 ここの製品は自然食品店に置いてありますのでご存知の方も多いのではないかと思います。 話を先ほどの醤油に戻しますと、私の生まれ育った地域では、残念ながら、現在、地域で流通している醤油は、アミノ酸、アルコールなどが添加された地元の醸造メーカーものです。 私が子供の頃に実家で使っていた地元の醤油メーカーさんは、残念ながら今はありませんが、井上醤油店さんと丸島醤油さんの間のようなお醤油だったような記憶があります。 (余談ですが、こうしてみると、私、けっこう醤油愛がありますね汗) さて本日は、さらに、 美味い→うまい→からの「旨い」について、ちょっと思ったことを記してみたいと思います。 まず先に、旨いの「旨味」というのは、西洋学的にいうと、グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸などだそうですが、グルタミン酸は、海藻や肉や魚、野菜、発酵食品など多くの食べ物に含まれています。イノシン酸は、主に肉や魚。グアニル酸は、干ししいたけなど、主にきのこ類に多く含まれているそうです。 しかし、どうもそれだけでは語れない、人間の旨いの認知、知覚があるように思います。 それは、先の出雲大社近くのお蕎麦屋さんの醤油に入っていたように砂糖の「甘み」=「旨み」という事実です。和食に砂糖など甘みが多様されているのは、それが「旨味として美味しい」と私たちが感じるからなのではないでしょうか。 肉や魚など動物性食品を食べない人たちは、玉ねぎや、ネギ、ニンニクなどで旨味を出して料理するのですが、中には、アジア圏を中心としたオリエンタルヴィーガンと言って、五葷(ごくん)抜きの方がいらしゃいます。五葷とは、ニンニク、ワケギ、ニラ、ネギ類(玉ねぎも)、ラッキョウなどで、どれも強い匂いを持っています。これらを食べないとする人たちは、五葷に含まれる旨味の代わりに、砂糖などの甘みを旨味成分として使って召し上がっているように思います。 五葷を食べないのは、仏教思想に基づく菜食の考え方の一種なのだそうで、精進料理にもこの五葷は使われていません。 ただし、動物性食品を使っていないからと精進料理ばかり食べていると結構な量の砂糖と添加物を撮ってしまうことになるかもしれません。肉魚、五葷は使っていないけど、砂糖は煮物や煮豆にたっぷり入っています。肉や魚に見立てた既製品の擬き食品の中には添加物や着色料がたくさん入ったものもあるので、店を選ぶ時は慎重に選ぶに越したことはないでしょう。 ここで誤解しないで頂きたいのは、五葷抜き自体を否定しているわけではないということです。 ヴィーガンなど植物性の物だけを食べている場合、自然の摂理として、これら匂いの強い五葷の野菜は必要なくなるということです。 なぜなら、これら匂いの強い五葷は、肉などの毒消しになるものだからです。 当店に、かつて、20年以上ヴィーガンというスタッフがいました。20年以上菜食なので、消化すべき肉の毒素がないので、何もしなくても体が自然に五葷を欲しないということなんです。だから逆に食べると体内のバランスが崩れてしまうということです。 私は、今は時々動物性を入れますが、それでも数日に1回なので、一般の方より少ないと思います。先日、韓国ドラマで、ワケギのキムチを食べているのをみて、作ってみたくて作ったのですが、生のわけぎに、塩をしてキムチ漬けにしたのですが、出来上がったキムチをそのまま食べると、やはり強すぎたようで、数日しんどい感じがしていました。その残りは、やはりたくさんは食べれず、炒め物や、汁など火を入れて、少しずつ使い切りました。わけぎキムチは、焼肉などたくさんお肉を食べる人向きのサイドメニューということでしょう。 20年ヴィーガンのスタッフがいた一方、別な時期には、ヴィーガン1、2年めのスタッフがいたこともあります。この2人の違いは、とても興味深かったです。同じように五葷を食べないように見えますが、一方は、自然に体が欲してないから食べないもう一方は、食べてはならないものだから食べないようにしている、なのです。20年ヴィーガンさんがよく口にしていたのは、「20年やってると、どうでも良くなる」でした。最初はどういう意味か、よくわかりませんでしたが、新米ヴィーガンさんと接してよくわかりました。20年ヴィーガンさんは、自然体で、体の声を聞いていただけなんだなあと感じました。新米さんは頭の理解(理論・理屈 )で、ああしなくては、こうしなくては、と行動していたように思いました。私の目には、新米さんは、体内に動物性毒が残っているのに、五葷はダメ!って、食べないようにしていたので、毒素がうまく抜けず、排毒して欲しくないところから排毒して、しんどそうに見えました。(私の目にはそう見えた、というだけですが) 話を旨味の代替え甘みに戻します。五葷抜きのオリエンタルヴィーガンさんでも、旨味を甘みに頼らず、ヴィーガンライフを送っていらっしゃる方もきっといらっしゃるのではないかと思います。 オリエンタルヴィーガンの店や既成食品を見る限りでは五葷の代わりに砂糖を多用しているなあと感じるだけです。 ですから、砂糖を控えたいならば、オリエンタルヴィーガンの店やヴィーガン食品を利用するときに、甘味の使用がご自身の許容範囲かどうか確認してからご利用をお決めになるとよいのではないでしょうか。 マクロビオティックカフェでも旨いの違いがありました。私が、かつて自然食に興味を持ち始めた頃、割と近場にあった2店の自然食カフェがとても印象的でした。2店のうち、私は、当時、一方の店の方が美味しいと思っていました。いえ、事実おいしかったですし、今はなき、このカフェを先輩店として今でも尊敬しています。もう一方も、素敵な器に盛り付けてあって、素敵でしたが、正直、何か物足りないような気がしていました。 この2店の決定的な違いは、私が自然食の勉強をさらに進めた時に気付きました。美味しいと思った方の店は、白砂糖こそ使っていなかったものの、味付けの一部に「甜菜糖」を使っていたのです。そしてもう一方は、今の当店のように、砂糖不使用の店でした(乳・卵も不使用。)つまり、自然食に慣れていなくて、まだ添加物入りの食材を食べていた身には「甘い」方の店が「旨い」と感じたということです。 その数年後、私は「もう一方」の砂糖不使用の店で修業させていただくことになりました。関心を持ち始めた頃には想像すらできなかったことでした。今はなき、この店での修業は、辛く厳しくかったですが、砂糖を使わない料理の実践をさせていただき、とても鍛えられました。 働かせていただき、とてもありがたかったです。 砂糖不使用は、先輩方が、礎を築いてくださったから、後に続けたのだと思います。これからも、砂糖なくても美味しくなるよう工夫、開発していきたいと思います。 お読みくださってありがとうございます。
私は、兼業農家の生まれで、7人家族で育ちました。祖父母、父母、弟2人と私です。 父母は、外で働いていたので、平日、学校から帰ってくると家にいたのは祖父母でした。 つまり、18歳で家を出るまでの、とても重要な時間を祖父母と過ごすことが多かったのです。 祖父は温厚な人でいつもニコニコしていて、恵比寿さんのような人だと言う人もいました。 一方、祖母は、1本しんが通っていて、考え方がはっきりしていて、間違っていると思ったことには決して譲歩しない硬い石の、いえ固い意志の持ち主でした。 そんな鉄の女ならぬ「意志の女」祖母は、当時、祖父と一緒に、畑で野菜を作り、米作りのため田仕事、山仕事をしていました。 学校から帰ると、近所の友達と遊ぶこともありましたが、田や畑で、また納屋で仕事している祖父母のところに行き、傍で遊んだりすることもありました。当たり前のように、日常的にその光景を見て育ちました。 18歳までの多感な時期に一緒に過ごすことが多かったので、沢山の影響を受けたと思いますし、祖母には厳しくしつけられたと思います。 受験勉強で最も机についていたい時期にも、上げ膳据え膳は許してもらえませんでした。 そんな祖母の言葉の中で、最も心に残っていて忘れられない教えは、「米1粒でも無駄にすると目がつぶれる!」でした。 面白いこともひねって感動的なことも言わない生真面目で厳しい祖母らしい言葉です。 『「米」は、「八十八」の手間をかけて作る作物なので感謝して大切に食べよう。』とよく言われますね。 理屈は一切語らない祖母なので、米という字の成り立ちを私が知ったのは、ずっと後のことです。いえ、ひょっとしたら米という字の成り立ちを知っていたかどうかもわかりません。 祖母も、親や育ててくれた人に「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と言われてきたのかもしれません。 でも、ただ言われても何も感じなかったら、身体を通り抜けて行ってしまい、残らないと思いますがら、人に伝えることはないでしょう。 祖母は明治生まれ、今のように米作りが機械化されていない頃の米作りは、想像を超える大変さだっただろうと思います。 私には想像するしかなく、本当に実感することは不可能でしょう。 ただ、実家の納屋や農機具庫に残っていた昔の農機具(民族博物館とかにありそうなヤツです)を見ると稲刈りや脱穀も大変な手間だったのだなと感じますし、祖父母の所有していた昔の写真を見ると、農繁期が一大行事で、どんなに大変だっただろうかと思います。 昔、私の地方では、田植えの時期や稲刈りの時期には、近所の農家が順番に、総出で、それぞれの田の田植え、稲狩りをみんなで手伝ってやっていたそうです。 子供の頃、祖父母のアルバムで、母屋の前で、何十人もの人たちが並んで写っていいる集合写真を見て、なんだろうと思っていましたが、農繁期の手伝いに来てくれた人たちとの記念写真だったのです。 田んぼが多い農家にはちょっと遠いところからも手伝いの人が来て、結構な人数の人が集まって田植え、稲刈りをやるのです。来てもらった農家は、手伝いにきた大勢の人たちに食事を振る舞い、決して『腹の細い』思いをさせないよう、十分に食事を用意して提供しなければなりませんでした。 いやぁ、同時の農家の女性は本当に大変だったでしょう。祖母もそれをやってきたのでしょう。もちろんお勝手も、この人数の食事を一人ではできないですから近所の女性たちが集まって相互に助け合っていたのでしょう。 今は、田植え機も、稲刈り機も機械化され、近所の応援なくして各自でできるようになりました。余談ですが、この相互に助け合う共同体は、今も残っていて、お葬式を自宅で行いますので、その際には、皆、仕事を切り上げて食事の支度や葬儀の準備にその家に行きます。この先は、それもなくなって行くのだろうと思いますが。 話を戻しますと、「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」は、祖父母の世代の人たちは、本当に、本当の実感を持って米や食物のありがたみがわかっていただろうということです。 安易にご飯を残して捨てることは、本当に罰当たりなことだったのです。 「食べ物を大切にしよう」よく言われる言葉ですがこの飽食の時代の私たちには、単なるスローガンのようなものになっているかもしれませんね。 ~祖父母が遺してくれたもの~祖父母はすでに他界してこの世界にはおりません。 「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と小さい頃に言われて、私は「はいそうします」と簡単に大切にできる人間になれたわけではありません。わかっていることと、できることは違うんです。 頭では理解していましたが、10代の頃、20代の頃、本当にはできていませんでした。 それは、甘いものを貪るように食べていた私のブラックな歴史が物語っています。(※1巻末参照) わかっていてもできなくて、一人暮らしの夕飯はチョコ!ちょっと罪悪感もありつつ暮らしていた20代後半祖母が亡くなりました。 祖母と私は心理的な結びつきが強かったようです。祖母を亡くした喪失感は言葉には言い表せないほどで、毎晩夢に見ること1ヶ月以上。 亡くなってからの、その1ヶ月以上、私は、ほどんど何も食べれない状態になってしまいました。 頭では食べなくては、何か口にしなければと思っても、あれほど、中毒で食べたくて仕方なかった甘いものも、食欲がなくて何も欲しくなくなりました。 そして、祖母は仏教徒でしたから四十九日の法要をし、その頃、ようやく少し気持ちの整理がついたのだと思います。 食欲が少し戻ってきて、最初に食べたのは、甘いものではなく、普通のご飯だったと思います。 一口、口に入れたとき、ご飯が美味しいと思い、美味しかった以上に、その時、「食べれることはなんてありがたいことか」と真に思いました。 こみ上げてきた感情と、食べる事ができたことへの感謝の思いは、今でも忘れられません。 それ以来、夕食がわりにチョコやチューインガムを食べる生活は卒業しました。 砂糖をやめるのはまだずっと後のことですが、約10年ほど、めちゃくちゃな食生活だったところから抜け出して、ご飯が美味しく、楽しく、ありがたく食べれるようになりました。 祖母の最後のプレゼント!なんて言ってしまえばかっこいいですが、まぁ、一種のショック療法になったということでしょう。 そんな明治女の影響を受けていますので、まめでのキッチンでも、食べ物を粗末にするスタッフに厳しいです。 お客様にお出しする以外の野菜くずや食材は、できる限り、賄いなどでいただくようにしています。鍋肌にたくさん料理が残った状態で洗おうとするスタッフは、もれなく私に叱られます。 「それくらいいいでしょ、ケチ臭いオーナーだな」と内心思っているかもしれません笑今まで、ここまで詳しく背景は話していなかったですしね。 ちなみに、タイトルの「がんこ」とはですね祖母の名前です。本当は『岩子』と書いて『いわこ』と読みます。本名です。女性に『岩』とつけるなんて子供心にすごい名前だなあと思っていました。名前の通り、がんこな岩のような人だと思っていました。(おばあちゃん、ごめんなさい)でも、言い方を変えれば、本当に『意志の人』でした。誰に認めてもらえなくても、誰にも分かってもらえなくても「天が見ていてくださる」と言っていたそうです。(私は子供だったので直接聞いたことはないですが母にはよくそう言っていたそうです) 実家の辺りでは、5月上旬が田植えシーズンです。土をおこした田んぼの匂いと、苗の匂いを思い出しながら、記してみました。 お読みくださってありがとうございます。 ※1 文中の”私のブラックな歴史が物語っています。”は、 以下にも記載があります。 https://mamedeno1.com/?p=375 https://mamedeno1.com/?p=537
seasonセンサー って、言葉を 勝手に私が作りました。 どう言ったらしっくりくるかなあと 考えた結果、 出てきた言葉です。 人間に体内時計があるなら、 同じような感じで、 季節ごとに どんな風に食べて暮らすか、 季節感を感じ取って 自然と口にしたくなるもの、 今季節には食べたくないなあと 思うものが わかるセンサーのようなものが あるんじゃないかな、という 話です。 人間が、狩猟していた時代が終わって、 土地に根づき、稲作を始めた頃から 季節に合わせて その時期に採取できるものを 食べ、何も採れない時期のために 保存食を編み出し、食べつなぐ、 そんな生活を私たちの祖先の方々は 長らくやってこられましたよね。 近代化し、工場生産の食べ物で 溢れる時代になる前は。 農耕民族だった私たちは、 自然と共存しながら 旬のものを食べ、 旬のものの幾らかを 味噌や漬物や保存食にして、 いました。 冬場の寒く食料の乏しい時期に、 保存食の少し強めの塩の入ったものを 食べるのは、体を温め、自然の摂理に かなっていたことだったと思います。 今みたいに、ナトリウムを沢山含有した肉を たくさん食べていた時代ではなかったですしね。 そんなご先祖さまたちは、 学問的にあーだこーだ言って 何かを食べてはいなかったと 思います。 親から子へと脈々と 受け継がれていたことでもあり、 自然がとても身近な時代だったので、 教わらなくても、 体内で、この季節にはこれが食べたいという センサーのようなものが働いていたんじゃないかと 私は思うのです。 これは、ご先祖さまだけではなくて、 現代でも、自然食をなさっている方は、 感覚が研ぎ澄まされていて、 seasonセンサーの感度が高いのではないかと 思うのです。 しかし、私たちの多くは、街中に住み、 街路樹や川縁の木々に注意を向ければ 多少の季節感はありますが、 気にしなければ、気温の変化くらいしか わからずに過ごしてしまします。 スーパーに買い物に行けば、 年中手に入る野菜も多く、 どの野菜が、いつが旬なのか、 ご存知ない方も、今とても多いように思います。 かくゆう私も、実家を離れて20年くらい マクロビオティックに出会うまでは 季節を忘れて過ごしていました。 もちろん、頭の理解で、季節はわかっています。 夏は暑いし冬は寒いし、スキー、スノーボードをやる アウトドアな一面もありますので、 雪山にも行っていたのですが、 seasonセンサーを働かせていなかったので 単なる季節なんですね。 言葉でどう説明していいのかわかりませんが。 センサーで感知しなければ わからないかもしれませんが、 ひょっとしたら、これは、 単なる外的な刺激を拾うのではなくて、 それを体に受けた時に、 どう感じるのか という内感と言うべきでしょうか、 内側で何を感じるか、 ということなんだと思います。 気温の変化を肌で感じた時に、 どんな感覚なのか、 また、 季節によって匂いが違います。 天候によっても匂いが違います。 台風の季節、 風が運んできた匂いでその台風の大きさに 驚き、体感として 自然に対して畏敬の念を 感じることもあります。 匂いだけではありません。 季節や天候によって、その場の 空気が違います。 これ、「空気読めない」の時に使うのと 多分同じ「空気」ですね、 その場にある エネルギー、パワーとも いうのでしょうか。 住む場所によって、季節を感じ易い、 感じにくいもありますが、 それ以上に、 私たちは、近年、 添加物たっぷり、人工甘味料、砂糖たっぷりの加工食品や、 生産性とコストカットのために化学的に生産された 調味料を食べることに慣れてしまい、 季節によって、これが食べたいとか 食べたくないとか、体調によって、 これは食べたくないとかの感受性が、 鈍化して失われてしまっているのでは ないでしょうか。 鈍化したものは簡単には回復しないかもしれません。 でも、「今、私はどんな感じかな?」と 注意を向けることと、 頭の理解でもいいので 「できるだけ旬のものを食べよう」 とするだけで、何か いつもと違った感覚があるかもしれません。 夏野菜は体を冷やす作用があります。 暑い季節には程よくとって、 暑気払いをしてくれるでしょう。 そんな夏野菜を冬に食べたら体がとても冷えるのですが それすら気付かない方も多いようです。 私は、春先にはよもぎが無性に食べたくなります。 冬の間に溜まった毒素を出そうとするのでしょう。 秋ぐちは、無花果の季節ですが、 私は無花果が子供の頃から大好きです。 名古屋では、秋に安城産の無花果が美味しそうに並んでいますが、 実は自分ではあまり食べません。 私の体質では、大きなあの無花果は1つ食べても 体の芯から指の先までものすごく冷えるのです。 火を入れてコンポートなどにすればそこまでではないでしょうし、 干し無花果は大丈夫です。 あくまでも私の体質の話で、無花果が悪いわけではないので 誤解のないように。 実家の無花果は、安城の無花果の三分の一くらいの大きさなので、 名古屋にきて、その大きさにとてもびっくりしました。 (余談です) なんだか話が脱線してきたので、この辺りにしようかと思います。 色々書きましたが、 何が言いたかったかと言いますと 要するに、 旬を知って旬のものを食べましょうよ! というシンプルな話です。 そうするうちに、seasonセンサーが うまく働くようになるのではないかなあという 私の仮説です。 seasonセンサーが働いた方がいいと思う理由は seasonセンサーが、体に負担をかけない食べ方に 導いてくれるのではないかと思うからです。 ということで、 当店まめでのでは、 季節外れなご注文は、 知らずしらすに お客様の体に負担をかけてしまいますので お断りする場合があります。 真冬にパイナップルなど南国のフルーツや 真夏にほっこり黒胡麻スイーツやホクホクしたさつまいもスイーツなど お断りすると思います。 お許しください。 (実際にあった例です) お読みくださってありがとうございます。
あれそれこれで出来ている!!という大切な話なのですが、 店舗で提供しているメニューに関する重要なお知らせが含まれております。 まめでのcafeにおけるメニューの件です。 オープン初期よりず〜っと、 定番的にありましたランチメニューの、 『車麩ランチ』を提供終了いたしました。 理由は、 車麩が小麦グルテンだからです。 車麩は、ビーガン、ベジタリアン、穀物菜食、マクロビオティックなどで お肉の変わりに満足感を持って食べることができる食材として、定番です。 しかし、当店には、小麦アレルギーの方や小麦で体調を崩される方がいらっしゃいます。 また、小麦が健康に与える影響など、広く知れ渡るようになり、 小麦を敬遠したいお客様が多くいらっしゃいます。 当店のスタッフの半数も、小麦をできれば避けたいと思っていまして、 賄いにも小麦を避けることが多くなってきました。 数年前から、このことは考えては、いたのですが、 敬遠する方がいる一方で、 車麩フライをお好きなお客様もいらっしゃるので、 メニューから外すのをためらっておりました。 しかし、このコロナ以降、 足が遠のいたお客様もおられ、 一方、新たなお客様もいらっしゃるなど お客様も変化してきました。 この機に、『車麩フライ』をメニューから外し、 『小麦粉』を使った料理をなくすことにいたしました。 しかしながら、現時点では いわゆる『グルテンフリー』の店というわけではありません。 お醤油はそのまま現在使っているものを使用するからです。 醤油を作るには麦芽を使います。 醤油は、奥出雲の井上醤油店さんの『古式醤油』を使っております。 丸大豆仕込み・天然醸造、原材料は(国産大豆・小麦・食塩)でして、 小麦アレルギーの方でもこの醤油は大丈夫な方も多くいらっしゃるようです。 しかし、グルテンフリーではありませんので、アレルギーの方は、 ご自身の体質・体調と相談してご自身で判断していただかなければなりません。 グルテンフリーとうたうには、 大豆醤油か、米醤油、雑穀醤油など、小麦を使わない醤油を使わなければなりませんが、 これらは、どうにもメインのお醤油に使うには、味があと一歩な感じがします。 ですから今は、醤油はこのように現行のものを使いますが、 この先、この醤油を使い続けることが難しい状況になるようでしたら、 将来、小麦不使用の醤油に変更する可能性もゼロではありません。 (今はお醤油の変更予定はありませんが) 当店まめでのは、開店当初は、 スイーツも小麦のケーキや焼き菓子のみで 米粉スイーツは1点も並べておりませんでした。 お客様の、米粉のロールケーキを作って欲しいという ご予約から始まって、米粉スイーツを時々作るようになり、 当店スイーツを、小麦アレルギーのお客さまがご利用されるようになり 次第に、小麦スイーツと米粉スイーツが、混在して並べてあると、 小麦アレルギーの方が、 間違ってお買い求めになったりすると怖いなあと思うようになり、 米粉スイーツを店頭に並べ始めて 一年経たないうちに米粉スイーツだけになりました。 ランチの方はこれに3〜4年ほど遅れましたが、 ついに小麦粉不使用になりました。 この状態は、 何を意味しているかと申しますと、 まめでのは、 お客様のご要望によって商品構成が変わってきたということです。 (もちろん、店としてのコンセプトの範疇でのことではありますが) 『あなたの体は、あなたが選んで食べたものでできています』よね。 そして 『まめでのは、お客様で出来ている』のです。 だからこうして変化してきました。 その、まめでのが 『砂糖不使用の店』としての情報発信を始めたのも お客様が、当店に求めているものとして 卵不使用や乳製品不使用を抜いて、 来店理由の中で、砂糖不使用が一番多かった項目だったからです。 こうして変化することは、まめでのだけではないはずです。 砂糖が及ぼす害は、多岐に渡り、私たちの体を蝕みます。 世の中の病気の半分は砂糖が関与していると言っても 過言ではない状況です。 多くの企業は、果糖ブドウ糖液糖などや砂糖などを多用しています。 これらの常習性、中毒性を利用して商品を売っています。 買う人がいるから企業は作り続けます。 そうなんです、 『世の中は、あなたの購買・消費行動でできている』のです。 だからより多くの人が 『砂糖が入っているもの、果糖ブドウ糖液糖など人工甘味料が入っているものは買わない』 という購買・消費行動をとることによって、世の中が変わってくるということです。 資本主義の社会では、企業は売れないものは作らなくなります。 私たちの購買・消費行動で砂糖にNOと言い、 私たちや私たちの後の世代に 砂糖に頼らない生活を創っていきませんか。 きっとそれは、私を動かしたあなたや、 まめでのの多くのお客様の願いでもあるのだと思います。 ======================= 《追記》 ランチ料理の小麦不使用は、数年前から過ごしずつ進められており、 ・デリにペンネやショートパスタの使用を止める ・パスタや中華麺など小麦麺のメニューを止める ・高野豆腐フライのパン粉を米粉パン粉に変更 ・唐揚げの衣を米粉に変更 ・コロッケの衣を米粉パン粉に変更 というようなことを進めてきまして、 最後に残ったのが、車麩だったのです。 こうして、 まめでのは、 新たに生まれ変わりつつあります。 これからもどうぞよろしく お願いいたします☆
今回は、 趣向を変えまして、 店主の甘い砂糖の 記憶の味について 書いていたいと思います。 真っ先に思い当たるのは、 トマトの話ですが、 今回は季節的に、 お餅で行ってみましょう! 私の出身は広島の山間部です。 冬になると、 年末から、年があけて春先くらいまで お餅をつきます。 杵付きではなく餅つき機ですが、 祖母の代から今は母が、 餅をつきます。 年末年始は、 スタンダードな白餅と鏡餅を作ります。 (西日本なので切り餅ではなく丸餅です) 正月には、お雑煮、 これは年明け、店で 「まめでの正月御膳」で よく似たものをお出ししていますが 具沢山なお雑煮です。 私が子供の頃は、 たくさんお餅をついていたので、 三ヶ日の後は、いろんな食べ方で お餅を食べます。 きな粉や海苔で食べるのが 一般的だと思いますが、 私の家では、 たまに、 きな粉餅は食べましたが それほど多くはありませんでした。 多かったのは、 砂糖醤油、 からの派生で 「バター砂糖醤油」 これが、子供の頃の 思い出の餅その1です。 熱々のお餅に、砂糖と醤油、 バターをのせて、溶かして食べるものです。 (こうやって食べる方、他にもいらっしゃるかもしれませんね) 甘くて濃厚な味が忘れらない味です。 ただ、今は砂糖も乳製品も(マーガリンなども) 怖くて口にできませんが、 代わりに、 コメ飴とお醤油と、ほんの少しの米油で これはこれで、 風味豊かなお餅が食べられるので、 時々楽しんでいます。 年があけてちょっと経った頃、 またお餅をつきます。 今度は、 『かき餅』です。 お餅をつく途中で、 黒豆や何かを入れてついたお餅です。 つき上がったら、なまこ型にして 冷やします。 1〜2日経って包丁でスライスします。 切り餅のような平べったいものを 四角くカットするのとは違って、 なまこ型のものをスライスするのです。 お菓子作りが好きな方はご存知の ビスコッティーを仕上げ焼きする前に 生地をスライスするのと同じイメージです。 そうしてスライスしたかき餅は オーブントースターや ストーブの上で焼いて食べます。 市販のかき餅は、黒豆で塩味のようですが、 私の家では、 ハイカラな祖母が 「ピーナッツと青海苔と砂糖」で 味付けしたものを考案?!(誰かに習ったかも)、 それ以来ずっとこのかき餅が作られ続けていました。 これが思い出の餅その2です。 市販のかき餅は、醤油をつけて食べるのだそうですが、 我が家の ピーナッツ青海苔かき餅は、 既にほんのり甘い味がついているので、 ストーブの上で焼いて、 そのまま何もつけずに食べていました。 今は私は、ピーナッツも基本食べませんし、 砂糖ももちろん食さないので、 何年もかき餅は食べていませんでしたが、 先日、残った餅米で、かき餅を作ってみました。 このかき餅は、 炒り黒豆&青海苔&オリゴ糖でした。 まめでのでは、オリゴ糖は使用甘味に入れていないので 販売はしませんでしたが ご来店の方の何人かにご試食はしていただきました。 このオリゴ糖、母がどこかの自然食品店で購入したものらしく、 それをもらったのですが、なかなか使う機会がなかったので入れてみました。 砂糖の6割の甘味なので、入れても入れても甘くならず、途中で甘くすることを 断念しました。 私の記憶の味には到達しなかったのですが、 食べた方は美味しかったと行ってくださる方が多くてありがたかったです。 春までにもう一回作りたいと思っていますので、 そのときは、コメ飴か何かに、 甘味を変えて作ってみたいと思います。 さらに、 そして春になったら蓬餅。 この辺りはスタンダードですが、 敷地内の山の麓で採ってきたよもぎは 香りがよく、 丸餅だけでなく あん入りのものも 作っていました。 あん入りは出来立ても 美味しいのですが、 日にちはたって 餅が硬くなったものを 焼いて食べると、 餅が柔らかくなった頃には 中のあんも熱々で、 火傷しそうになりながら はふはふと食べていたのを思い出します。 蓬餅は、まめでのキッチンでも一度作った年があります。 ただ、まめでのの餅つき機でついた餅は、 まあるいお餅がちょっと作りにくいようです 子供の頃、時々 餅を丸めるのや、あんこ入りの餅作りを手伝っていたのですが、 同じにならないのはつきあがりの状態が少し 違うからだと思います。 つきあがりの状態はともかく、 丸餅にするために 祖母や母のように一定の同じ大きさになるよう 餅をちぎっていくのは、みていたほど簡単ではなく、 まだまだ修行が足りません。 あ、砂糖の思い出というより 餅の記憶に脱線しました。 甘いものは、食べずに済んだら 言うことはないですが、 それでも、何かの節目節目、 ちょっとした自分にご褒美、 ホッと一息つきたいとき、 気持ちを沈めたいときなど、 食べたいと思う時があります。 だた、その時にできるだけ 体に負担がかからないよう 工夫しながら 砂糖や人工甘味料に頼らない 甘味を口にしていけるようになると いいですね。 今回もお読みくださってありがとうございます。 ========================== 【編集後記】 店主がいまはまっている甘みは キャベツ、大根の甘みです。 フルーツを食べるかの如く、 キャベツの芯や大根の切れ端を バリバリ食べてしまいます。 寒い季節に野菜は甘くなります。 それは自然の摂理。 私たち人間も、 頭の理解で何かをたべるのではなく 自然に体の声を聞いて 食べていけるようになるといいですね〜〜 ================================= ブログ記事はメルマガ配信文をrewriteしています。 直接メールで受け取りませんか? ブログには載らない呟きや記事もあります☆ maga.sugar-free@mamedeno1.com より配信いたします。 携帯メールアドレスをご登録されたい方は 受信できるよう設定をお願いいたします。 メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine
本当に『せかいでいちばんつよい国』 デビット・マッキー作『せかいでいちばんつよい国』 今日は、まめでの文庫(店の入り口に設置してある本棚のことです)の絵本を1冊紹介いたします。 ご覧になった方もいるかもしれません。 まめでのに置いてある絵本の大半は、絵本作家の私の友人たちの絵本ですが、珍しくこれは違います。 店をオープンするより前になりますが、私は、趣味で絵本を書いていた時期があり、その頃、書店で気に入って買ったものです。 「せかいで いちばん つよい国」デビッド・マッキー作 少しネタバレにはなりますが、お許しください。 ストーリーはこんな感じです(要約) むかしのおはなし。大きな国があって、 たいほうもたくさんあって戦争をしても強くて その大きな国の人々は自分たちが大きな国に住んでいて誰よりも幸せだと思って暮らしていました。 その大きな国のだいとうりょうは、世界を征服すれば、征服された人たちも幸せになると考えて、世界征服のために、戦争をし続けたのです。 どの国も死力を尽くして武力で対抗しましたが、次々に負けて大きな国に征服されてしまいました。 ついに大きな国は世界征服の目前にまできました。最後の一国は、とるに足りないと思えるほど小さな国でした。 その国を攻撃しようと行ってみると、なんとその国には軍隊がありませんでした。 戦おうにも戦う兵士、軍隊がなかったのです。 戦わずして占領できたと喜んだ大統領は軍隊を駐在させましたが、小さな国人々は、兵隊さんたちに料理を振る舞ったり、泊めてあげたりして、もてなしました。 小さな国の人々と兵士たちはすっかり仲良くなって、一緒に、その国の遊びをし、その国の歌を歌いました。 緊張感がなくなったことを憂いた大きな国の大統領は、緩んだ兵士を国へ戻して、シャキッとした兵士を新たに駐在させました。 時が立って、大統領は、少しの監視役の兵士をのこして帰国しました。 監視役の兵士達は、大統領が帰るや否や軍服を脱ぎ、普段着に着替えて野や畑に出ました。 一方、だいとうりょうが大きな国へ帰ってみると、至る所で小さな国の料理を作り、小さな国の遊びをし、小さな国の歌を歌っていました。小さな国の服を着ている人もいます。 大統領は国の変わりようにちょっと驚きましたが「まあ いいさ。どれも これも、せんそうで ぶんどってきたものだからな」と納得しました。 その夜、大統領は息子に歌を歌ってとせがまれ、思いつくまま歌ったのは、どれもこれも征服したあの小さい国の歌なのでした。 以上こんな内容のお話です。 実際の世の中は、この絵本のように簡単ではないかもしれません。 でも なんだか考えさせられる絵本です。 大きな国は小さな国を本当に征服したのでしょうか?「せかいでいちばんつよい国」って一見、大きな国のことのように思いますが、本当はどうなんだろう。。。 単純そうに見えて実はとても深いよう。 そんなことを私たちに考えさせてくれる絵本です。 目の前に差し迫った状態がある場合、 簡単に言えることではないですが、 将来、持たない世の中を想像してみたいです。 持たないことは不安かもしれません。 でも持っていることは火種になるだろうと思います。 持たないことには、天地がひっくりかえるほどの勇気が必要でしょうね。 お読みくださってありがとうございます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー《編集後記》多くの争い事の陰には砂糖が介在しています。 闘争心などには「肉」の存在が影響しますが ヒステリックな怒りや妬み、ウジウジした悲しみ、怒りにはお砂糖さん(果糖ブドウ糖液糖など人工甘味料もです)が一役になっています。 お砂糖なく、からりと軽快に生きていきたいですね。 ブログは、週刊メルマガをrewriteしています。 ブログには載らない呟きや記事もあります。 直接メルマガを受け取ってみませんか? メルマガは、maga.sugar-free@mamedeno1.com より配信しています(配信専用) 携帯メールの方は、受信できるよう設定をお願いいたします。 メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine
私まめでの店主は、 日々、自宅と店の往復ですが 仕入れや買い出しに 出かけることがあります。 出かけたらカフェに寄ることが あります。 オーナーさんが友人とか知人とかの店にも 行くのですが、 多店舗展開している カフェに寄ることも多々あります。 そのようなお店は、 アレルギー表示があったり、 私はアレルギーではありませんが、 乳製品は摂らないので ソイミルク(豆乳)のメニューが あったりして コーヒーブラック、紅茶ストレート じゃないメニューもいただけるからです。 で、たまにソイラテなど注文してみるのですが、 その際、何回か同じミスを繰り返しています。 やっぱり一般の世の中、砂糖は全然ノーマークなのです。 アレルギー表示が必要な品目でもありませんしね。 「豆乳」というと、いつも自分が使うものと同じと ついつい思い込んでしまうのですが、 店によっては、ソイ(豆乳)が調整豆乳なんですね。 そう、豆乳には大きく分けて 「成分無調整」の豆乳と 「調整」豆乳が あります。 無調整豆乳は、原材料が大豆のみですが 調整豆乳は、いろんなものを添加して ほんのり甘味があって口当たりよく 調整された豆乳です。 やっぱり甘いとみんな飲みやすいからでしょうね。 調整豆乳には、 カルシウムや安定剤や塩、 そして甘味が入っているのです。 水飴とか、トレハロースとか、 メーカーによっては 「砂糖」そのものが 入っているものもあります。 健康な食生活をしてきた方は 少々このような豆乳を取ったからと言って どおってことないでしょうが、 私のように、浴びるように砂糖を 摂ってきた黒歴史がありますと、 砂糖が心に影響を与えるなんて知らなかったです https://mamedeno1.com/?p=375 調整豆乳にも反応します。 とあるカフェで初めて調整豆乳の カフェオーレを飲んだ時は、 なぜ喉が痛くなったのかわからず、 本当にしばらく考えて、 ようやく気づきました。 ほんのり甘くてマイルドな豆乳だったと! 同じ会社の同じカフェでは 同じことは繰り返しませんが、 違う会社のカフェで、 つい先日もやってしまいました。 「豆乳ティー」なるメニューがあり、 確認もせず注文してしまいました。 いえ、厳密にいうと、 「お砂糖入っていますか?」と聞いたのですが、 「いいえ」という返事が即座に返ってきました。 ここでいう砂糖は、 「ドリンクに甘味がつけてあるか」を問う質問でした。 店員さんも豆乳の原材料表示までは気にしていないし、 私も思い込みで「大豆」のみをイメージしていたので、 一口飲んで、「あ〜やっちゃった」です。 まあ、この日は、何か飲みたくて入ったわけではなく、 次のアポイントまでの時間調整だったので、 飲めない豆乳ティーを目の前に、 時間を過ごしてカフェを後にいたしました。 故に、私は、ソイドリンクを注文する時は、 無調整かどうかを忘れずに確認しなければなりません。 (追記) その後、調べた限りでは、大手カフェのソイは、 ほぼほぼ「調整豆乳」のようです。 個人経営のカフェはひょっとしたら「無調整豆乳」の お店もあるかもしれませんね。(2022.03.24) そう言えば近頃、カフェや、市場で ソイ(豆乳)ではありませんが、 オーツミルクをよく見かけるようになりました。 オーツ麦を原料につくられたこれもミルク様の 飲み物です。 ほんのり穀物の甘味があって、オーレにしたら ほっとした安心感のある飲み物になります。 実は試験的に、昨秋のある期間、ティータイムに出したのですが、 玄米オーツオーレと穀物オーツオーレは お客様にも、とても好評でした。 想定外で面白かったのは、お客様の一人が、 豆乳ラッシーをオーツドリンクで作って欲しいと オーダーされたことです! これは初の試みでした。 好みはありますが、 私個人は「豆乳ラッシー」の方が好きです。 でも「オーツラッシー」は、これもありかな、 とは思いました。 なんというか、Yグルト系の乳酸飲料に近い シャびっと爽やか?!なドリンクになったからです。 いや、この時のお客様は、独創的な方々で、 私がやろうとも思いつかなかったことを させていただいて、とても面白く 興味深い体験でした。 そんなオーツミルクも ここ数ヶ月で、一般のスーパーでも見かけるようになりました。 ただ、オーツミルクは、オーツ麦だけでは成立しないようで、 いろいろ組み合わせて添加してあり、 ドリンクになっております。 傾向としては、ビタミンとか、油とか、塩、 乳化剤、安定剤、その他諸々。 メーカーによって入っているものが 違います。 私の感覚で、安心して飲めると思えたのは、 ブリッジ「オーガニック オーツドリンク」 くらいでしょうか。。。 http://<iframe style="width:120px;height:240px;" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" frameborder="0" src="https://rcm-fe.am azon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&t=mamedeno-22&m=amazon&o=9&p=8&l=as1&IS1=1&detail=1&asins=B07ZJL7J1S&linkId=f799c645de6138fcf06b836c682fbe6a&bc1=ffffff&lt1=_top&fc1=333333&lc1=0066c0&bg1=ffffff&f=ifr"> </iframe> ただ、この商品、他社のオーツミルクと 比べると、やや粘度が少なく いわゆる少しシャビシャビ系です。 まあ、乳化剤や安定剤(増粘多糖類)、 ph調整剤などが 添加されていないので当然といえば当然ですが。 今後、安心な新商品が出てくると 良いなあと思っています。 このオーツミルク、手作りでも 作れるらしいです。 ネット検索すると 作り方が出てくると思いますので 気になる方は作ってみても 楽しいかもしれませんね。 今回はこの辺りで。 お読みくださってありがとうございます。 まめでの店主 砂糖の要らない暮らし 砂糖なしで E-magazineより =============== Copyright(c) まめでのcafe&ベジ(スイーツ) =============== ☆ ☆ ☆ ブログ記事をメールで受け取りませんか? メルマガ登録はこちらから https://my197p.com/p/r/Ac13bLp2 砂糖なしでE-MAGAZINE(週刊配信) ブログは、週刊メルマガをrewriteしています。 ブログには載らない呟きや記事もあります。 直接メルマガを受け取ってみませんか? メルマガは、maga.sugar-free@mamedeno1.com より配信しています(配信専用) 携帯メールの方は、受信できるよう設定をお願いいたします。 メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine
写真はイメージで、本文とは直接関係ありません。 先日のブログ、ハードスケジュールを乗り切るために、で、 こんなことを書きました。 ”季節が春に向かって来る頃まで もうしばらく 厳格な食生活をしようかなと思います” https://mamedeno1.com/?p=420 これはつまり、「春になるまで外食は控えます」っていう 宣言だったのです。 私まめでの店主は、 外食すると、普通にお砂糖は入っているし、 添加物は入っているしで、 体調を崩しやすくなってしまうのです。 特に冬場は、あまり汗をかきません。 なので、体に負担をかけてしまうものを 食べてしまうと、 夏場より体外へ排出しにくいようで、 症状が強く出やすいのです。 にもかかわらず、です。 先日の定休日に、出先で外食してしまいました。 おかげさまで、その日は 夕方には頭がぐらんぐらん痛くなりました苦笑 言い訳しますと、食べたかったわけではないんです。 確かに時間はお昼過ぎ、朝から食べていない。 けれど、実は、街にあふれている飲食物が 『わぁ、美味しそう!』という感覚はないんです。 「嘘やろ〜」と思います? 本当のとこ、嘘じゃないんです。 もう、私の中にインプットされている 経験と記憶で パブロフの犬のように 条件反射的に 「これ食べたら喉痛くなるだろうなあ」 「咳が止まらなくなるかな」 とか 「頭痛くなるだろうな」 「体だるくなるだろうなぁ」 と体が警報を鳴らしている 感じなんです。 本当のところ 外食することは 「恐怖」でしかないんです。 「じゃあ、なんで外食したの?」 って思いますよね、当然(笑 理由は、 好奇心を優先させたから、です。 そう、大袈裟にいいますと 外食は、 決死の覚悟で、 命がけで します。 どんな料理なのか知りたいがために。 とはいえ、なんでも無分別に 食べたのでは、 体調崩しすぎて 店を休むことがあっては いけないので、 ある程度、慎重に選択します。 この日はお蕎麦だったのですが、 無化調(化学調味料無添加) 自家製蕎麦 というコンセプトでした。 そう、「化学調味料不使用」は 素敵で魅力的です。 このお蕎麦やさん以外にも 無化調のラーメン屋さんは 時々見かけます。 無化調の中華料理屋さんも 知っています。 ただ、共通して言えることは、 「化学調味料を使わない」で 旨味を出すために 砂糖を比較的多く使っているということです。 その砂糖にやられて ひどく頭が痛みましたが、 いつもよりたくさん水分を取り、 梅干しを食べ、海藻を食べ、 なぜか白菜が食べたいという体の声に 従い、白菜をたっぷり食べ、 翌日の午前中には症状が 治り、ことなきを得ました。 そう、こんな風だから、 スタッフに繁忙期は外食しちゃダメよと 釘を刺されるのです。 けれど好奇心に勝てないことがあるのです。 この外食編。 まだまだいろいろありますので またおいおいに。。。 写真はイメージです。 ☆ ☆ ☆ ブログ記事をメールで受け取りませんか? メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine ブログは、週刊メルマガをrewriteしています。 ブログには載らない呟きや記事もあります。 直接メルマガを受け取ってみませんか? メルマガは、maga.sugar-free@mamedeno1.com より配信しています(配信専用) 携帯メールの方は、受信できるよう設定をお願いいたします。 メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine
こんにちは。 年が明けまして、お正月が過ぎた今がちょっと谷間でホッとする時期です。 毎年、年の後半、11月中旬位から始まり、12月クリスマス、年末おせち、年明けお正月御膳と続くこの時期は、まめでの店主が1年で最も注意を払う時期です。 万が一、体調を崩したならば、クリスマスケーキやおせちなどご予約いただいているお客様に、多大なご迷惑をかけてしまうからです。 体調管理には、一般的に考えられるのは、規則的な生活。しっかり睡眠時間をとり、きちんと食べて、など気をつけなければなりませんが、 私まめでの店主は、この時期、それらを全く実行できないのです。食べたり食べなかったりのいつ食べるか分からない食生活、いつどれくらい寝れるかわからない睡眠時間。1、2時間睡眠が数日続くとか1時間、4時間、1時間、3時間、みたいな1日おき睡眠。 年末から年明けまでのこの時期は全く不摂生極まりないにもかかわらず、体調を崩せないという矛盾した時期です。 でも、おかげさまで、今年もなんとかこのシーズンを無事終えることができました。 乗り越えられたのは、次の2点のおかげではないかと思います。 1つ目は、丈夫に生んで頂いたということ。これは自分でコントロールできることではありませんが、ひとつの説によりますと、自分より3代前の方たちの食生活が影響するのだそうです。3代前の方々が、粗食で、よく体を動かしていたのだと思います。どちらをどう遡っても、田舎で田畑を耕してた方々です。ご飯と煮物や漬物などを中心に食べていて、盆、正月、祭りなどに魚や刺身、晴れの料理を食べるくらいだっただろうと思います。 このような生まれ持った背景は変えようはありませんが、自分より後の世代の為に、残せるものはあるのではないかと思っています。 この年末年始を乗り越えられたもうひとつの要因は、 もう、このタイトル通り、『砂糖を食べなかった』からでしょう。 この砂糖とは、ただ単に砂糖だけではなくて人工甘味料も含めてです。 果糖ブドウ糖とか既成食品に入っている様々な人工甘味料。 これらをもし口にしていたなら、階段を転げ落ちるように体調を崩していたかと思います。 以前、1月の最も寒い時期に、中国料理の菜食の店で食事をしたことがあるのですが、一般的に「菜食」というだけのくくりでは、お砂糖は制限されていないのでその店では、お料理のあらゆるところに旨味を出す為に「砂糖」が使ってあったようで、 食事をしたのち、ひどい風邪をひいてしましました。鼻と喉をやられてしまい、回復するまで2週間ほどかかりました。 ただ、程度問題で、健康に気を遣われている菜食のお店さんだと、砂糖もてんさい糖や粗糖などで、使用量もそれほど多くないところもたくさんありますので菜食の店が一概に悪いわけではありません。 また、南国の気候風土では砂糖によって体を冷やし、暑さを凌ぐ為に取り入れられています。 ですから「菜食」の店が悪いわけではなく、南国ではない、私たち温帯地域の人が砂糖を多用することで、心身のバランスを崩してしまう懸念があるということです。 私も、この外食が、夏場だったなら、直後にちょっとした倦怠感があったのち、回復していたでしょう。 日本で最も寒い時期に砂糖をとってしまったが為に、ひどく体調を崩してしまったのです。 そんなことがあって、冬場には砂糖を摂らないという事を特に気をつけています。 本当に究極の不摂生の中にあって、一つだけ厳格にやってきたことがこれだったのです。 多忙シーズンの始まった頃、オープンから支えてくれているスタッフの一人が「砂糖食べちゃダメよ!外食しちゃダメよ!」と、念押ししてくれました。 今は一線を離れていますが、こうして気遣ってくれることがありがたく、もうしばらく、季節が春に向かって来る頃までもうしばらく厳格な食生活をしようかなと思います。 今の世の中、何にでも砂糖が入っていますので藤田 直子さんが日常で取り入れるのは簡単ではないかもしれませんが こちらよりはこっちがいいかな、という選択をとっていく事をおすすめいたします。 ちょっと頭の片隅にでも覚えておいてくだされば幸いです。 読んでくださってありがとうございます。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ブログをメルマガにて受け取ってみませんか?ご登録はこちらから↓ ↓ ↓ https://my197p.com/p/r/Ac13bLp2☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 砂糖なしで体が軽くなる、 無し無しづくしでいいことづくめの 砂糖なしの生活を提案します ----------------------------------------------------------------------- ブログは、週刊メルマガをrewriteしています。 ブログには載らない呟きや記事もあります。 直接メルマガを受け取ってみませんか? メルマガは、maga.sugar-free@mamedeno1.com より配信しています(配信専用) 携帯メールの方は、受信できるよう設定をお願いいたします。 メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine
先日お世話になっているある方に言われた言葉です。 当店は、砂糖不使用のランチやスイーツを提供しています。 なぜ砂糖を使わないかの理由の中に、これも含まれます。 そう、『まめでの』は、 あなたが心身ともに健やかであるように という願いを込めた言葉です。 『心身共に』なんです。 砂糖を摂ると、血糖値が急上昇し、 それを下げるために膵臓はインシュリンを出し、 血糖値を下げようとします。 インシュリンによって血糖値は下りますが、 急激に上がったので急いで下げようと 排出されたインシュリンは、 急降下で血糖値を下げます。 急激に上がった血糖値は、今度は急激に下がり、 下がったので、 「もうこれ以上、血糖値を下げなくてもいいよ!」 という指令が脳に届く前にどんどん インシュリンを出し、 今度は血糖値が下がりすぎてしまいます。 ようやく血糖値が下がったと感知した時には 低血糖と言われる状態になってしまっているのです。 この血糖値の乱高下は、心を不安定にします。 なんだか落ち着かなくて イライラしたり ヒステリックになったり、 はたまた、 不安な気持ちになったり 物事を悪い方向に考えたり クヨクヨ悩んだり あ、まるでひと事のように書いてますが、 これ私のことでもあります。 砂糖を常用しない今は、先のブログ、 あなたは知らない間に麻薬よりこわいものに冒されているかもしれません に書いているように、うっかり摂ってしまって、 血糖値が下がる時に、 なんか気持ち悪くて、落ち着かなくて 砂糖を求め!? ないとわかっていても戸棚を上げ締めする おかしな禁断症状の名残が起こるくらいです。 しかし、昔は、 特に、17歳のころ、ダイエットした時、 本当に顕著でした。 最初は、食べる食事の量を減らす、という単純なダイエットでした。 当時はカロリー制限で痩せると思われていた時代です。 ですから食品成分表を片手に、カロリーを計算しながら 食事をしていたのですが、次第に、 どうせ何か食べるなら、食べたいものをちょっとだけ食べよう! と考えるようになり、食事の代わりに、 大好きな和菓子やお菓子を少し食べることにしたのです。 当時実家には、来客用に茶菓子が結構ふんだんに常備されていました。 そんなカロリー神話の時代に、カロリーブックを頼りに 私は、砂糖大量摂取時代に入って行ったのでした。 その結果、もたらされたのは、 イライラしたり ヒステリックになったり、 「シュガーハイ」 という言葉でよく説明がされています。 基本、学校では大人しく、 家でも兄弟たちがヤンチャだったので 普段はしっかり者のお姉ちゃんだったのですが 親に何か言われると、金切り声を上げて反発! なんてことがよくありました。 え、それ反抗期だからじゃないの? ええ、まあ10代はそんな年頃ではありますが、 客観的に見ましても、 そこまで感情が激しく昂るのは、 下の兄弟たちを見ても そこまでじゃなかったかと思います。 その頃より少し幼い時の話になるのですが、親に連れられて、 クラシックのコンサートに行ったことがあるのですが、 どうしてもじっとして席に座って見ていられなかったことを よく覚えています。 周りはじっと静止して音楽に耳を傾けているのに、 どうしてもモゾモゾ動かずにはいられなく、 なんでじっとできないのかなぁと自分で思ったことがありました。 ただ単に子供だから興味がないことに集中できなかっただけじゃない、 と片付けてしまっても良いのかもしれませんが、 間違いなく言える事は、自分でもじっと集中したかったのに できなかった、という事です。 この時以外にもしっかり聞き逃さないように!と思っているのに 上手く集中できなかったことをいくつか覚えています。 小さい頃は市販のおやつやインスタント食品は食べさせてもらえず、母は厳しく食育してくれていましたが、小学校2〜3年頃から自分で台所に立つようになり、来客用の茶菓子や 祖父母が薬を飲用後にお口直しするための甘い菓子が目の届くところにあったので、共働きの父母のいない間に口にする機会が増えていったように思います。 これは、砂糖だけじゃないかもしれませんが、食べ物が影響していると今では考えています。 そんな時々シュガーハイな時期が数年続いたのち、 一人暮らしの大学生活を送っていた20歳前後は すでに親の目も届かず、チューインガムが夕飯、 もしくは板チョコが夕飯、 なんて日々を過ごしました。 卒業後、就職して一人暮らし。 初めての暮らす土地で、仕事と家の往復生活の中で、 いよいよ加速して 「うつうつ」した抑うつ時期がやってきました ですが、 当時、自分が物事をネガティブに捉えたり、 していた自覚はほとんどないのです。 後になってみて、ちょっとふさぎこんでいてそうだったなぁと 気づいたのです。 けれど、甘いものは、落ち込んだ気持ちを高揚させてくれ、 ひと時の幸福感を与えてくれるものでした。 この頃の、甘いものは、完全にお菓子を通り越していました。 家に甘いものが何もなければ砂糖をダイレクトに食べる。 という今考えれば死ぬほどおそろしい食生活をしていました。 そうやって一時の気分の高揚と、その後におとずれる気分の低下とを 繰り返していたのでした。 こんな17歳から24歳くらいまでは 私の心と体に影響を及ぼした 『第一シュガー暗黒時代』 ともいうべき 白くて黒い時代の幕開けでした。 食べ物が心と体に影響を与えることは、 マクロビオティック(自然の摂理に沿って物事を捉え、食べ物を食べたり生活すること)でも言われています。 砂糖には、体に主に次のような作用を強くもたらします。 ・体を冷やす ・体をゆるめる ・気長になる ・動作がのろくなる ・睡眠時間が長くなる 「・体を冷やす」は、そのまま、まさに冷やしてしまうので、免疫力も落ちて体によくないのは分かりますね。 先に 「・気長になる」は、よく言えば気長に待てたりするとも言えますが 優柔不断で物事をなかなか決断できない、もっというと、グジグジ考えて行動できない、などの特徴もあるかと思います。 「・動作がのろくなる」は、動作自体がゆっくりモードなのもあると思いますし、くずくずしてなかなかとりかからないなどにも当てはまるかもしれませんね。 「・睡眠時間が長くなる」気分がシャキッとせずにいつまでもダラダラ寝ていたい、とかでしょうか。朝がきたらぱっと起きる!はこれの反対側なのかと思います。 これ、副交感神経が優位すぎるとか、そういうこともあるかもしれませんね。。 「・体をゆるめる」は、これが一番わかりにくいかもしれません。 例えば、すごく緊張した時に甘いものを食べると、ふっと和む感じもそうです。緩むんですね。だったら砂糖もいいじゃん!と考えがちですが、緩むと同時に血糖値が上がりますから、その後の急降下で体に負担かかかりますよね。 甘いものは、確かに心を和ませて幸福感をもたらしてくれるものです。(これが麻薬的と言ってしまったらそれまでですが) ですから、全くなしにしてしまうのは寂しいものです。 そのためにも、甘味の質を変えて、体に負担をかけにくい甘味を取るように心がけ、豊かなスイーツライフを送っていくことをおすすめしたいのです。 今回のタイトルと、少し離れますが、 この「ゆるめる」は、結構重要キーワードでして、 粘膜をゆるめる作用でもあります。 粘膜が緩むとそこから、ウイルスや細菌が進入しやすくなります。 今、もうこれ以上の説明は不必要かと思います。 砂糖は避けましょう。それは、液化糖など人工甘味料も然りです。 緩ませすぎて良いことは何もありません。 砂糖は薬品であって、食べ物ではありません。https://mamedeno1.com/?p=278 残念ながら、心と体にとって、 摂らずにすむなら、そのほうが良さそうです。 https://twitter.com/naopanana ☆ ☆ ☆ ブログ記事をメールで受け取りませんか? メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine 砂糖なしで体が軽くなる、 無し無しづくしでいいことづくめの 砂糖なしの生活を提案します
誰かがどこか具合が悪い!というと、必ず一度は開く書籍です。 https://amzn.to/3kSVcgK この本の巻末に「電子レンジや炊飯ジャー」という項目があります。 何が書かれているか、抜粋でご紹介させていただきます。 電子レンジや炊飯ジャー電子レンジのエネルギーはラップも溶かさない。普通の熱とは違います。強力な震動熱で、この震動熱で早く調理ができ便利です。今はガスや電気で調理しますが、煮たり、焼いたり、蒸たりするのに時間がかかります。ところが電子レンジは、全て短時間でこと足り簡単です。早くやわらかく調理できるのは、食物の細胞分子を破壊するから早い。この分子はごく小さなものですが、この集まりが細胞です。そのもとの分子がきれてしまうと、料理を食べた時、分子は反動的に体内の酸素をつかみ、切れた分子をつなげる(自然治癒力の働き)ために使われるので、体の中は酸素欠乏をおこします。酸素欠乏とは?酸素不足が血液をはじめリンパ液、ホルモン、酵素等の酸性化で、これ等が共に細胞に作用し、細胞の異変を作ります。その結果、酸素欠乏の細胞ができる。これが病気であり、またガン細胞にまで至ります。不健康のもとは酸素欠乏からと言ってもいいと思います。〜中略〜ガンをはじめ、治りにくい難病といわれるものは、体の中に入ってくる食物が問題。血液や体液、そして細胞も食物からできているからです。この体液を浄化(酸性化を防ぎ、弱アルカリの中庸にする)する食生活をするのが健康法の正道と言えましょう。食品添加物にしろ、農薬にしろ、すべて同じ結果を作るわけですし、こんな点からも健康的調理をして、細胞に酸素がゆきわたる食物をいただくことの重大さがあるわけです。 私の学んだマクロビオティックの先生の言葉を思い出します。 「お病気治しをされている方が、電子レンジを使ったものを食べている方とそうでない方とでは治り方が倍くらい違う」と。 電子レンジを使っていると治りにくいということですね。 電子の力で食物の分子を振動させた震動熱がなぜ体によくないかを記してあってとてもわかりやすい記述だと思っています。 折に触れ読んでいる項目なのでご紹介いたしました。 電子レンジの怖さ、 これは、 私が23歳の時、 当時アメリカに留学していた友人との約束を守って、 少なくとも、20年間誰にも話さず、 トップシークレットにしていたことです。 その時から実は今は30年経っていて、シークレットは、解除しました。 なぜ、解除したかというと、自然派の人たちの間で、すっかり話題になっていて(笑(笑い事ではないですが汗) もうトップシークレットではなくなったからです。 今は、電磁波が危ない!という内容の書籍は沢山出版されていて、皆様もご存知でしょう。 「トップシークレットだから誰にも話さないで! 抹殺されるかもしれないから!」 から20年経った頃、自然食に目を向けてみれば、すでに知っている人は知っている事実になっていたのです。 「あぁ、もう知れ渡っているのね」とちょっと肩の荷が降りたような気持ちでした。(危険な事実は変わりませんが) 当時、彼女が言っていたのは 「電子レンジの開発をしている研究員の人たちはみんな子供ができなくなった。 で、研究所をやめたら、ようやく子供ができた。 どうも原因は電磁波にあるようだ。電磁波が人体に悪影響を及ぼしているらしい」 という内容のものでした。 開発のために一日中、電磁波を浴び、電磁波で壊れた食材を試食もしていたでしょうから、毎日そんなことを繰り返していたら、確かに、体に異変が起きても不思議じゃないですね。 私は自然食の世界に入った頃は、DTP(印刷物のデータ制作の仕事)をやっていて、半径1メーター以内の360度パソコンに囲まれた環境で働いていました。 これだけ囲まれると、ものすごく体が冷えるのです。 芯から冷えました。 当時、玄米菜食を始めていましたが、冷えは治らなかったです。 仕事に行くのに、冬場は、雪山にスキーに行くときのインナー並みに着込んでいました。 今はキッチンで動き回って、直火の近くでもありますし、 嘘みたいにけっこう暑がりです(笑。 さ、そして、 書籍の続きをご紹介しますね 炊飯ジャーはどうでしょう玄米食をしている人でも、炊飯ジャーに一日中入れたり、ひどい人は次の日まで入れっぱなしにしておく。すると色が変わってきます。分析するとビタミンB1・酵素は半日で1/2にへってしまう。長くおけばおく程損失は大きいという実験もあります。自然の食物には分析に出てこない、まだまだ未知の成分が多くあります。これ等も共に失われてゆくことを思った時、電子レンジでも炊飯ジャーでも、ちょっとあたためるとか、遅く帰る人のために保温する位に上手な使い方が大切です。自然は健康になるためには、便利で簡単なものにばかり頼ってはいけないよと教えます。自然の火である薪や炭は、現代生活では難しくなりました。でも唯々便利さだけに目がくらんで、健康まで犠牲にしない心の芽を育ててゆきたいと思います。 なんだそうです。 私は、 子供の頃から、保温ジャーに保温したご飯が嫌いで、 炊き立てのご飯しか食べなかった我がままな子でした(汗 保温するくらいなら炊き立ての冷やご飯の方がよかったんです。 親にしてみたら、何ともめんどくさい子でしたでしょうね、 我ながら(汗 だから、今でも 店のご飯は一応営業開始前に保温ジャーに移すのですが、とにかく保温が嫌いなので、ラストオーダーの時間にはスイッチを切るようスタッフに指示しています。 少し前でも切っていいと伝えています。私が操作する日は、一刻も早く切りたいのでフライングで14時より前にスイッチオフにすることが多いです。 一人で営業している日は湯煎にしていることもたまにあります とにかく、あの保温臭がダメなんです(苦笑 子供の頃から。 先日、アンケートを取らせていただいた中のコメントで 「酵素玄米はどうなんだろう?」と書かれていました。 どうなんでしょうね。 一つ言えることは、あれ、便利は便利ですよね。 むかしマクロビオティックの勉強をしていた頃、 東京に泊まりがけで勉強しに行っていたので、 2〜3日家を空けるのですが、炊飯器いっぱい酵素玄米作っておけば、 私が帰ってくるまで家族はご飯を炊く心配をしなくていいので、私も助かりました。 あとは作り置きのおかずを用意さえしておけば、心置きなく出掛けられましたから。 ただ、やっぱり私個人は、 「炊き立ての小豆入りの玄米ご飯」は好きですが、保温しっぱなしのご飯は、例え酵素玄米で消化もいいと言われても、 積極的には食べれないです。 前にも別な時に触れましたが、私は頭の理解だけで食べていないのです。 他の方には良いものかもしれません。 個人個人違いますから。 しかし残念ながら私は、この食物から食物の持つパワーが感じられないのと、やはり匂いで体が欲していないので進んで食べることはないと思います。 私が学んだ東京のマクロビオティックの授業で、 誰かが、 「酵素玄米ってどうなんですか?」 と質問していました。 その先生は 「酵素玄米を食べて元気になった人を見たことがない」と おっしゃっていました。 実は、私もまだそのような方に、お会いしたことがありません。 その人自身が、「酵素玄米を食べてなんか調子がいい」と思われたら、 その方にとっては向いているのだと思います。 全ての書物や何かを読んだ訳でもありませんが、 酵素玄米の効能はいろんなところで記述があるのですが、 酵素玄米を電子ジャーに長く保温しておく電磁波の影響や失われる栄養素などについて直接記述したものは見つかっておりません。 あるのは私の心証とマクロビオティックの先生の言葉、そしてこの東城百合子先生の炊飯ジャーの記述だけです。 <a target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/gp/search/ref=as_li_qf_sp_sr_tl?ie=UTF8&tag=mamedeno-22&keywords=自然療法&index=aps&camp=247&creative=1211&linkCode=ur2&linkId=6a25746e0bf5ff5c9561909e49531df6">自然療法</a> ☆ ☆ ☆ ブログ記事をメールで受け取りませんか? メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine 砂糖なしで体が軽くなる、 無し無しづくしでいいことづくめの 砂糖なしの生活を提案します
私は、兼業農家の生まれで、7人家族で育ちました。祖父母、父母、兄弟2人と私です。 父母は、外で働いていたので、平日、学校から帰ってくると家にいたのは祖父母でした。 つまり、18歳で家を出るまでの、とても重要な時間を祖父母と過ごすことが多かったのです。 祖父は温厚な人でいつもニコニコしていて、恵比寿さんのような人だと言う人もいました。 一方、祖母は、1本しんが通っていて、考え方がはっきりしていて、間違っていると思ったことには決して譲歩しない硬い石の、いえ固い意志の持ち主でした。 そんな鉄の女ならぬ「意志の女」祖母は、当時、祖父と一緒に、畑で野菜を作り、米作りのため田仕事、山仕事をしていました。 学校から帰ると、近所の友達と遊ぶこともありましたが、田や畑で、また納屋で仕事している祖父母のところに行き、傍で遊んだりすることもありました。当たり前のように、日常的にその光景を見て育ちました。 18歳までの多感な時期に一緒に過ごすことが多かったので、沢山の影響を受けたと思いますし、祖母には厳しくしつけられたと思います。 受験勉強で最も机についていたい時期にも、上げ膳据え膳は許してもらえませんでした。 そんな祖母の言葉の中で、最も心に残っていて忘れられない教えは、「米1粒でも無駄にすると目がつぶれる!」でした。 面白いこともひねって感動的なことも言わない生真面目で厳しい祖母らしい言葉です。 『「米」は、「八十八」の手間をかけて作る作物なので感謝して大切に食べよう。』とよく言われますね。 理屈は一切語らない祖母なので、米という字の成り立ちを私が知ったのは、ずっと後のことです。いえ、ひょっとしたら米という字の成り立ちを知っていたかどうかもわかりません。 祖母も、親や育ててくれた人に「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と言われてきたのかもしれません。 でも、ただ言われても何も感じなかったら、身体を通り抜けて行ってしまい、残らないと思いますがら、人に伝えることはないでしょう。 祖母は明治生まれ、今のように米作りが機械化されていない頃の米作りは、想像を超える大変さだっただろうと思います。 私には想像するしかなく、本当に実感することは不可能でしょう。 ただ、実家の納屋や農機具庫に残っていた昔の農機具(民族博物館とかにありそうなヤツです)を見ると稲刈りや脱穀も大変な手間だったのだなと感じますし、祖父母の所有していた昔の写真を見ると、農繁期が一大行事で、どんなに大変だっただろうかと思います。 昔、私の地方では、田植えの時期や稲刈りの時期には、近所の農家が順番に、総出で、それぞれの田の田植え、稲狩りをみんなで手伝ってやっていたそうです。 子供の頃、祖父母のアルバムで、母屋の前で、何十人もの人たちが並んで写っていいる集合写真を見て、なんだろうと思っていましたが、農繁期の手伝いに来てくれた人たちとの記念写真だったのです。 田んぼが多い農家にはちょっと遠いところからも手伝いの人が来て、結構な人数の人が集まって田植え、稲刈りをやるのです。来てもらった農家は、手伝いにきた大勢の人たちに食事を振る舞い、決して『腹の細い』思いをさせないよう、十分に食事を用意して提供しなければなりませんでした。 当時の農家の女性は本当に大変だったでしょう。祖母もそれをやってきたのです。もちろんお勝手も、何十人もの食事を一人ではできないですから近所の女性たちが集まって相互に助け合っていたのでしょう。 今は、田植え機も、稲刈り機も機械化され、近所の応援なくして各自でできるようになりました。「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」は、 祖父母の世代の人たちは、 本当に、本当の実感を持って 米や食物のありがたみがわかっていただろうということです。 安易にご飯を残して捨てることは、本当に罰当たりなことだったのです。 「食べ物を大切にしよう」よく言われる言葉ですがこの飽食の時代の私たちには、単なるスローガンのようなものになっているかもしれませんね。 ~祖父母が遺してくれたもの~祖父母はすでに他界してこの世界にはおりません。 「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と小さい頃に言われて、私は「はいわかりました、そうします」と簡単に大切にできる人間だったわけではありません。わかっていることと、できることは違います。 頭では理解していましたが、10代・20代の頃は、本当にはできていませんでした。 そのころは、甘いものが大好きで、ご飯の代わりに甘いものを食べていたのです。 わかっていても普通のご飯を食べる気になれなくて、一人暮らしの夕飯はチョコ!そんなめちゃくちゃな食生活をしていた20代後半、祖母が亡くなりました。 祖母と私は心理的な結びつきが強かったようです。祖母を亡くした喪失感は言葉には言い表せないほどで、毎晩、祖母が夢に現れました。 亡くなってからの、その1ヶ月以上、私は、ほどんど何も食べれない状態になってしまいました。 頭では食べなくては、何か口にしなければと思っても、あれほど食べたくて仕方なかった甘いものも、食欲がなくて何も食べることができなくなりました。 そして、祖母は仏教徒でしたから四十九日の法要をし、その後くらいだったと思います。 ようやく祖母を見送る心の準備ができてきて、少しずつ気持ちの整理がついてきたのだと思います。 食欲が少し戻ってきて、最初に食べたのは、甘いものではなく、普通のご飯でした。 一口、口に入れたとき、「あぁ、ご飯が美味しい」と思いました。美味しかった以上に、その時、「ご飯が食べれることがこんなにありがたいことだったなんて」と真に思いました。 その時の、食べることができた安堵の気持ちと食べる事への感謝の思いは、今でも忘れられません。 それ以来、夕食がわりにチョコやチューインガムを食べる生活は卒業しました。 砂糖をやめるのはまだずっと後のことですが、約10年ほど、めちゃくちゃな食生活だったところから抜け出して、ご飯が美味しく、楽しく、ありがたく食べれるようになりました。 祖母の死が、一種のショック療法になったということですが、 これも祖母の最後の贈り物、いえ、私に与えられた試練だったのでしょうか。 頑固一徹信念の人、祖母らしい荒療法を施して旅立って行きました。 そんな明治女の影響を受けていますので、まめでのキッチンでも、食べ物を粗末にするスタッフに厳しいです。 私たちは飽食の時代に育っていますから、入りたての新人スタッフの多くは、野菜や食材を無駄に切り刻んで、いとも簡単に捨てようとします。鍋肌にたくさん料理が残った状態で洗おうとするスタッフは、もれなく私に叱られます。 「それくらいいいでしょ、ケチ臭い店主だな」と内心思っているかもしれません笑今まで、ここまで詳しく背景は話していなかったですしね。 後日談: ブログに目を通したスタッフの姿勢が変わったのを感じます。 私に注意されるからじゃなくて、自発的に食材を大切にしてくれているように思います。 お読みくださってありがとうございます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ブログは、週刊メルマガをrewriteしています。 ブログには載らない呟きや記事もあります。 直接メルマガを受け取ってみませんか? メルマガは、maga.sugar-free@mamedeno1.com より配信しています(配信専用) 携帯メールの方は、受信できるよう設定をお願いいたします。 メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine
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先日、ランチライム中に、 揚げ油が跳ねて、火傷したんです。 右手の中指、薬指、小指。 揚げ油の中に、 食材からか、調理器具からかは、 わからないのですが 何か水気があったらしい。 手を近づけた時に、ちょうど 『ボワンッ!』と 油が大きくうねり跳ねて、 右手の3本の指にまともにぶっかかりました。 飲食店やってらっしゃる方は、 おそらく皆さんそうだと思いますけど、 指を怪我しても、火傷しても オーダーが入っている時は そのまま、調理続けるんですね。 (怪我は輪ゴムとかでぐるぐる巻きにして止血してビニール袋かぶせて食材を汚染しないようにしてやりますよ) さて、火傷は皆さんご存知のように、 すぐに冷やさないと、水膨れになったり 症状がひどくなりますよね。 でも右手なので、 作業を止めるわけにもいかず、 流水を2、3秒かけるくらいで、あとは保冷剤を引っ張り出してきて当てがうくらい。 されど、作業中の利き手なので、 これも5秒くらいだけあてる。 何しろ、お料理出すのが優先です。 注文とその次の注文の間に、 もう一回、流水数秒、保冷剤数秒くらい 当てて冷やしました。 そのまま仕事続けていて、気付いたら 1時間近く経っていたでしょうか。 14時にちょうどスタッフがやってきて、 ようやく自分の状況を省みる余裕ができました。 はたと気づいたら、小指あたりに 水膨れができていて痛みがある。 ヤバイ! と思ったけれど、 今度はウーバーイーツの注文が入り、 ゆっくり冷やしている暇はない。 どうしようかと考えた時に、 ふと、あることを思い出して、 サニーレタスの外葉、 お客様にはお出ししない部分の、 葉っぱを右手に巻き付けた。 冷蔵庫に入っていたし、いい感じにひんやりする。 この時の状況を、若いスタッフは、 「おかしなことやるなあ」と見ていたようだ。 後日、 「そんなのやってる人見たら、 この人、完全にいっちゃってると思うだろう」と いってましたから笑 で、火傷に話を戻しますと、 火傷に巻き付けたサニーレタスは、 完全に萎びてしなしな、 体温で熱くなったところで ありがとうさせていただいた。 そのあとは、火傷のことは 忘れてしまって、仕事を続けました。 そして 翌日、ふと、「そういえば火傷!」と、 思い出しました。 火傷の指を見ると、何と 水膨れはなかったのです。 どの指も正常で、痛みもなし。 びっくりするほど、何も異変なく、 水膨れも火傷の後もない。 痛みも違和感もないから つい火傷したこと忘れちゃったんでしょうね。 マクロビオッティックなどを学ばれた方は ご存知でしょうが、 火傷の時に葉物野菜で冷やすのは お手当てのひとつである。 座学で学んだが、今までやったことはなかった。 「机上の理論」とまでは言わないが、 まさか、ここまで効くとは思わなかった、 これまで、自然派のお手当は、 どちらかと言うと ゆっくり作用するもので、 即効性はないと思っていて、 対処療法である西洋医学の方が、 早く効くだろうと思っていた。 しかし、考えてみると、 仮に、できかけていた水膨れに 火傷用の軟膏を塗っても 一晩で治ったかどうかわからない。 そんなに早くは治らなかった のではないかと推測する。 そうやって考えると、 葉物野菜で火傷があっという間に 消滅してしまったことが あまりにもすごーい!!と思ったので ご紹介したくなり、ペンを取りました。 今、手元に、 大森一慧 先生の著書 「からだの自然治癒力を引きだす食事と手当て」 がありまして、 それによると、 「油がはねた、というような軽い火傷には 軽く塩を塗ってから青菜をのせクールダウン。 痛みが出てきたら青菜は取り替えます」 とのこと。 一慧先生、塩と青菜なんですね。 塩は、実は切り傷にも有効です。 「傷口に塩」って、悪い冗談だと 思う人もいるでしょうが、 塩は「締める」作用があるので 止血効果や患部を収縮させる(ふさぐ)作用があります。 殺菌効果も。 この本には、火傷に塩を使う理由は書いてありませんが、 おそらくそのような理由なのではないかと 私は思いました。 化膿したり、水膨れ(膨れる=広がる)のを 防ぐ目的ではないかと推測します。 「痛みが出たら、青菜を取り換える」 そう、だから私は、野菜(植物)は尊いと 思うのです。 ただ単に冷やすだけではなくて、 火傷の熱と一緒に、痛みや炎症持って行ってくれる ってことなんでしょうね。 植物は代わりに萎れてくれる、 優しきものたちです。 私の火傷も、痛みと水膨れを サニーレタスが持って行ってくれました。 ちなみに、東城百合子先生の著書 「自然療法」では、 「すぐ塩水につけること」とまずあって、 ビワの葉エキスにつけると痛みなく 早く傷も残さず治る」とある あとは、私も子供の頃からお世話になっていた アロエ。 それから石蕗(ツワブキ)を炙ってつけるのも 効果的だとか。 ツワブキって、身近に庭とかにある方は、 都会では少ないかもしれませんが、 アウトドアで火傷した時なんかに 野にあったら使える?!かな。 ビワの葉エキスは、自然食品店などに 売っていることがありますが、 自分で作れます。 私は自家製のビワの葉エキスを常備しています。 傷にはビワの葉エキスです。 今回はサニーレタスのおかげで出番はなかったですが。 いやあ、葉っぱ(植物)すごい!!と 思ったので、 火傷の話をちょっとだけ書くのつもりが、 書いちゃいましたね(汗 もちろん、重度の火傷には、 さらに別のお手当が必要なので、 全ての火傷に葉っぱ、ではありません。 お気をつけください。 ところで 冒頭に記したように、 火傷に葉っぱ貼るなんて、 『ちょっとおかしな人』 これが一般的な感覚なのだと この時、気づかされました。 「傷や疾患は薬や医療行為で 直すもの」→ 「薬や医療でしか治らない」 近年、私たちはこのように 刷り込まれてきましたからね。 かくゆう私も子供の頃、 風邪をひいた祖父が 喉にネギを貼り付けて 手拭いを巻いている (ネギ湿布?!というのでしょうかね) という姿を何度も目撃していて、 「おじいちゃん、そんなことしても治らないよ」 とそのたびに言っていたのを思い出しました。 当時、私は、体調不良は病院や薬でしか治らないと 思っていたのです。 ネギ湿布は、 一度も試したことはありませんが、 何度もやっていたということは、 ひょっとして効果があったのかも しれませんね。 いつかやってみよう笑 何はともあれ、私たちの糧として また代わりに萎びたり枯れたり その生命を差し出してくれる 植物たちにとても感謝しています。 植物は高貴な存在だと個人的には思っています。 あぁ、こういうこと書くから 変な人なんでしょうね(汗 最後までお読みくださって ありがとうございます。
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先日、時々来店される顔見知りのお客様が店でランチを召し上がった後、お帰りの際におっしゃった言葉があります。 「私、実は最初、ここのお料理が美味しいと思えなかったんです。 でもそれは、自分が化学調味料の味に慣れてしまっていたからだと気付きました」と。 美味しいと感じなかったにもかかわらず何度も来店してくださっていたなんて、なんとありがたいことか! ありがとございます!!! 確かに、化学調味料は、私たちの舌に絶大な影響を及ぼして旨いと感じさせます。それはとても強大です。私は、化学調味料が入ったものを食べると、3日ほど舌が痺れています。 また、以前実家で、醤油差しに入っていた醤油様の黒い液体を味見しようと数滴口にした途端、舌に突き刺すような痛みがはしり、「お母さーん!」 と思わず叫んでしまいました。 これは、父がどこかで貰ってきた市販の昆布風味のしょうゆという類の化学調味料入りの味付け醤油だったのです。 本来はそれくらい味覚に刺激を与えるものです。でも食べ続けていると、慣れて麻痺して、感じなくなります。 独身で一人暮らしをしていた頃、仕事が忙しくて、お昼をコンビニ弁当で済ませていた時期があります。 最初にコンビニ弁当を食べ始めた時は、「なんか嫌な味だな」とか「嫌な匂いだな」と思っていたのですが、数回利用するうちに嫌な感じも何もなくなって美味しいと感じるようになっていたのです。 その後、手作り弁当に戻していましたが、環境が変わって、久しぶりにまたコンビニ弁当を食べたら、やっぱり「嫌な味、匂い」がしました。 本当に、怖いことに、科学的な味で、舌が麻痺してより強い刺激じゃないと美味しいと感じなくなってしまうということです。 前述の、便利な市販の化学調味料入りの味付け醤油、たった数滴で、無数の針で舌を突かれたような激しい痛みを伴いました。 このように、化学調味料は、激しく舌を刺激し、そのうち麻痺させ、味覚を鈍化させてしまうものだということです。 あなたが今、もし化学調味料入りのものを日常的に召し上がっているなら、1週間から10日くらいそれらがない生活をして、その後に元の化学調味料入りに戻してみるとよくわかると思います。 ある方が、普段は市販の一般的な醤油を使っていたのですが、厳選した材料を使った天然醸造の醤油を目にし、さぞかし美味しいだろうと購入し、楽しみに家に帰って使ってみました。 すると 「ん・・・?思ったほど美味しいと思えない。」 「高いお金払って、残念だったな。」と思ったそうです。 そして、その醤油を使い切る頃、今までの醤油に戻しました。 そうしたら、なんということか、「すごく不味い!」と思ったそうです。 今まで、強い化学的な旨味に慣れて麻痺していたんでしょうね。 市販のお醤油は、早く大量に醸造するため、製造過程で、アミノ酸液など旨味になる成分を添加したり、甘味料・着色料や保存のためにアルコールを添加したりします。 醤油に何が添加されているかは、地域によってちょっとずつ違うように思います。 その地域の人たちの好みというか食文化に影響されるのでしょうね。 以前、島根県の出雲大社の近くの蕎麦屋さんで、お蕎麦を食べようとして、「砂糖が食べれないので、つゆではなくて醤油をください」と店員さんにお願いしたところ、一瞬、ん?という間があって、帰ってきた言葉は、 「え?お醤油には砂糖入っていますよね!」というものでした。 島根県が全てそうではありませんが、地域によって甘い醤油が好まれる地域があるのだと思いました。当店が使用している同じ島根県の奥出雲の井上醤油店さんは、大豆、小麦、塩という昔ながらのシンプルな原材料で作られています。奥出雲地域は、井上醤油店さん意外にも、森田醤油さんなど、昔ながらの製法で厳選した材料で作ったお醤油メーカーやお酒の醸造メーカーもあって、私にとっては好きな地域です。 私は乳は口にしませんが、牛乳やバターなど乳製品で質の良いものを作られている「木次乳業」さんのある木次町もこの近くです。 ここの製品は自然食品店に置いてありますのでご存知の方も多いのではないかと思います。 話を先ほどの醤油に戻しますと、私の生まれ育った地域では、残念ながら、現在、地域で流通している醤油は、アミノ酸、アルコールなどが添加された地元の醸造メーカーものです。 私が子供の頃に実家で使っていた地元の醤油メーカーさんは、残念ながら今はありませんが、井上醤油店さんと丸島醤油さんの間のようなお醤油だったような記憶があります。 (余談ですが、こうしてみると、私、けっこう醤油愛がありますね汗) さて本日は、さらに、 美味い→うまい→からの「旨い」について、ちょっと思ったことを記してみたいと思います。 まず先に、旨いの「旨味」というのは、西洋学的にいうと、グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸などだそうですが、グルタミン酸は、海藻や肉や魚、野菜、発酵食品など多くの食べ物に含まれています。イノシン酸は、主に肉や魚。グアニル酸は、干ししいたけなど、主にきのこ類に多く含まれているそうです。 しかし、どうもそれだけでは語れない、人間の旨いの認知、知覚があるように思います。 それは、先の出雲大社近くのお蕎麦屋さんの醤油に入っていたように砂糖の「甘み」=「旨み」という事実です。和食に砂糖など甘みが多様されているのは、それが「旨味として美味しい」と私たちが感じるからなのではないでしょうか。 肉や魚など動物性食品を食べない人たちは、玉ねぎや、ネギ、ニンニクなどで旨味を出して料理するのですが、中には、アジア圏を中心としたオリエンタルヴィーガンと言って、五葷(ごくん)抜きの方がいらしゃいます。五葷とは、ニンニク、ワケギ、ニラ、ネギ類(玉ねぎも)、ラッキョウなどで、どれも強い匂いを持っています。これらを食べないとする人たちは、五葷に含まれる旨味の代わりに、砂糖などの甘みを旨味成分として使って召し上がっているように思います。 五葷を食べないのは、仏教思想に基づく菜食の考え方の一種なのだそうで、精進料理にもこの五葷は使われていません。 ただし、動物性食品を使っていないからと精進料理ばかり食べていると結構な量の砂糖と添加物を撮ってしまうことになるかもしれません。肉魚、五葷は使っていないけど、砂糖は煮物や煮豆にたっぷり入っています。肉や魚に見立てた既製品の擬き食品の中には添加物や着色料がたくさん入ったものもあるので、店を選ぶ時は慎重に選ぶに越したことはないでしょう。 ここで誤解しないで頂きたいのは、五葷抜き自体を否定しているわけではないということです。 ヴィーガンなど植物性の物だけを食べている場合、自然の摂理として、これら匂いの強い五葷の野菜は必要なくなるということです。 なぜなら、これら匂いの強い五葷は、肉などの毒消しになるものだからです。 当店に、かつて、20年以上ヴィーガンというスタッフがいました。20年以上菜食なので、消化すべき肉の毒素がないので、何もしなくても体が自然に五葷を欲しないということなんです。だから逆に食べると体内のバランスが崩れてしまうということです。 私は、今は時々動物性を入れますが、それでも数日に1回なので、一般の方より少ないと思います。先日、韓国ドラマで、ワケギのキムチを食べているのをみて、作ってみたくて作ったのですが、生のわけぎに、塩をしてキムチ漬けにしたのですが、出来上がったキムチをそのまま食べると、やはり強すぎたようで、数日しんどい感じがしていました。その残りは、やはりたくさんは食べれず、炒め物や、汁など火を入れて、少しずつ使い切りました。わけぎキムチは、焼肉などたくさんお肉を食べる人向きのサイドメニューということでしょう。 20年ヴィーガンのスタッフがいた一方、別な時期には、ヴィーガン1、2年めのスタッフがいたこともあります。この2人の違いは、とても興味深かったです。同じように五葷を食べないように見えますが、一方は、自然に体が欲してないから食べないもう一方は、食べてはならないものだから食べないようにしている、なのです。20年ヴィーガンさんがよく口にしていたのは、「20年やってると、どうでも良くなる」でした。最初はどういう意味か、よくわかりませんでしたが、新米ヴィーガンさんと接してよくわかりました。20年ヴィーガンさんは、自然体で、体の声を聞いていただけなんだなあと感じました。新米さんは頭の理解(理論・理屈 )で、ああしなくては、こうしなくては、と行動していたように思いました。私の目には、新米さんは、体内に動物性毒が残っているのに、五葷はダメ!って、食べないようにしていたので、毒素がうまく抜けず、排毒して欲しくないところから排毒して、しんどそうに見えました。(私の目にはそう見えた、というだけですが) 話を旨味の代替え甘みに戻します。五葷抜きのオリエンタルヴィーガンさんでも、旨味を甘みに頼らず、ヴィーガンライフを送っていらっしゃる方もきっといらっしゃるのではないかと思います。 オリエンタルヴィーガンの店や既成食品を見る限りでは五葷の代わりに砂糖を多用しているなあと感じるだけです。 ですから、砂糖を控えたいならば、オリエンタルヴィーガンの店やヴィーガン食品を利用するときに、甘味の使用がご自身の許容範囲かどうか確認してからご利用をお決めになるとよいのではないでしょうか。 マクロビオティックカフェでも旨いの違いがありました。私が、かつて自然食に興味を持ち始めた頃、割と近場にあった2店の自然食カフェがとても印象的でした。2店のうち、私は、当時、一方の店の方が美味しいと思っていました。いえ、事実おいしかったですし、今はなき、このカフェを先輩店として今でも尊敬しています。もう一方も、素敵な器に盛り付けてあって、素敵でしたが、正直、何か物足りないような気がしていました。 この2店の決定的な違いは、私が自然食の勉強をさらに進めた時に気付きました。美味しいと思った方の店は、白砂糖こそ使っていなかったものの、味付けの一部に「甜菜糖」を使っていたのです。そしてもう一方は、今の当店のように、砂糖不使用の店でした(乳・卵も不使用。)つまり、自然食に慣れていなくて、まだ添加物入りの食材を食べていた身には「甘い」方の店が「旨い」と感じたということです。 その数年後、私は「もう一方」の砂糖不使用の店で修業させていただくことになりました。関心を持ち始めた頃には想像すらできなかったことでした。今はなき、この店での修業は、辛く厳しくかったですが、砂糖を使わない料理の実践をさせていただき、とても鍛えられました。 働かせていただき、とてもありがたかったです。 砂糖不使用は、先輩方が、礎を築いてくださったから、後に続けたのだと思います。これからも、砂糖なくても美味しくなるよう工夫、開発していきたいと思います。 お読みくださってありがとうございます。
私は、兼業農家の生まれで、7人家族で育ちました。祖父母、父母、弟2人と私です。 父母は、外で働いていたので、平日、学校から帰ってくると家にいたのは祖父母でした。 つまり、18歳で家を出るまでの、とても重要な時間を祖父母と過ごすことが多かったのです。 祖父は温厚な人でいつもニコニコしていて、恵比寿さんのような人だと言う人もいました。 一方、祖母は、1本しんが通っていて、考え方がはっきりしていて、間違っていると思ったことには決して譲歩しない硬い石の、いえ固い意志の持ち主でした。 そんな鉄の女ならぬ「意志の女」祖母は、当時、祖父と一緒に、畑で野菜を作り、米作りのため田仕事、山仕事をしていました。 学校から帰ると、近所の友達と遊ぶこともありましたが、田や畑で、また納屋で仕事している祖父母のところに行き、傍で遊んだりすることもありました。当たり前のように、日常的にその光景を見て育ちました。 18歳までの多感な時期に一緒に過ごすことが多かったので、沢山の影響を受けたと思いますし、祖母には厳しくしつけられたと思います。 受験勉強で最も机についていたい時期にも、上げ膳据え膳は許してもらえませんでした。 そんな祖母の言葉の中で、最も心に残っていて忘れられない教えは、「米1粒でも無駄にすると目がつぶれる!」でした。 面白いこともひねって感動的なことも言わない生真面目で厳しい祖母らしい言葉です。 『「米」は、「八十八」の手間をかけて作る作物なので感謝して大切に食べよう。』とよく言われますね。 理屈は一切語らない祖母なので、米という字の成り立ちを私が知ったのは、ずっと後のことです。いえ、ひょっとしたら米という字の成り立ちを知っていたかどうかもわかりません。 祖母も、親や育ててくれた人に「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と言われてきたのかもしれません。 でも、ただ言われても何も感じなかったら、身体を通り抜けて行ってしまい、残らないと思いますがら、人に伝えることはないでしょう。 祖母は明治生まれ、今のように米作りが機械化されていない頃の米作りは、想像を超える大変さだっただろうと思います。 私には想像するしかなく、本当に実感することは不可能でしょう。 ただ、実家の納屋や農機具庫に残っていた昔の農機具(民族博物館とかにありそうなヤツです)を見ると稲刈りや脱穀も大変な手間だったのだなと感じますし、祖父母の所有していた昔の写真を見ると、農繁期が一大行事で、どんなに大変だっただろうかと思います。 昔、私の地方では、田植えの時期や稲刈りの時期には、近所の農家が順番に、総出で、それぞれの田の田植え、稲狩りをみんなで手伝ってやっていたそうです。 子供の頃、祖父母のアルバムで、母屋の前で、何十人もの人たちが並んで写っていいる集合写真を見て、なんだろうと思っていましたが、農繁期の手伝いに来てくれた人たちとの記念写真だったのです。 田んぼが多い農家にはちょっと遠いところからも手伝いの人が来て、結構な人数の人が集まって田植え、稲刈りをやるのです。来てもらった農家は、手伝いにきた大勢の人たちに食事を振る舞い、決して『腹の細い』思いをさせないよう、十分に食事を用意して提供しなければなりませんでした。 いやぁ、同時の農家の女性は本当に大変だったでしょう。祖母もそれをやってきたのでしょう。もちろんお勝手も、この人数の食事を一人ではできないですから近所の女性たちが集まって相互に助け合っていたのでしょう。 今は、田植え機も、稲刈り機も機械化され、近所の応援なくして各自でできるようになりました。余談ですが、この相互に助け合う共同体は、今も残っていて、お葬式を自宅で行いますので、その際には、皆、仕事を切り上げて食事の支度や葬儀の準備にその家に行きます。この先は、それもなくなって行くのだろうと思いますが。 話を戻しますと、「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」は、祖父母の世代の人たちは、本当に、本当の実感を持って米や食物のありがたみがわかっていただろうということです。 安易にご飯を残して捨てることは、本当に罰当たりなことだったのです。 「食べ物を大切にしよう」よく言われる言葉ですがこの飽食の時代の私たちには、単なるスローガンのようなものになっているかもしれませんね。 ~祖父母が遺してくれたもの~祖父母はすでに他界してこの世界にはおりません。 「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と小さい頃に言われて、私は「はいそうします」と簡単に大切にできる人間になれたわけではありません。わかっていることと、できることは違うんです。 頭では理解していましたが、10代の頃、20代の頃、本当にはできていませんでした。 それは、甘いものを貪るように食べていた私のブラックな歴史が物語っています。(※1巻末参照) わかっていてもできなくて、一人暮らしの夕飯はチョコ!ちょっと罪悪感もありつつ暮らしていた20代後半祖母が亡くなりました。 祖母と私は心理的な結びつきが強かったようです。祖母を亡くした喪失感は言葉には言い表せないほどで、毎晩夢に見ること1ヶ月以上。 亡くなってからの、その1ヶ月以上、私は、ほどんど何も食べれない状態になってしまいました。 頭では食べなくては、何か口にしなければと思っても、あれほど、中毒で食べたくて仕方なかった甘いものも、食欲がなくて何も欲しくなくなりました。 そして、祖母は仏教徒でしたから四十九日の法要をし、その頃、ようやく少し気持ちの整理がついたのだと思います。 食欲が少し戻ってきて、最初に食べたのは、甘いものではなく、普通のご飯だったと思います。 一口、口に入れたとき、ご飯が美味しいと思い、美味しかった以上に、その時、「食べれることはなんてありがたいことか」と真に思いました。 こみ上げてきた感情と、食べる事ができたことへの感謝の思いは、今でも忘れられません。 それ以来、夕食がわりにチョコやチューインガムを食べる生活は卒業しました。 砂糖をやめるのはまだずっと後のことですが、約10年ほど、めちゃくちゃな食生活だったところから抜け出して、ご飯が美味しく、楽しく、ありがたく食べれるようになりました。 祖母の最後のプレゼント!なんて言ってしまえばかっこいいですが、まぁ、一種のショック療法になったということでしょう。 そんな明治女の影響を受けていますので、まめでのキッチンでも、食べ物を粗末にするスタッフに厳しいです。 お客様にお出しする以外の野菜くずや食材は、できる限り、賄いなどでいただくようにしています。鍋肌にたくさん料理が残った状態で洗おうとするスタッフは、もれなく私に叱られます。 「それくらいいいでしょ、ケチ臭いオーナーだな」と内心思っているかもしれません笑今まで、ここまで詳しく背景は話していなかったですしね。 ちなみに、タイトルの「がんこ」とはですね祖母の名前です。本当は『岩子』と書いて『いわこ』と読みます。本名です。女性に『岩』とつけるなんて子供心にすごい名前だなあと思っていました。名前の通り、がんこな岩のような人だと思っていました。(おばあちゃん、ごめんなさい)でも、言い方を変えれば、本当に『意志の人』でした。誰に認めてもらえなくても、誰にも分かってもらえなくても「天が見ていてくださる」と言っていたそうです。(私は子供だったので直接聞いたことはないですが母にはよくそう言っていたそうです) 実家の辺りでは、5月上旬が田植えシーズンです。土をおこした田んぼの匂いと、苗の匂いを思い出しながら、記してみました。 お読みくださってありがとうございます。 ※1 文中の”私のブラックな歴史が物語っています。”は、 以下にも記載があります。 https://mamedeno1.com/?p=375 https://mamedeno1.com/?p=537
seasonセンサー って、言葉を 勝手に私が作りました。 どう言ったらしっくりくるかなあと 考えた結果、 出てきた言葉です。 人間に体内時計があるなら、 同じような感じで、 季節ごとに どんな風に食べて暮らすか、 季節感を感じ取って 自然と口にしたくなるもの、 今季節には食べたくないなあと 思うものが わかるセンサーのようなものが あるんじゃないかな、という 話です。 人間が、狩猟していた時代が終わって、 土地に根づき、稲作を始めた頃から 季節に合わせて その時期に採取できるものを 食べ、何も採れない時期のために 保存食を編み出し、食べつなぐ、 そんな生活を私たちの祖先の方々は 長らくやってこられましたよね。 近代化し、工場生産の食べ物で 溢れる時代になる前は。 農耕民族だった私たちは、 自然と共存しながら 旬のものを食べ、 旬のものの幾らかを 味噌や漬物や保存食にして、 いました。 冬場の寒く食料の乏しい時期に、 保存食の少し強めの塩の入ったものを 食べるのは、体を温め、自然の摂理に かなっていたことだったと思います。 今みたいに、ナトリウムを沢山含有した肉を たくさん食べていた時代ではなかったですしね。 そんなご先祖さまたちは、 学問的にあーだこーだ言って 何かを食べてはいなかったと 思います。 親から子へと脈々と 受け継がれていたことでもあり、 自然がとても身近な時代だったので、 教わらなくても、 体内で、この季節にはこれが食べたいという センサーのようなものが働いていたんじゃないかと 私は思うのです。 これは、ご先祖さまだけではなくて、 現代でも、自然食をなさっている方は、 感覚が研ぎ澄まされていて、 seasonセンサーの感度が高いのではないかと 思うのです。 しかし、私たちの多くは、街中に住み、 街路樹や川縁の木々に注意を向ければ 多少の季節感はありますが、 気にしなければ、気温の変化くらいしか わからずに過ごしてしまします。 スーパーに買い物に行けば、 年中手に入る野菜も多く、 どの野菜が、いつが旬なのか、 ご存知ない方も、今とても多いように思います。 かくゆう私も、実家を離れて20年くらい マクロビオティックに出会うまでは 季節を忘れて過ごしていました。 もちろん、頭の理解で、季節はわかっています。 夏は暑いし冬は寒いし、スキー、スノーボードをやる アウトドアな一面もありますので、 雪山にも行っていたのですが、 seasonセンサーを働かせていなかったので 単なる季節なんですね。 言葉でどう説明していいのかわかりませんが。 センサーで感知しなければ わからないかもしれませんが、 ひょっとしたら、これは、 単なる外的な刺激を拾うのではなくて、 それを体に受けた時に、 どう感じるのか という内感と言うべきでしょうか、 内側で何を感じるか、 ということなんだと思います。 気温の変化を肌で感じた時に、 どんな感覚なのか、 また、 季節によって匂いが違います。 天候によっても匂いが違います。 台風の季節、 風が運んできた匂いでその台風の大きさに 驚き、体感として 自然に対して畏敬の念を 感じることもあります。 匂いだけではありません。 季節や天候によって、その場の 空気が違います。 これ、「空気読めない」の時に使うのと 多分同じ「空気」ですね、 その場にある エネルギー、パワーとも いうのでしょうか。 住む場所によって、季節を感じ易い、 感じにくいもありますが、 それ以上に、 私たちは、近年、 添加物たっぷり、人工甘味料、砂糖たっぷりの加工食品や、 生産性とコストカットのために化学的に生産された 調味料を食べることに慣れてしまい、 季節によって、これが食べたいとか 食べたくないとか、体調によって、 これは食べたくないとかの感受性が、 鈍化して失われてしまっているのでは ないでしょうか。 鈍化したものは簡単には回復しないかもしれません。 でも、「今、私はどんな感じかな?」と 注意を向けることと、 頭の理解でもいいので 「できるだけ旬のものを食べよう」 とするだけで、何か いつもと違った感覚があるかもしれません。 夏野菜は体を冷やす作用があります。 暑い季節には程よくとって、 暑気払いをしてくれるでしょう。 そんな夏野菜を冬に食べたら体がとても冷えるのですが それすら気付かない方も多いようです。 私は、春先にはよもぎが無性に食べたくなります。 冬の間に溜まった毒素を出そうとするのでしょう。 秋ぐちは、無花果の季節ですが、 私は無花果が子供の頃から大好きです。 名古屋では、秋に安城産の無花果が美味しそうに並んでいますが、 実は自分ではあまり食べません。 私の体質では、大きなあの無花果は1つ食べても 体の芯から指の先までものすごく冷えるのです。 火を入れてコンポートなどにすればそこまでではないでしょうし、 干し無花果は大丈夫です。 あくまでも私の体質の話で、無花果が悪いわけではないので 誤解のないように。 実家の無花果は、安城の無花果の三分の一くらいの大きさなので、 名古屋にきて、その大きさにとてもびっくりしました。 (余談です) なんだか話が脱線してきたので、この辺りにしようかと思います。 色々書きましたが、 何が言いたかったかと言いますと 要するに、 旬を知って旬のものを食べましょうよ! というシンプルな話です。 そうするうちに、seasonセンサーが うまく働くようになるのではないかなあという 私の仮説です。 seasonセンサーが働いた方がいいと思う理由は seasonセンサーが、体に負担をかけない食べ方に 導いてくれるのではないかと思うからです。 ということで、 当店まめでのでは、 季節外れなご注文は、 知らずしらすに お客様の体に負担をかけてしまいますので お断りする場合があります。 真冬にパイナップルなど南国のフルーツや 真夏にほっこり黒胡麻スイーツやホクホクしたさつまいもスイーツなど お断りすると思います。 お許しください。 (実際にあった例です) お読みくださってありがとうございます。
あれそれこれで出来ている!!という大切な話なのですが、 店舗で提供しているメニューに関する重要なお知らせが含まれております。 まめでのcafeにおけるメニューの件です。 オープン初期よりず〜っと、 定番的にありましたランチメニューの、 『車麩ランチ』を提供終了いたしました。 理由は、 車麩が小麦グルテンだからです。 車麩は、ビーガン、ベジタリアン、穀物菜食、マクロビオティックなどで お肉の変わりに満足感を持って食べることができる食材として、定番です。 しかし、当店には、小麦アレルギーの方や小麦で体調を崩される方がいらっしゃいます。 また、小麦が健康に与える影響など、広く知れ渡るようになり、 小麦を敬遠したいお客様が多くいらっしゃいます。 当店のスタッフの半数も、小麦をできれば避けたいと思っていまして、 賄いにも小麦を避けることが多くなってきました。 数年前から、このことは考えては、いたのですが、 敬遠する方がいる一方で、 車麩フライをお好きなお客様もいらっしゃるので、 メニューから外すのをためらっておりました。 しかし、このコロナ以降、 足が遠のいたお客様もおられ、 一方、新たなお客様もいらっしゃるなど お客様も変化してきました。 この機に、『車麩フライ』をメニューから外し、 『小麦粉』を使った料理をなくすことにいたしました。 しかしながら、現時点では いわゆる『グルテンフリー』の店というわけではありません。 お醤油はそのまま現在使っているものを使用するからです。 醤油を作るには麦芽を使います。 醤油は、奥出雲の井上醤油店さんの『古式醤油』を使っております。 丸大豆仕込み・天然醸造、原材料は(国産大豆・小麦・食塩)でして、 小麦アレルギーの方でもこの醤油は大丈夫な方も多くいらっしゃるようです。 しかし、グルテンフリーではありませんので、アレルギーの方は、 ご自身の体質・体調と相談してご自身で判断していただかなければなりません。 グルテンフリーとうたうには、 大豆醤油か、米醤油、雑穀醤油など、小麦を使わない醤油を使わなければなりませんが、 これらは、どうにもメインのお醤油に使うには、味があと一歩な感じがします。 ですから今は、醤油はこのように現行のものを使いますが、 この先、この醤油を使い続けることが難しい状況になるようでしたら、 将来、小麦不使用の醤油に変更する可能性もゼロではありません。 (今はお醤油の変更予定はありませんが) 当店まめでのは、開店当初は、 スイーツも小麦のケーキや焼き菓子のみで 米粉スイーツは1点も並べておりませんでした。 お客様の、米粉のロールケーキを作って欲しいという ご予約から始まって、米粉スイーツを時々作るようになり、 当店スイーツを、小麦アレルギーのお客さまがご利用されるようになり 次第に、小麦スイーツと米粉スイーツが、混在して並べてあると、 小麦アレルギーの方が、 間違ってお買い求めになったりすると怖いなあと思うようになり、 米粉スイーツを店頭に並べ始めて 一年経たないうちに米粉スイーツだけになりました。 ランチの方はこれに3〜4年ほど遅れましたが、 ついに小麦粉不使用になりました。 この状態は、 何を意味しているかと申しますと、 まめでのは、 お客様のご要望によって商品構成が変わってきたということです。 (もちろん、店としてのコンセプトの範疇でのことではありますが) 『あなたの体は、あなたが選んで食べたものでできています』よね。 そして 『まめでのは、お客様で出来ている』のです。 だからこうして変化してきました。 その、まめでのが 『砂糖不使用の店』としての情報発信を始めたのも お客様が、当店に求めているものとして 卵不使用や乳製品不使用を抜いて、 来店理由の中で、砂糖不使用が一番多かった項目だったからです。 こうして変化することは、まめでのだけではないはずです。 砂糖が及ぼす害は、多岐に渡り、私たちの体を蝕みます。 世の中の病気の半分は砂糖が関与していると言っても 過言ではない状況です。 多くの企業は、果糖ブドウ糖液糖などや砂糖などを多用しています。 これらの常習性、中毒性を利用して商品を売っています。 買う人がいるから企業は作り続けます。 そうなんです、 『世の中は、あなたの購買・消費行動でできている』のです。 だからより多くの人が 『砂糖が入っているもの、果糖ブドウ糖液糖など人工甘味料が入っているものは買わない』 という購買・消費行動をとることによって、世の中が変わってくるということです。 資本主義の社会では、企業は売れないものは作らなくなります。 私たちの購買・消費行動で砂糖にNOと言い、 私たちや私たちの後の世代に 砂糖に頼らない生活を創っていきませんか。 きっとそれは、私を動かしたあなたや、 まめでのの多くのお客様の願いでもあるのだと思います。 ======================= 《追記》 ランチ料理の小麦不使用は、数年前から過ごしずつ進められており、 ・デリにペンネやショートパスタの使用を止める ・パスタや中華麺など小麦麺のメニューを止める ・高野豆腐フライのパン粉を米粉パン粉に変更 ・唐揚げの衣を米粉に変更 ・コロッケの衣を米粉パン粉に変更 というようなことを進めてきまして、 最後に残ったのが、車麩だったのです。 こうして、 まめでのは、 新たに生まれ変わりつつあります。 これからもどうぞよろしく お願いいたします☆
今回は、 趣向を変えまして、 店主の甘い砂糖の 記憶の味について 書いていたいと思います。 真っ先に思い当たるのは、 トマトの話ですが、 今回は季節的に、 お餅で行ってみましょう! 私の出身は広島の山間部です。 冬になると、 年末から、年があけて春先くらいまで お餅をつきます。 杵付きではなく餅つき機ですが、 祖母の代から今は母が、 餅をつきます。 年末年始は、 スタンダードな白餅と鏡餅を作ります。 (西日本なので切り餅ではなく丸餅です) 正月には、お雑煮、 これは年明け、店で 「まめでの正月御膳」で よく似たものをお出ししていますが 具沢山なお雑煮です。 私が子供の頃は、 たくさんお餅をついていたので、 三ヶ日の後は、いろんな食べ方で お餅を食べます。 きな粉や海苔で食べるのが 一般的だと思いますが、 私の家では、 たまに、 きな粉餅は食べましたが それほど多くはありませんでした。 多かったのは、 砂糖醤油、 からの派生で 「バター砂糖醤油」 これが、子供の頃の 思い出の餅その1です。 熱々のお餅に、砂糖と醤油、 バターをのせて、溶かして食べるものです。 (こうやって食べる方、他にもいらっしゃるかもしれませんね) 甘くて濃厚な味が忘れらない味です。 ただ、今は砂糖も乳製品も(マーガリンなども) 怖くて口にできませんが、 代わりに、 コメ飴とお醤油と、ほんの少しの米油で これはこれで、 風味豊かなお餅が食べられるので、 時々楽しんでいます。 年があけてちょっと経った頃、 またお餅をつきます。 今度は、 『かき餅』です。 お餅をつく途中で、 黒豆や何かを入れてついたお餅です。 つき上がったら、なまこ型にして 冷やします。 1〜2日経って包丁でスライスします。 切り餅のような平べったいものを 四角くカットするのとは違って、 なまこ型のものをスライスするのです。 お菓子作りが好きな方はご存知の ビスコッティーを仕上げ焼きする前に 生地をスライスするのと同じイメージです。 そうしてスライスしたかき餅は オーブントースターや ストーブの上で焼いて食べます。 市販のかき餅は、黒豆で塩味のようですが、 私の家では、 ハイカラな祖母が 「ピーナッツと青海苔と砂糖」で 味付けしたものを考案?!(誰かに習ったかも)、 それ以来ずっとこのかき餅が作られ続けていました。 これが思い出の餅その2です。 市販のかき餅は、醤油をつけて食べるのだそうですが、 我が家の ピーナッツ青海苔かき餅は、 既にほんのり甘い味がついているので、 ストーブの上で焼いて、 そのまま何もつけずに食べていました。 今は私は、ピーナッツも基本食べませんし、 砂糖ももちろん食さないので、 何年もかき餅は食べていませんでしたが、 先日、残った餅米で、かき餅を作ってみました。 このかき餅は、 炒り黒豆&青海苔&オリゴ糖でした。 まめでのでは、オリゴ糖は使用甘味に入れていないので 販売はしませんでしたが ご来店の方の何人かにご試食はしていただきました。 このオリゴ糖、母がどこかの自然食品店で購入したものらしく、 それをもらったのですが、なかなか使う機会がなかったので入れてみました。 砂糖の6割の甘味なので、入れても入れても甘くならず、途中で甘くすることを 断念しました。 私の記憶の味には到達しなかったのですが、 食べた方は美味しかったと行ってくださる方が多くてありがたかったです。 春までにもう一回作りたいと思っていますので、 そのときは、コメ飴か何かに、 甘味を変えて作ってみたいと思います。 さらに、 そして春になったら蓬餅。 この辺りはスタンダードですが、 敷地内の山の麓で採ってきたよもぎは 香りがよく、 丸餅だけでなく あん入りのものも 作っていました。 あん入りは出来立ても 美味しいのですが、 日にちはたって 餅が硬くなったものを 焼いて食べると、 餅が柔らかくなった頃には 中のあんも熱々で、 火傷しそうになりながら はふはふと食べていたのを思い出します。 蓬餅は、まめでのキッチンでも一度作った年があります。 ただ、まめでのの餅つき機でついた餅は、 まあるいお餅がちょっと作りにくいようです 子供の頃、時々 餅を丸めるのや、あんこ入りの餅作りを手伝っていたのですが、 同じにならないのはつきあがりの状態が少し 違うからだと思います。 つきあがりの状態はともかく、 丸餅にするために 祖母や母のように一定の同じ大きさになるよう 餅をちぎっていくのは、みていたほど簡単ではなく、 まだまだ修行が足りません。 あ、砂糖の思い出というより 餅の記憶に脱線しました。 甘いものは、食べずに済んだら 言うことはないですが、 それでも、何かの節目節目、 ちょっとした自分にご褒美、 ホッと一息つきたいとき、 気持ちを沈めたいときなど、 食べたいと思う時があります。 だた、その時にできるだけ 体に負担がかからないよう 工夫しながら 砂糖や人工甘味料に頼らない 甘味を口にしていけるようになると いいですね。 今回もお読みくださってありがとうございます。 ========================== 【編集後記】 店主がいまはまっている甘みは キャベツ、大根の甘みです。 フルーツを食べるかの如く、 キャベツの芯や大根の切れ端を バリバリ食べてしまいます。 寒い季節に野菜は甘くなります。 それは自然の摂理。 私たち人間も、 頭の理解で何かをたべるのではなく 自然に体の声を聞いて 食べていけるようになるといいですね〜〜 ================================= ブログ記事はメルマガ配信文をrewriteしています。 直接メールで受け取りませんか? ブログには載らない呟きや記事もあります☆ maga.sugar-free@mamedeno1.com より配信いたします。 携帯メールアドレスをご登録されたい方は 受信できるよう設定をお願いいたします。 メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine
本当に『せかいでいちばんつよい国』 デビット・マッキー作『せかいでいちばんつよい国』 今日は、まめでの文庫(店の入り口に設置してある本棚のことです)の絵本を1冊紹介いたします。 ご覧になった方もいるかもしれません。 まめでのに置いてある絵本の大半は、絵本作家の私の友人たちの絵本ですが、珍しくこれは違います。 店をオープンするより前になりますが、私は、趣味で絵本を書いていた時期があり、その頃、書店で気に入って買ったものです。 「せかいで いちばん つよい国」デビッド・マッキー作 少しネタバレにはなりますが、お許しください。 ストーリーはこんな感じです(要約) むかしのおはなし。大きな国があって、 たいほうもたくさんあって戦争をしても強くて その大きな国の人々は自分たちが大きな国に住んでいて誰よりも幸せだと思って暮らしていました。 その大きな国のだいとうりょうは、世界を征服すれば、征服された人たちも幸せになると考えて、世界征服のために、戦争をし続けたのです。 どの国も死力を尽くして武力で対抗しましたが、次々に負けて大きな国に征服されてしまいました。 ついに大きな国は世界征服の目前にまできました。最後の一国は、とるに足りないと思えるほど小さな国でした。 その国を攻撃しようと行ってみると、なんとその国には軍隊がありませんでした。 戦おうにも戦う兵士、軍隊がなかったのです。 戦わずして占領できたと喜んだ大統領は軍隊を駐在させましたが、小さな国人々は、兵隊さんたちに料理を振る舞ったり、泊めてあげたりして、もてなしました。 小さな国の人々と兵士たちはすっかり仲良くなって、一緒に、その国の遊びをし、その国の歌を歌いました。 緊張感がなくなったことを憂いた大きな国の大統領は、緩んだ兵士を国へ戻して、シャキッとした兵士を新たに駐在させました。 時が立って、大統領は、少しの監視役の兵士をのこして帰国しました。 監視役の兵士達は、大統領が帰るや否や軍服を脱ぎ、普段着に着替えて野や畑に出ました。 一方、だいとうりょうが大きな国へ帰ってみると、至る所で小さな国の料理を作り、小さな国の遊びをし、小さな国の歌を歌っていました。小さな国の服を着ている人もいます。 大統領は国の変わりようにちょっと驚きましたが「まあ いいさ。どれも これも、せんそうで ぶんどってきたものだからな」と納得しました。 その夜、大統領は息子に歌を歌ってとせがまれ、思いつくまま歌ったのは、どれもこれも征服したあの小さい国の歌なのでした。 以上こんな内容のお話です。 実際の世の中は、この絵本のように簡単ではないかもしれません。 でも なんだか考えさせられる絵本です。 大きな国は小さな国を本当に征服したのでしょうか?「せかいでいちばんつよい国」って一見、大きな国のことのように思いますが、本当はどうなんだろう。。。 単純そうに見えて実はとても深いよう。 そんなことを私たちに考えさせてくれる絵本です。 目の前に差し迫った状態がある場合、 簡単に言えることではないですが、 将来、持たない世の中を想像してみたいです。 持たないことは不安かもしれません。 でも持っていることは火種になるだろうと思います。 持たないことには、天地がひっくりかえるほどの勇気が必要でしょうね。 お読みくださってありがとうございます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー《編集後記》多くの争い事の陰には砂糖が介在しています。 闘争心などには「肉」の存在が影響しますが ヒステリックな怒りや妬み、ウジウジした悲しみ、怒りにはお砂糖さん(果糖ブドウ糖液糖など人工甘味料もです)が一役になっています。 お砂糖なく、からりと軽快に生きていきたいですね。 ブログは、週刊メルマガをrewriteしています。 ブログには載らない呟きや記事もあります。 直接メルマガを受け取ってみませんか? メルマガは、maga.sugar-free@mamedeno1.com より配信しています(配信専用) 携帯メールの方は、受信できるよう設定をお願いいたします。 メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine
私まめでの店主は、 日々、自宅と店の往復ですが 仕入れや買い出しに 出かけることがあります。 出かけたらカフェに寄ることが あります。 オーナーさんが友人とか知人とかの店にも 行くのですが、 多店舗展開している カフェに寄ることも多々あります。 そのようなお店は、 アレルギー表示があったり、 私はアレルギーではありませんが、 乳製品は摂らないので ソイミルク(豆乳)のメニューが あったりして コーヒーブラック、紅茶ストレート じゃないメニューもいただけるからです。 で、たまにソイラテなど注文してみるのですが、 その際、何回か同じミスを繰り返しています。 やっぱり一般の世の中、砂糖は全然ノーマークなのです。 アレルギー表示が必要な品目でもありませんしね。 「豆乳」というと、いつも自分が使うものと同じと ついつい思い込んでしまうのですが、 店によっては、ソイ(豆乳)が調整豆乳なんですね。 そう、豆乳には大きく分けて 「成分無調整」の豆乳と 「調整」豆乳が あります。 無調整豆乳は、原材料が大豆のみですが 調整豆乳は、いろんなものを添加して ほんのり甘味があって口当たりよく 調整された豆乳です。 やっぱり甘いとみんな飲みやすいからでしょうね。 調整豆乳には、 カルシウムや安定剤や塩、 そして甘味が入っているのです。 水飴とか、トレハロースとか、 メーカーによっては 「砂糖」そのものが 入っているものもあります。 健康な食生活をしてきた方は 少々このような豆乳を取ったからと言って どおってことないでしょうが、 私のように、浴びるように砂糖を 摂ってきた黒歴史がありますと、 砂糖が心に影響を与えるなんて知らなかったです https://mamedeno1.com/?p=375 調整豆乳にも反応します。 とあるカフェで初めて調整豆乳の カフェオーレを飲んだ時は、 なぜ喉が痛くなったのかわからず、 本当にしばらく考えて、 ようやく気づきました。 ほんのり甘くてマイルドな豆乳だったと! 同じ会社の同じカフェでは 同じことは繰り返しませんが、 違う会社のカフェで、 つい先日もやってしまいました。 「豆乳ティー」なるメニューがあり、 確認もせず注文してしまいました。 いえ、厳密にいうと、 「お砂糖入っていますか?」と聞いたのですが、 「いいえ」という返事が即座に返ってきました。 ここでいう砂糖は、 「ドリンクに甘味がつけてあるか」を問う質問でした。 店員さんも豆乳の原材料表示までは気にしていないし、 私も思い込みで「大豆」のみをイメージしていたので、 一口飲んで、「あ〜やっちゃった」です。 まあ、この日は、何か飲みたくて入ったわけではなく、 次のアポイントまでの時間調整だったので、 飲めない豆乳ティーを目の前に、 時間を過ごしてカフェを後にいたしました。 故に、私は、ソイドリンクを注文する時は、 無調整かどうかを忘れずに確認しなければなりません。 (追記) その後、調べた限りでは、大手カフェのソイは、 ほぼほぼ「調整豆乳」のようです。 個人経営のカフェはひょっとしたら「無調整豆乳」の お店もあるかもしれませんね。(2022.03.24) そう言えば近頃、カフェや、市場で ソイ(豆乳)ではありませんが、 オーツミルクをよく見かけるようになりました。 オーツ麦を原料につくられたこれもミルク様の 飲み物です。 ほんのり穀物の甘味があって、オーレにしたら ほっとした安心感のある飲み物になります。 実は試験的に、昨秋のある期間、ティータイムに出したのですが、 玄米オーツオーレと穀物オーツオーレは お客様にも、とても好評でした。 想定外で面白かったのは、お客様の一人が、 豆乳ラッシーをオーツドリンクで作って欲しいと オーダーされたことです! これは初の試みでした。 好みはありますが、 私個人は「豆乳ラッシー」の方が好きです。 でも「オーツラッシー」は、これもありかな、 とは思いました。 なんというか、Yグルト系の乳酸飲料に近い シャびっと爽やか?!なドリンクになったからです。 いや、この時のお客様は、独創的な方々で、 私がやろうとも思いつかなかったことを させていただいて、とても面白く 興味深い体験でした。 そんなオーツミルクも ここ数ヶ月で、一般のスーパーでも見かけるようになりました。 ただ、オーツミルクは、オーツ麦だけでは成立しないようで、 いろいろ組み合わせて添加してあり、 ドリンクになっております。 傾向としては、ビタミンとか、油とか、塩、 乳化剤、安定剤、その他諸々。 メーカーによって入っているものが 違います。 私の感覚で、安心して飲めると思えたのは、 ブリッジ「オーガニック オーツドリンク」 くらいでしょうか。。。 http://<iframe style="width:120px;height:240px;" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" frameborder="0" src="https://rcm-fe.am azon-adsystem.com/e/cm?ref=tf_til&t=mamedeno-22&m=amazon&o=9&p=8&l=as1&IS1=1&detail=1&asins=B07ZJL7J1S&linkId=f799c645de6138fcf06b836c682fbe6a&bc1=ffffff&lt1=_top&fc1=333333&lc1=0066c0&bg1=ffffff&f=ifr"> </iframe> ただ、この商品、他社のオーツミルクと 比べると、やや粘度が少なく いわゆる少しシャビシャビ系です。 まあ、乳化剤や安定剤(増粘多糖類)、 ph調整剤などが 添加されていないので当然といえば当然ですが。 今後、安心な新商品が出てくると 良いなあと思っています。 このオーツミルク、手作りでも 作れるらしいです。 ネット検索すると 作り方が出てくると思いますので 気になる方は作ってみても 楽しいかもしれませんね。 今回はこの辺りで。 お読みくださってありがとうございます。 まめでの店主 砂糖の要らない暮らし 砂糖なしで E-magazineより =============== Copyright(c) まめでのcafe&ベジ(スイーツ) =============== ☆ ☆ ☆ ブログ記事をメールで受け取りませんか? メルマガ登録はこちらから https://my197p.com/p/r/Ac13bLp2 砂糖なしでE-MAGAZINE(週刊配信) ブログは、週刊メルマガをrewriteしています。 ブログには載らない呟きや記事もあります。 直接メルマガを受け取ってみませんか? メルマガは、maga.sugar-free@mamedeno1.com より配信しています(配信専用) 携帯メールの方は、受信できるよう設定をお願いいたします。 メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine
写真はイメージで、本文とは直接関係ありません。 先日のブログ、ハードスケジュールを乗り切るために、で、 こんなことを書きました。 ”季節が春に向かって来る頃まで もうしばらく 厳格な食生活をしようかなと思います” https://mamedeno1.com/?p=420 これはつまり、「春になるまで外食は控えます」っていう 宣言だったのです。 私まめでの店主は、 外食すると、普通にお砂糖は入っているし、 添加物は入っているしで、 体調を崩しやすくなってしまうのです。 特に冬場は、あまり汗をかきません。 なので、体に負担をかけてしまうものを 食べてしまうと、 夏場より体外へ排出しにくいようで、 症状が強く出やすいのです。 にもかかわらず、です。 先日の定休日に、出先で外食してしまいました。 おかげさまで、その日は 夕方には頭がぐらんぐらん痛くなりました苦笑 言い訳しますと、食べたかったわけではないんです。 確かに時間はお昼過ぎ、朝から食べていない。 けれど、実は、街にあふれている飲食物が 『わぁ、美味しそう!』という感覚はないんです。 「嘘やろ〜」と思います? 本当のとこ、嘘じゃないんです。 もう、私の中にインプットされている 経験と記憶で パブロフの犬のように 条件反射的に 「これ食べたら喉痛くなるだろうなあ」 「咳が止まらなくなるかな」 とか 「頭痛くなるだろうな」 「体だるくなるだろうなぁ」 と体が警報を鳴らしている 感じなんです。 本当のところ 外食することは 「恐怖」でしかないんです。 「じゃあ、なんで外食したの?」 って思いますよね、当然(笑 理由は、 好奇心を優先させたから、です。 そう、大袈裟にいいますと 外食は、 決死の覚悟で、 命がけで します。 どんな料理なのか知りたいがために。 とはいえ、なんでも無分別に 食べたのでは、 体調崩しすぎて 店を休むことがあっては いけないので、 ある程度、慎重に選択します。 この日はお蕎麦だったのですが、 無化調(化学調味料無添加) 自家製蕎麦 というコンセプトでした。 そう、「化学調味料不使用」は 素敵で魅力的です。 このお蕎麦やさん以外にも 無化調のラーメン屋さんは 時々見かけます。 無化調の中華料理屋さんも 知っています。 ただ、共通して言えることは、 「化学調味料を使わない」で 旨味を出すために 砂糖を比較的多く使っているということです。 その砂糖にやられて ひどく頭が痛みましたが、 いつもよりたくさん水分を取り、 梅干しを食べ、海藻を食べ、 なぜか白菜が食べたいという体の声に 従い、白菜をたっぷり食べ、 翌日の午前中には症状が 治り、ことなきを得ました。 そう、こんな風だから、 スタッフに繁忙期は外食しちゃダメよと 釘を刺されるのです。 けれど好奇心に勝てないことがあるのです。 この外食編。 まだまだいろいろありますので またおいおいに。。。 写真はイメージです。 ☆ ☆ ☆ ブログ記事をメールで受け取りませんか? メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine ブログは、週刊メルマガをrewriteしています。 ブログには載らない呟きや記事もあります。 直接メルマガを受け取ってみませんか? メルマガは、maga.sugar-free@mamedeno1.com より配信しています(配信専用) 携帯メールの方は、受信できるよう設定をお願いいたします。 メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine
こんにちは。 年が明けまして、お正月が過ぎた今がちょっと谷間でホッとする時期です。 毎年、年の後半、11月中旬位から始まり、12月クリスマス、年末おせち、年明けお正月御膳と続くこの時期は、まめでの店主が1年で最も注意を払う時期です。 万が一、体調を崩したならば、クリスマスケーキやおせちなどご予約いただいているお客様に、多大なご迷惑をかけてしまうからです。 体調管理には、一般的に考えられるのは、規則的な生活。しっかり睡眠時間をとり、きちんと食べて、など気をつけなければなりませんが、 私まめでの店主は、この時期、それらを全く実行できないのです。食べたり食べなかったりのいつ食べるか分からない食生活、いつどれくらい寝れるかわからない睡眠時間。1、2時間睡眠が数日続くとか1時間、4時間、1時間、3時間、みたいな1日おき睡眠。 年末から年明けまでのこの時期は全く不摂生極まりないにもかかわらず、体調を崩せないという矛盾した時期です。 でも、おかげさまで、今年もなんとかこのシーズンを無事終えることができました。 乗り越えられたのは、次の2点のおかげではないかと思います。 1つ目は、丈夫に生んで頂いたということ。これは自分でコントロールできることではありませんが、ひとつの説によりますと、自分より3代前の方たちの食生活が影響するのだそうです。3代前の方々が、粗食で、よく体を動かしていたのだと思います。どちらをどう遡っても、田舎で田畑を耕してた方々です。ご飯と煮物や漬物などを中心に食べていて、盆、正月、祭りなどに魚や刺身、晴れの料理を食べるくらいだっただろうと思います。 このような生まれ持った背景は変えようはありませんが、自分より後の世代の為に、残せるものはあるのではないかと思っています。 この年末年始を乗り越えられたもうひとつの要因は、 もう、このタイトル通り、『砂糖を食べなかった』からでしょう。 この砂糖とは、ただ単に砂糖だけではなくて人工甘味料も含めてです。 果糖ブドウ糖とか既成食品に入っている様々な人工甘味料。 これらをもし口にしていたなら、階段を転げ落ちるように体調を崩していたかと思います。 以前、1月の最も寒い時期に、中国料理の菜食の店で食事をしたことがあるのですが、一般的に「菜食」というだけのくくりでは、お砂糖は制限されていないのでその店では、お料理のあらゆるところに旨味を出す為に「砂糖」が使ってあったようで、 食事をしたのち、ひどい風邪をひいてしましました。鼻と喉をやられてしまい、回復するまで2週間ほどかかりました。 ただ、程度問題で、健康に気を遣われている菜食のお店さんだと、砂糖もてんさい糖や粗糖などで、使用量もそれほど多くないところもたくさんありますので菜食の店が一概に悪いわけではありません。 また、南国の気候風土では砂糖によって体を冷やし、暑さを凌ぐ為に取り入れられています。 ですから「菜食」の店が悪いわけではなく、南国ではない、私たち温帯地域の人が砂糖を多用することで、心身のバランスを崩してしまう懸念があるということです。 私も、この外食が、夏場だったなら、直後にちょっとした倦怠感があったのち、回復していたでしょう。 日本で最も寒い時期に砂糖をとってしまったが為に、ひどく体調を崩してしまったのです。 そんなことがあって、冬場には砂糖を摂らないという事を特に気をつけています。 本当に究極の不摂生の中にあって、一つだけ厳格にやってきたことがこれだったのです。 多忙シーズンの始まった頃、オープンから支えてくれているスタッフの一人が「砂糖食べちゃダメよ!外食しちゃダメよ!」と、念押ししてくれました。 今は一線を離れていますが、こうして気遣ってくれることがありがたく、もうしばらく、季節が春に向かって来る頃までもうしばらく厳格な食生活をしようかなと思います。 今の世の中、何にでも砂糖が入っていますので藤田 直子さんが日常で取り入れるのは簡単ではないかもしれませんが こちらよりはこっちがいいかな、という選択をとっていく事をおすすめいたします。 ちょっと頭の片隅にでも覚えておいてくだされば幸いです。 読んでくださってありがとうございます。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ブログをメルマガにて受け取ってみませんか?ご登録はこちらから↓ ↓ ↓ https://my197p.com/p/r/Ac13bLp2☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 砂糖なしで体が軽くなる、 無し無しづくしでいいことづくめの 砂糖なしの生活を提案します ----------------------------------------------------------------------- ブログは、週刊メルマガをrewriteしています。 ブログには載らない呟きや記事もあります。 直接メルマガを受け取ってみませんか? メルマガは、maga.sugar-free@mamedeno1.com より配信しています(配信専用) 携帯メールの方は、受信できるよう設定をお願いいたします。 メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine
先日お世話になっているある方に言われた言葉です。 当店は、砂糖不使用のランチやスイーツを提供しています。 なぜ砂糖を使わないかの理由の中に、これも含まれます。 そう、『まめでの』は、 あなたが心身ともに健やかであるように という願いを込めた言葉です。 『心身共に』なんです。 砂糖を摂ると、血糖値が急上昇し、 それを下げるために膵臓はインシュリンを出し、 血糖値を下げようとします。 インシュリンによって血糖値は下りますが、 急激に上がったので急いで下げようと 排出されたインシュリンは、 急降下で血糖値を下げます。 急激に上がった血糖値は、今度は急激に下がり、 下がったので、 「もうこれ以上、血糖値を下げなくてもいいよ!」 という指令が脳に届く前にどんどん インシュリンを出し、 今度は血糖値が下がりすぎてしまいます。 ようやく血糖値が下がったと感知した時には 低血糖と言われる状態になってしまっているのです。 この血糖値の乱高下は、心を不安定にします。 なんだか落ち着かなくて イライラしたり ヒステリックになったり、 はたまた、 不安な気持ちになったり 物事を悪い方向に考えたり クヨクヨ悩んだり あ、まるでひと事のように書いてますが、 これ私のことでもあります。 砂糖を常用しない今は、先のブログ、 あなたは知らない間に麻薬よりこわいものに冒されているかもしれません に書いているように、うっかり摂ってしまって、 血糖値が下がる時に、 なんか気持ち悪くて、落ち着かなくて 砂糖を求め!? ないとわかっていても戸棚を上げ締めする おかしな禁断症状の名残が起こるくらいです。 しかし、昔は、 特に、17歳のころ、ダイエットした時、 本当に顕著でした。 最初は、食べる食事の量を減らす、という単純なダイエットでした。 当時はカロリー制限で痩せると思われていた時代です。 ですから食品成分表を片手に、カロリーを計算しながら 食事をしていたのですが、次第に、 どうせ何か食べるなら、食べたいものをちょっとだけ食べよう! と考えるようになり、食事の代わりに、 大好きな和菓子やお菓子を少し食べることにしたのです。 当時実家には、来客用に茶菓子が結構ふんだんに常備されていました。 そんなカロリー神話の時代に、カロリーブックを頼りに 私は、砂糖大量摂取時代に入って行ったのでした。 その結果、もたらされたのは、 イライラしたり ヒステリックになったり、 「シュガーハイ」 という言葉でよく説明がされています。 基本、学校では大人しく、 家でも兄弟たちがヤンチャだったので 普段はしっかり者のお姉ちゃんだったのですが 親に何か言われると、金切り声を上げて反発! なんてことがよくありました。 え、それ反抗期だからじゃないの? ええ、まあ10代はそんな年頃ではありますが、 客観的に見ましても、 そこまで感情が激しく昂るのは、 下の兄弟たちを見ても そこまでじゃなかったかと思います。 その頃より少し幼い時の話になるのですが、親に連れられて、 クラシックのコンサートに行ったことがあるのですが、 どうしてもじっとして席に座って見ていられなかったことを よく覚えています。 周りはじっと静止して音楽に耳を傾けているのに、 どうしてもモゾモゾ動かずにはいられなく、 なんでじっとできないのかなぁと自分で思ったことがありました。 ただ単に子供だから興味がないことに集中できなかっただけじゃない、 と片付けてしまっても良いのかもしれませんが、 間違いなく言える事は、自分でもじっと集中したかったのに できなかった、という事です。 この時以外にもしっかり聞き逃さないように!と思っているのに 上手く集中できなかったことをいくつか覚えています。 小さい頃は市販のおやつやインスタント食品は食べさせてもらえず、母は厳しく食育してくれていましたが、小学校2〜3年頃から自分で台所に立つようになり、来客用の茶菓子や 祖父母が薬を飲用後にお口直しするための甘い菓子が目の届くところにあったので、共働きの父母のいない間に口にする機会が増えていったように思います。 これは、砂糖だけじゃないかもしれませんが、食べ物が影響していると今では考えています。 そんな時々シュガーハイな時期が数年続いたのち、 一人暮らしの大学生活を送っていた20歳前後は すでに親の目も届かず、チューインガムが夕飯、 もしくは板チョコが夕飯、 なんて日々を過ごしました。 卒業後、就職して一人暮らし。 初めての暮らす土地で、仕事と家の往復生活の中で、 いよいよ加速して 「うつうつ」した抑うつ時期がやってきました ですが、 当時、自分が物事をネガティブに捉えたり、 していた自覚はほとんどないのです。 後になってみて、ちょっとふさぎこんでいてそうだったなぁと 気づいたのです。 けれど、甘いものは、落ち込んだ気持ちを高揚させてくれ、 ひと時の幸福感を与えてくれるものでした。 この頃の、甘いものは、完全にお菓子を通り越していました。 家に甘いものが何もなければ砂糖をダイレクトに食べる。 という今考えれば死ぬほどおそろしい食生活をしていました。 そうやって一時の気分の高揚と、その後におとずれる気分の低下とを 繰り返していたのでした。 こんな17歳から24歳くらいまでは 私の心と体に影響を及ぼした 『第一シュガー暗黒時代』 ともいうべき 白くて黒い時代の幕開けでした。 食べ物が心と体に影響を与えることは、 マクロビオティック(自然の摂理に沿って物事を捉え、食べ物を食べたり生活すること)でも言われています。 砂糖には、体に主に次のような作用を強くもたらします。 ・体を冷やす ・体をゆるめる ・気長になる ・動作がのろくなる ・睡眠時間が長くなる 「・体を冷やす」は、そのまま、まさに冷やしてしまうので、免疫力も落ちて体によくないのは分かりますね。 先に 「・気長になる」は、よく言えば気長に待てたりするとも言えますが 優柔不断で物事をなかなか決断できない、もっというと、グジグジ考えて行動できない、などの特徴もあるかと思います。 「・動作がのろくなる」は、動作自体がゆっくりモードなのもあると思いますし、くずくずしてなかなかとりかからないなどにも当てはまるかもしれませんね。 「・睡眠時間が長くなる」気分がシャキッとせずにいつまでもダラダラ寝ていたい、とかでしょうか。朝がきたらぱっと起きる!はこれの反対側なのかと思います。 これ、副交感神経が優位すぎるとか、そういうこともあるかもしれませんね。。 「・体をゆるめる」は、これが一番わかりにくいかもしれません。 例えば、すごく緊張した時に甘いものを食べると、ふっと和む感じもそうです。緩むんですね。だったら砂糖もいいじゃん!と考えがちですが、緩むと同時に血糖値が上がりますから、その後の急降下で体に負担かかかりますよね。 甘いものは、確かに心を和ませて幸福感をもたらしてくれるものです。(これが麻薬的と言ってしまったらそれまでですが) ですから、全くなしにしてしまうのは寂しいものです。 そのためにも、甘味の質を変えて、体に負担をかけにくい甘味を取るように心がけ、豊かなスイーツライフを送っていくことをおすすめしたいのです。 今回のタイトルと、少し離れますが、 この「ゆるめる」は、結構重要キーワードでして、 粘膜をゆるめる作用でもあります。 粘膜が緩むとそこから、ウイルスや細菌が進入しやすくなります。 今、もうこれ以上の説明は不必要かと思います。 砂糖は避けましょう。それは、液化糖など人工甘味料も然りです。 緩ませすぎて良いことは何もありません。 砂糖は薬品であって、食べ物ではありません。https://mamedeno1.com/?p=278 残念ながら、心と体にとって、 摂らずにすむなら、そのほうが良さそうです。 https://twitter.com/naopanana ☆ ☆ ☆ ブログ記事をメールで受け取りませんか? メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine 砂糖なしで体が軽くなる、 無し無しづくしでいいことづくめの 砂糖なしの生活を提案します
誰かがどこか具合が悪い!というと、必ず一度は開く書籍です。 https://amzn.to/3kSVcgK この本の巻末に「電子レンジや炊飯ジャー」という項目があります。 何が書かれているか、抜粋でご紹介させていただきます。 電子レンジや炊飯ジャー電子レンジのエネルギーはラップも溶かさない。普通の熱とは違います。強力な震動熱で、この震動熱で早く調理ができ便利です。今はガスや電気で調理しますが、煮たり、焼いたり、蒸たりするのに時間がかかります。ところが電子レンジは、全て短時間でこと足り簡単です。早くやわらかく調理できるのは、食物の細胞分子を破壊するから早い。この分子はごく小さなものですが、この集まりが細胞です。そのもとの分子がきれてしまうと、料理を食べた時、分子は反動的に体内の酸素をつかみ、切れた分子をつなげる(自然治癒力の働き)ために使われるので、体の中は酸素欠乏をおこします。酸素欠乏とは?酸素不足が血液をはじめリンパ液、ホルモン、酵素等の酸性化で、これ等が共に細胞に作用し、細胞の異変を作ります。その結果、酸素欠乏の細胞ができる。これが病気であり、またガン細胞にまで至ります。不健康のもとは酸素欠乏からと言ってもいいと思います。〜中略〜ガンをはじめ、治りにくい難病といわれるものは、体の中に入ってくる食物が問題。血液や体液、そして細胞も食物からできているからです。この体液を浄化(酸性化を防ぎ、弱アルカリの中庸にする)する食生活をするのが健康法の正道と言えましょう。食品添加物にしろ、農薬にしろ、すべて同じ結果を作るわけですし、こんな点からも健康的調理をして、細胞に酸素がゆきわたる食物をいただくことの重大さがあるわけです。 私の学んだマクロビオティックの先生の言葉を思い出します。 「お病気治しをされている方が、電子レンジを使ったものを食べている方とそうでない方とでは治り方が倍くらい違う」と。 電子レンジを使っていると治りにくいということですね。 電子の力で食物の分子を振動させた震動熱がなぜ体によくないかを記してあってとてもわかりやすい記述だと思っています。 折に触れ読んでいる項目なのでご紹介いたしました。 電子レンジの怖さ、 これは、 私が23歳の時、 当時アメリカに留学していた友人との約束を守って、 少なくとも、20年間誰にも話さず、 トップシークレットにしていたことです。 その時から実は今は30年経っていて、シークレットは、解除しました。 なぜ、解除したかというと、自然派の人たちの間で、すっかり話題になっていて(笑(笑い事ではないですが汗) もうトップシークレットではなくなったからです。 今は、電磁波が危ない!という内容の書籍は沢山出版されていて、皆様もご存知でしょう。 「トップシークレットだから誰にも話さないで! 抹殺されるかもしれないから!」 から20年経った頃、自然食に目を向けてみれば、すでに知っている人は知っている事実になっていたのです。 「あぁ、もう知れ渡っているのね」とちょっと肩の荷が降りたような気持ちでした。(危険な事実は変わりませんが) 当時、彼女が言っていたのは 「電子レンジの開発をしている研究員の人たちはみんな子供ができなくなった。 で、研究所をやめたら、ようやく子供ができた。 どうも原因は電磁波にあるようだ。電磁波が人体に悪影響を及ぼしているらしい」 という内容のものでした。 開発のために一日中、電磁波を浴び、電磁波で壊れた食材を試食もしていたでしょうから、毎日そんなことを繰り返していたら、確かに、体に異変が起きても不思議じゃないですね。 私は自然食の世界に入った頃は、DTP(印刷物のデータ制作の仕事)をやっていて、半径1メーター以内の360度パソコンに囲まれた環境で働いていました。 これだけ囲まれると、ものすごく体が冷えるのです。 芯から冷えました。 当時、玄米菜食を始めていましたが、冷えは治らなかったです。 仕事に行くのに、冬場は、雪山にスキーに行くときのインナー並みに着込んでいました。 今はキッチンで動き回って、直火の近くでもありますし、 嘘みたいにけっこう暑がりです(笑。 さ、そして、 書籍の続きをご紹介しますね 炊飯ジャーはどうでしょう玄米食をしている人でも、炊飯ジャーに一日中入れたり、ひどい人は次の日まで入れっぱなしにしておく。すると色が変わってきます。分析するとビタミンB1・酵素は半日で1/2にへってしまう。長くおけばおく程損失は大きいという実験もあります。自然の食物には分析に出てこない、まだまだ未知の成分が多くあります。これ等も共に失われてゆくことを思った時、電子レンジでも炊飯ジャーでも、ちょっとあたためるとか、遅く帰る人のために保温する位に上手な使い方が大切です。自然は健康になるためには、便利で簡単なものにばかり頼ってはいけないよと教えます。自然の火である薪や炭は、現代生活では難しくなりました。でも唯々便利さだけに目がくらんで、健康まで犠牲にしない心の芽を育ててゆきたいと思います。 なんだそうです。 私は、 子供の頃から、保温ジャーに保温したご飯が嫌いで、 炊き立てのご飯しか食べなかった我がままな子でした(汗 保温するくらいなら炊き立ての冷やご飯の方がよかったんです。 親にしてみたら、何ともめんどくさい子でしたでしょうね、 我ながら(汗 だから、今でも 店のご飯は一応営業開始前に保温ジャーに移すのですが、とにかく保温が嫌いなので、ラストオーダーの時間にはスイッチを切るようスタッフに指示しています。 少し前でも切っていいと伝えています。私が操作する日は、一刻も早く切りたいのでフライングで14時より前にスイッチオフにすることが多いです。 一人で営業している日は湯煎にしていることもたまにあります とにかく、あの保温臭がダメなんです(苦笑 子供の頃から。 先日、アンケートを取らせていただいた中のコメントで 「酵素玄米はどうなんだろう?」と書かれていました。 どうなんでしょうね。 一つ言えることは、あれ、便利は便利ですよね。 むかしマクロビオティックの勉強をしていた頃、 東京に泊まりがけで勉強しに行っていたので、 2〜3日家を空けるのですが、炊飯器いっぱい酵素玄米作っておけば、 私が帰ってくるまで家族はご飯を炊く心配をしなくていいので、私も助かりました。 あとは作り置きのおかずを用意さえしておけば、心置きなく出掛けられましたから。 ただ、やっぱり私個人は、 「炊き立ての小豆入りの玄米ご飯」は好きですが、保温しっぱなしのご飯は、例え酵素玄米で消化もいいと言われても、 積極的には食べれないです。 前にも別な時に触れましたが、私は頭の理解だけで食べていないのです。 他の方には良いものかもしれません。 個人個人違いますから。 しかし残念ながら私は、この食物から食物の持つパワーが感じられないのと、やはり匂いで体が欲していないので進んで食べることはないと思います。 私が学んだ東京のマクロビオティックの授業で、 誰かが、 「酵素玄米ってどうなんですか?」 と質問していました。 その先生は 「酵素玄米を食べて元気になった人を見たことがない」と おっしゃっていました。 実は、私もまだそのような方に、お会いしたことがありません。 その人自身が、「酵素玄米を食べてなんか調子がいい」と思われたら、 その方にとっては向いているのだと思います。 全ての書物や何かを読んだ訳でもありませんが、 酵素玄米の効能はいろんなところで記述があるのですが、 酵素玄米を電子ジャーに長く保温しておく電磁波の影響や失われる栄養素などについて直接記述したものは見つかっておりません。 あるのは私の心証とマクロビオティックの先生の言葉、そしてこの東城百合子先生の炊飯ジャーの記述だけです。 <a target="_blank" href="https://www.amazon.co.jp/gp/search/ref=as_li_qf_sp_sr_tl?ie=UTF8&tag=mamedeno-22&keywords=自然療法&index=aps&camp=247&creative=1211&linkCode=ur2&linkId=6a25746e0bf5ff5c9561909e49531df6">自然療法</a> ☆ ☆ ☆ ブログ記事をメールで受け取りませんか? メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine 砂糖なしで体が軽くなる、 無し無しづくしでいいことづくめの 砂糖なしの生活を提案します