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    ノンシュガークッキング2.0

    こんにちは。 少しご無沙汰していました。 まめでの店主改め、 自称:ないない料理研究家 藤田名帆子です。 砂糖を使わないクッキングメソッドサイトまめでのを運営しています。 2022年より開始しましたこのクッキングサイトですが、 この間、砂糖なしクッキングの購入者様にレシピと手順動画、そして砂糖なしのマインドを提供をしており、 購入者様から、喜びの声や驚きの声、 さまざまなご要望もいただき、 サイトを少しずつバージョンアップしてきました。 さて、今回、このクッキングメソッドをご紹介したいのですが、 その前に、少し砂糖のお話と私の体験談を聞いてください。 日本の食卓では、ほとんどの料理に隠し味で『砂糖』が入っています。 私たちは、食べ物に入っている甘さを、実は『旨い』と感じていることが多いのです。 砂糖には、食べたらまた食べたくなるという強い常習性があります。 それはドラッグより強い中毒性で、簡単には抜け出せないのものです。 食品会社の多くは、この常習性を利用して、甘みをたくさん入れ、甘いとわからなくするために塩けも強くして濃い味の食品を作り、 それによってまた食べたくなりリピート買いするという仕組みになっているのです。 しかもその甘みの多くは砂糖よりもっと安価で厄介なブドウ糖果糖液糖などの異性化糖と言われるものです。 私たちの大半は砂糖(異性化糖も)の中毒ループにハマり、 それと気づかず砂糖を欲して繰り返し食べ続けているのです。 『砂糖は病気のデパート』です。 あらゆる病気や体調不良に関与しています。 ちなみに、私は、砂糖が食べれません 口にすると、目に見えて体調不良になるからです。 そんな私は、以前はひどい砂糖中毒でした。 でも当時は、自分が砂糖中毒だなんて思いもしませんでした。 ちょっとした体調不良がきっかけで、、 独学で、ゆる~く玄米菜食を始めましたが 砂糖をやめた方がいいとまでは思っていませんでした。 ただ、白砂糖はよくなさそうな気がして、 レシピ本なども白砂糖は使っていないので、 白砂糖はやめて、甜菜糖に変え、 甜菜糖を使ったパウンドケーキを毎日焼いて食べていました。 あるとき、マクロビオティックの著名な方に、 望診という、顔や体の見た目を観察することで 体調や体質を測る漢方の診察法で見てもらったときに、 私の体調では、砂糖をはじめ、甘いものを止めるように言われたのです。 「3~4ヶ月でいいから甘いものをやめてみなさい」と言われていました。 「甜菜糖も蜂蜜もですか?」 「そうです」 「····」 それでも、そんなことが必要?と半信半疑でした。 思いもよらないことで、信じられず、拒絶する気持ちの方が大きかったかもしれません。 けれど、甘いものを止めることが、本当に必要かどうか、 それをやってみて検証するしか、真実はわからないと思いました。 そこで、心を決めて、3ヶ月、やってみることにしました。 3ヶ月だけ、と思ったからできたのだと思います。 定期的にマクロビオティックの料理を学びながら、 自宅で実践するようになりました。 当時、食べていたものは、私のカフェで出していたような 玄米と、植物性の料理でした。 3ヶ月経ちました。 今までとは違う味付けや調理法だけれど、 この新しい料理がすっかり気に入ってしまっていました。 なので、つらいといった気持ちはありませんでした。 不思議と甘いものが食べたいという気持ちが あまりおきませんでした。 このみたこともない料理法が新鮮でおもしろかったからかもしれません。 私のこの新しいライフスタイルがすっかり気に入ってしまっていたからかもしれません。 けれど、自分が何か変わったか? 望診で言われたことを実践して何かが変わったか? 実は、この時、全く実感がありませんでした。 「望診してもらっても意味なかったかなぁ」 と正直思っていました。 それでも、 新たな料理法に出会って、 それが面白くて、 3ヶ月経った後も止める理由がなくて 続けていきました。 続けていく中で、ある時気づいたのです。 何かのはずみで砂糖を食べてしまった時に 体調が悪くなることが分かったのです。 砂糖をやめて食べない生活の中で、うっかり砂糖を口にしたことで これまでの不調が砂糖が原因だと気づいたのです。 砂糖をやめて ·慢性的な鼻詰まりが治っていた。 ·毎晩、就寝中に咳が出ていたのが治った。 ·よく喉が痛くなっていたのがなくなった。 砂糖をとると顕著に症状が現れるので そのとき初めて砂糖が原因だと気づいたのです。 確実に砂糖だとわかるものだけでもこれだけ ありますが、 関与しているだろうと思われるものも他にもあります。 砂糖をやめて ·生理痛がなくなった。 ·視力が回復していた。 などがあります。 視力回復は驚きました。 私はそれまで視力が0.3~0.5くらいでした。 叔父が、眼鏡店をやっていて、 「そろそろ新しいメガネを作ろうかな」と 店に行って検査したところ、 叔父が 「視力が0.9くらいあるからメガネは必要ないんじゃないの?] と。 「車の免許証もこれでメガネの限定が解除できると思うよ、行ってみたら?」 メガネを新調することなく店を後にし、 勧められるように、運転免許証の変更の手続きに行き、検査したところ、 見事クリアし、眼鏡なく運転しても良いことになりました。 (ただ、現在、ほとんどペーパードライバーですが) その後の免許更新も寝不足で悪コンディションでしたがクリアし、 現時点でも眼鏡なしの状態です。 思い返してみると、子供の頃、視力が2.0だったのが 視力が落ち始めた時期と、 甘いものにはまって 普通の食事がわりにもチョコや甘いものを食べるように なった時期とが見事に同じだったことに このとき気づきました。 「砂糖はよくない」と本当の意味で『気づいた』のは この時、砂糖をやめてから後だったのです。 砂糖をやめて、15年になります。 ひどい中毒だったと、後になって気付いたということなんです。 この砂糖中毒を、何の苦痛も感じずにやめれたことは 砂糖を使わない料理に出会えたからだと思います。 砂糖がなくても料理は美味しいと知ることができたからです。 楽しくなければ続かなかったと思います。 「今までとは違うこの料理を 食べ続けたらどうなるのだろう?」 そんな探究心で楽しく料理を実践してきました。 私が学んだ料理の分野は、 「マクロビオティック」というものです。 ただ、これは、丁寧に料理を作るが故に、 ·日常、お仕事を抱えて忙しい人や、 ·子育てで、なかなか料理に手がかけれないという人、 ·料理に苦手意識があって、やるのが億劫な人、 ·健康にいいのはわかるけど、めんどくさいと思っている人 にとっては、 なかなか継続して続けるのが難しいように思います。 そこで、料理教室をやろうと思い立った時に、 手に入れやすい材料で、 簡単で、 時間をかけずにできる、 をモットーに マクロビオティックでもなく、 今までのカフェのメソッドでもなく 今まで築き上げたものは生かしつつも、 固定観念は捨てて、 おうちで簡単に作れるレシピを開発いたしました。 大切なことは、 砂糖を使わない料理を まずはやってみる、 作ってみることが大切だと思っています。 難しいことは置いといて、 とにかくまずやってみることが 大切です。 楽しく簡単にシンプルに作る 発想を転換したクッキングを あなたのお好きな時間に あなたの自宅や好きな場所で モバイルやパソコンで学べる クッキングサイトを作りました。 ただいま、募集を開始いたしましたので お知らせいたします。 ↓ ↓ ↓ https://mamedeno1.com/km-pro/net-cooking_lp_20220612/net-cooking_sl_2024_0503 申し込み期限は5月6日です。 どうぞよろしくお願いいたします。

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    植物性でタンパク質はどうやって何を食べればいいですか?

    これは、本当によく質問されることです。 かつて十数年前、私も、料理教室も先生など何人かの方に質問したことがあります。 私は、小学校の家庭科食物で、肉や魚、卵などが 「血や肉を作る食べ物」と西洋の栄養学に基づいた知識を教わったのでその発想で質問したのです。 私は食生活を変えた十数年前、当時は動物性のものは食べなかったのですが、 実はヴィーガンというわけではなく、 マクロビオティックという食事法を実践していたため、 体を健康的な方向に整えるために動物性のものを食べなかったのです。 先生方から帰ってきた答えは、 「コーフー」など食物成分上、やはりタンパク質の多い食べ物だったりしたわけです。 ちなみに「コーフー」は小麦グルテンから作られたもの。 生麩に近い感じの弾力のある食べ物です。 これはまだ、今のように小麦のグルテンが体に与える影響をあまり問題視していなかった時代の話。 それでも、この小麦グルテンは消化が良くないのと、小麦が腸を痛めることはわかっていたので 血や肉を作るためにコーフーを積極的に食べるのことは、なんだか違うような気がしていました。 小麦グルテンじゃないなら、大豆や大豆製品、とも容易に想像がつくのですが、 だからと言って「主菜(メインのおかず)」を毎食大豆や大豆製品のもの、というもの なんだかそれも違うような気がしていました。 結局、答えがわからないまま、年月が経ちました。 ここで、質問の答えなのですが、 『正直、何が正解かはわかりません。』 というのが一応の私の答えです。 ではあるのですが、 ここ十数年、自分の体を常に実験台にしてきた私が導き出した一つの考えが あります。 こうも意識して「タンパク質」「タンパク質」といって 「『タンパク質を取らなけれなならない』という考えが そもそも、間違っているのではないか」 ということです。 「タンパク質」は西洋の栄養学で言われてきた概念です。 私が小学生の頃は、六大栄養素の一つとして 血や肉を作るものとして「タンパク質」と言われていました。 (今も同じのようです) しかし、私の友人、知人の中には、生まれた時から動物性のものを 食べない菜食の人たちがいます。 彼らは、「タンパク質を摂ろう」という意識なく食生活を送られているように 感じます(私の目には) 彼らは、親、もしくは祖父母の代から植物性のものだけ食べてきて、 植物性だけで体ができています。 彼らはある程度自分で食べ物を選んで食べれる年になった時に、 友達と同じようにちょっと肉食をしてみることがあったそうです。 普段食べていないので、体調が悪くなるそうです。 食べた翌日は、獣のように髪の毛がバリバリに逆立つそうです。 彼らは、食べた植物性の物から、血や肉を作っていることになります。 近年、特にタンパク質を取ることが重視されているようですが、 本当にそんなにタンパク質をとらなければいけないなら、 彼らはとても虚弱な体質なはずです。 しかし生まれながらの彼らは、特別痩せすぎていたり、虚弱な体質ではなく、 活き活きと健康そうに見えます。 タンパク質を食べなければ、肉体が作られないのだとすると、 草原の草しか食べない鹿やインパラなど草食動物はどうやって体を作っているのでしょう? あの大きなゾウやキリンも草食動物ですね。 植物性と言っても大豆などを食べているわけではありません。 乾いた草原の草や干草を食べているのです。 この件でネット検索すると、草に含まれるごくわずかなタンパク質を、 草を大量に食べて補っているとする記事もあります。 しかし、生まれながらの菜食者たちが、野菜を大量に食べているのを私は見たことがありません。 これを説明できる一つの仮説があります。 『原子転換』です。 「生物の内部で特定の元素が、別の元素に転換する」というものです。 しかし、『原子転換』は昔から論争があって、 化学的には証明できないものだとされています。 私は科学者でも研究者でもないので、 「草を食べた後、体内で『原子転換』が起こって、 草食動物の血や肉を作った、とはとても言えません。」 ですが、私が見てきたものを素直に捉えるならば、 「特にタンパク質が多いものとは限らず植物性のものを食べて それで体を作り、生きている人たちがいる。 そして彼らは、そのことを起因として不健康でも虚弱でもない。」 ということは紛れもない事実です。 ですから、近年の「タンパク質信仰」はちょっと度を越しているように感じます。 ただ、長寿であるためには、ある程度、良質のタンパク質が必要であることも 否定はできません。 しかし、だからと言って、肉や魚をたくさん食べていると、 一方で消化しきれなかったものが、臓器に溜まっていき、 他の重篤な病気につながる可能性もあり、注意が必要です。 また、生まれながらの菜食者を取り上げましたが、 人生の途中から菜食になられた方は、注意が必要だと 私の経験上、思います。 小さい頃からある年齢まで、動物性のものを食べていた人は、 体を作ってきたのは動物の食べ物です。 血や肉を動物の食べ物で作るよう体の仕組みが出来上がっているので いきなり菜食になっても、体が対応してくれませんし、 簡単には順応しません。 無理に頭の理解で厳格に菜食を続けると、 体力を落としたり、筋力がなくなったり、 貧血やカルシウム不足に陥ったりする可能性があります。 常に、「今自分の体はどうなのかな?」と問いかけて 必要ならば、たまに動物性のものを慎重に口にしてみてはいかがでしょう? ヴィーガンの方などはこれは受け入れ難いのかもしれませんが、 動物も生き物ですが、野菜や穀物など植物も生き物です。 生き物の命をありがたくいただいて体を維持していると 感謝して口にしてみてはいかがでしょう。 長くビーガンや菜食をされている方は、おそらく 植物性だけで体を維持する体になってきていると思うので 動物性のものは必要なくなっている方がほとんどだと思います。 知り合いの中には、二十歳の頃から20年以上ビーガンという方もいます。 その方は、ナチュラルに体の声に従ってこれは食べれるけど、これはちょっと無理かな、という感じで食べるものを選択されているようでした。 決して単なる知識や頭の理解や禁止事項などにとらわれていない印象を受けました。 この方も特段、植物性であってもタンパク質を摂ろうとされているようには見えませんでした。 冒頭の質問「植物性のものでタンパク質はどうやって取ればいいですか?」は、 結局のところ、明確な答えが見つかってはいません。 万人共通の答えもないのではないかと思います。 ただ、自然に沿った食べ方をしていると、心身の声に気づけて、 今何を食べたらいいのかを自分自身で導いてくれるのではないかと思ったりするのです。 答えになってなくてごめんなさい。

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    保護中: 『チャチャっとかんたんベジごはん』料理教室

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    市販のタレ・ソース・麺つゆ

    原材料名で砂糖が先に記載されており、割合的に最も多く入っていることがわかる。 原材料名で砂糖が先に記載されており、割合的に最も多く入っていることがわかる。 原材料名で醤油の次に砂糖が記載され割合的に多く入っていることがわかる。 原材料名で醤油の次に砂糖が記載され割合的に多く入っていることがわかる。 糖類と総称して、「ブドウ糖果糖液糖」と「砂糖」が入っている 糖類と総称して、「ブドウ糖果糖液糖」と「砂糖」と「水あめ」が入っている

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    まめでのランチを紹介します!

    まめでのランチ 《料理は全て100%植物性・乳・卵・砂糖不使用・化学調味料不使用》 ご飯は、「玄米」か「分搗き」のご飯が選べます。 ◆玄米とは、稲穂についた籾から籾殻をとった状態で、ぬかの部分もついたままの茶色いお米です。  この茶色いぬかの部分に、ビタミンやミネラル、食物繊維など多くの栄養素が含まれています。  このぬかのおかげで、血糖値を上げにくく、ご飯が糖質から脂肪に変わることもほとんどありません。  ただし、食物繊維が多いので、よく噛んで召し上がってください。かめば噛むほど、栄養素が体に取り込まれます。  一口100回くらい噛む方もいます。  まめでのでは、食べやすいように少し手を施してから、圧力鍋で炊いています。  ◆五分搗きとは、玄米を半分くらい精米したもので、完全に精白した白米よりぬかの部分が残っているので栄養素を残しながらも精米してあるので、玄米が苦手な方にも食べやすいご飯です。  まめでのでは、白米を食べ慣れた方にも食べやすいよう、それでいて、ぬかの部分の栄養素も残せるよう毎日工夫しながら自家製米しています。  本日のメイン 植物性100%、小麦粉不使用で作った唐揚げやナゲット、フライ、フリッター米春巻きなど、その時手に入った食材を使って、店主おまかせで作ります。 「メインはこれがいい!」という人のためにメインが選べるランチもあります。 デリ その時、手に入った食材を使った和え物や煮物、炒め物などのデリです。旬の食材を使ったメニューや季節に合わせた料理が登場します。 サラダ 愛知県内の野菜を中心に、可能な限り、無農薬、減農薬の野菜を使って作ってます。手に入る野菜によって、サラダの内容は変わります。 ドレッシングは自家製です。既製品は使っていません。 スープ 化学調味料を使わず、野菜から出る旨味を大切に使いながら作っています。手に入る野菜によって内容が変わります。

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    明治女の米一粒

    私は、兼業農家の生まれで、7人家族で育ちました。祖父母、父母、兄弟2人と私です。 父母は、外で働いていたので、平日、学校から帰ってくると家にいたのは祖父母でした。 つまり、18歳で家を出るまでの、とても重要な時間を祖父母と過ごすことが多かったのです。 祖父は温厚な人でいつもニコニコしていて、恵比寿さんのような人だと言う人もいました。 一方、祖母は、1本しんが通っていて、考え方がはっきりしていて、間違っていると思ったことには決して譲歩しない硬い石の、いえ固い意志の持ち主でした。 そんな鉄の女ならぬ「意志の女」祖母は、当時、祖父と一緒に、畑で野菜を作り、米作りのため田仕事、山仕事をしていました。 学校から帰ると、近所の友達と遊ぶこともありましたが、田や畑で、また納屋で仕事している祖父母のところに行き、傍で遊んだりすることもありました。当たり前のように、日常的にその光景を見て育ちました。 18歳までの多感な時期に一緒に過ごすことが多かったので、沢山の影響を受けたと思いますし、祖母には厳しくしつけられたと思います。 受験勉強で最も机についていたい時期にも、上げ膳据え膳は許してもらえませんでした。 そんな祖母の言葉の中で、最も心に残っていて忘れられない教えは、「米1粒でも無駄にすると目がつぶれる!」でした。 面白いこともひねって感動的なことも言わない生真面目で厳しい祖母らしい言葉です。 『「米」は、「八十八」の手間をかけて作る作物なので感謝して大切に食べよう。』とよく言われますね。 理屈は一切語らない祖母なので、米という字の成り立ちを私が知ったのは、ずっと後のことです。いえ、ひょっとしたら米という字の成り立ちを知っていたかどうかもわかりません。 祖母も、親や育ててくれた人に「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と言われてきたのかもしれません。 でも、ただ言われても何も感じなかったら、身体を通り抜けて行ってしまい、残らないと思いますがら、人に伝えることはないでしょう。 祖母は明治生まれ、今のように米作りが機械化されていない頃の米作りは、想像を超える大変さだっただろうと思います。 私には想像するしかなく、本当に実感することは不可能でしょう。 ただ、実家の納屋や農機具庫に残っていた昔の農機具(民族博物館とかにありそうなヤツです)を見ると稲刈りや脱穀も大変な手間だったのだなと感じますし、祖父母の所有していた昔の写真を見ると、農繁期が一大行事で、どんなに大変だっただろうかと思います。 昔、私の地方では、田植えの時期や稲刈りの時期には、近所の農家が順番に、総出で、それぞれの田の田植え、稲狩りをみんなで手伝ってやっていたそうです。 子供の頃、祖父母のアルバムで、母屋の前で、何十人もの人たちが並んで写っていいる集合写真を見て、なんだろうと思っていましたが、農繁期の手伝いに来てくれた人たちとの記念写真だったのです。 田んぼが多い農家にはちょっと遠いところからも手伝いの人が来て、結構な人数の人が集まって田植え、稲刈りをやるのです。来てもらった農家は、手伝いにきた大勢の人たちに食事を振る舞い、決して『腹の細い』思いをさせないよう、十分に食事を用意して提供しなければなりませんでした。 当時の農家の女性は本当に大変だったでしょう。祖母もそれをやってきたのです。もちろんお勝手も、何十人もの食事を一人ではできないですから近所の女性たちが集まって相互に助け合っていたのでしょう。 今は、田植え機も、稲刈り機も機械化され、近所の応援なくして各自でできるようになりました。「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」は、 祖父母の世代の人たちは、 本当に、本当の実感を持って 米や食物のありがたみがわかっていただろうということです。 安易にご飯を残して捨てることは、本当に罰当たりなことだったのです。 「食べ物を大切にしよう」よく言われる言葉ですがこの飽食の時代の私たちには、単なるスローガンのようなものになっているかもしれませんね。 ~祖父母が遺してくれたもの~祖父母はすでに他界してこの世界にはおりません。 「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と小さい頃に言われて、私は「はいわかりました、そうします」と簡単に大切にできる人間だったわけではありません。わかっていることと、できることは違います。 頭では理解していましたが、10代・20代の頃は、本当にはできていませんでした。 そのころは、甘いものが大好きで、ご飯の代わりに甘いものを食べていたのです。 わかっていても普通のご飯を食べる気になれなくて、一人暮らしの夕飯はチョコ!そんなめちゃくちゃな食生活をしていた20代後半、祖母が亡くなりました。 祖母と私は心理的な結びつきが強かったようです。祖母を亡くした喪失感は言葉には言い表せないほどで、毎晩、祖母が夢に現れました。 亡くなってからの、その1ヶ月以上、私は、ほどんど何も食べれない状態になってしまいました。 頭では食べなくては、何か口にしなければと思っても、あれほど食べたくて仕方なかった甘いものも、食欲がなくて何も食べることができなくなりました。 そして、祖母は仏教徒でしたから四十九日の法要をし、その後くらいだったと思います。 ようやく祖母を見送る心の準備ができてきて、少しずつ気持ちの整理がついてきたのだと思います。 食欲が少し戻ってきて、最初に食べたのは、甘いものではなく、普通のご飯でした。 一口、口に入れたとき、「あぁ、ご飯が美味しい」と思いました。美味しかった以上に、その時、「ご飯が食べれることがこんなにありがたいことだったなんて」と真に思いました。 その時の、食べることができた安堵の気持ちと食べる事への感謝の思いは、今でも忘れられません。 それ以来、夕食がわりにチョコやチューインガムを食べる生活は卒業しました。 砂糖をやめるのはまだずっと後のことですが、約10年ほど、めちゃくちゃな食生活だったところから抜け出して、ご飯が美味しく、楽しく、ありがたく食べれるようになりました。 祖母の死が、一種のショック療法になったということですが、 これも祖母の最後の贈り物、いえ、私に与えられた試練だったのでしょうか。 頑固一徹信念の人、祖母らしい荒療法を施して旅立って行きました。 そんな明治女の影響を受けていますので、まめでのキッチンでも、食べ物を粗末にするスタッフに厳しいです。 私たちは飽食の時代に育っていますから、入りたての新人スタッフの多くは、野菜や食材を無駄に切り刻んで、いとも簡単に捨てようとします。鍋肌にたくさん料理が残った状態で洗おうとするスタッフは、もれなく私に叱られます。 「それくらいいいでしょ、ケチ臭い店主だな」と内心思っているかもしれません笑今まで、ここまで詳しく背景は話していなかったですしね。 後日談: ブログに目を通したスタッフの姿勢が変わったのを感じます。 私に注意されるからじゃなくて、自発的に食材を大切にしてくれているように思います。 お読みくださってありがとうございます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ブログは、週刊メルマガをrewriteしています。 ブログには載らない呟きや記事もあります。 直接メルマガを受け取ってみませんか? メルマガは、maga.sugar-free@mamedeno1.com より配信しています(配信専用) 携帯メールの方は、受信できるよう設定をお願いいたします。 メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine

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    保護中: Gyu-newな話2 その対策、すごいです・・・

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    やけどの水膨れが数時間で跡形もなく消滅

    先日、ランチライム中に、 揚げ油が跳ねて、火傷したんです。 右手の中指、薬指、小指。 揚げ油の中に、 食材からか、調理器具からかは、 わからないのですが 何か水気があったらしい。 手を近づけた時に、ちょうど 『ボワンッ!』と 油が大きくうねり跳ねて、 右手の3本の指にまともにぶっかかりました。 飲食店やってらっしゃる方は、 おそらく皆さんそうだと思いますけど、 指を怪我しても、火傷しても オーダーが入っている時は そのまま、調理続けるんですね。 (怪我は輪ゴムとかでぐるぐる巻きにして止血してビニール袋かぶせて食材を汚染しないようにしてやりますよ) さて、火傷は皆さんご存知のように、 すぐに冷やさないと、水膨れになったり 症状がひどくなりますよね。 でも右手なので、 作業を止めるわけにもいかず、 流水を2、3秒かけるくらいで、あとは保冷剤を引っ張り出してきて当てがうくらい。 されど、作業中の利き手なので、 これも5秒くらいだけあてる。 何しろ、お料理出すのが優先です。 注文とその次の注文の間に、 もう一回、流水数秒、保冷剤数秒くらい 当てて冷やしました。 そのまま仕事続けていて、気付いたら 1時間近く経っていたでしょうか。 14時にちょうどスタッフがやってきて、 ようやく自分の状況を省みる余裕ができました。 はたと気づいたら、小指あたりに 水膨れができていて痛みがある。 ヤバイ! と思ったけれど、 今度はウーバーイーツの注文が入り、 ゆっくり冷やしている暇はない。 どうしようかと考えた時に、 ふと、あることを思い出して、 サニーレタスの外葉、 お客様にはお出ししない部分の、 葉っぱを右手に巻き付けた。 冷蔵庫に入っていたし、いい感じにひんやりする。 この時の状況を、若いスタッフは、 「おかしなことやるなあ」と見ていたようだ。 後日、 「そんなのやってる人見たら、  この人、完全にいっちゃってると思うだろう」と いってましたから笑 で、火傷に話を戻しますと、 火傷に巻き付けたサニーレタスは、 完全に萎びてしなしな、 体温で熱くなったところで ありがとうさせていただいた。 そのあとは、火傷のことは 忘れてしまって、仕事を続けました。 そして 翌日、ふと、「そういえば火傷!」と、 思い出しました。 火傷の指を見ると、何と 水膨れはなかったのです。 どの指も正常で、痛みもなし。 びっくりするほど、何も異変なく、 水膨れも火傷の後もない。 痛みも違和感もないから つい火傷したこと忘れちゃったんでしょうね。 マクロビオッティックなどを学ばれた方は ご存知でしょうが、 火傷の時に葉物野菜で冷やすのは お手当てのひとつである。 座学で学んだが、今までやったことはなかった。 「机上の理論」とまでは言わないが、 まさか、ここまで効くとは思わなかった、 これまで、自然派のお手当は、 どちらかと言うと ゆっくり作用するもので、 即効性はないと思っていて、 対処療法である西洋医学の方が、 早く効くだろうと思っていた。 しかし、考えてみると、 仮に、できかけていた水膨れに 火傷用の軟膏を塗っても 一晩で治ったかどうかわからない。 そんなに早くは治らなかった のではないかと推測する。 そうやって考えると、 葉物野菜で火傷があっという間に 消滅してしまったことが あまりにもすごーい!!と思ったので ご紹介したくなり、ペンを取りました。 今、手元に、 大森一慧 先生の著書 「からだの自然治癒力を引きだす食事と手当て」 がありまして、 それによると、 「油がはねた、というような軽い火傷には 軽く塩を塗ってから青菜をのせクールダウン。 痛みが出てきたら青菜は取り替えます」 とのこと。 一慧先生、塩と青菜なんですね。 塩は、実は切り傷にも有効です。 「傷口に塩」って、悪い冗談だと 思う人もいるでしょうが、 塩は「締める」作用があるので 止血効果や患部を収縮させる(ふさぐ)作用があります。 殺菌効果も。 この本には、火傷に塩を使う理由は書いてありませんが、 おそらくそのような理由なのではないかと 私は思いました。 化膿したり、水膨れ(膨れる=広がる)のを 防ぐ目的ではないかと推測します。 「痛みが出たら、青菜を取り換える」 そう、だから私は、野菜(植物)は尊いと 思うのです。 ただ単に冷やすだけではなくて、 火傷の熱と一緒に、痛みや炎症持って行ってくれる ってことなんでしょうね。 植物は代わりに萎れてくれる、 優しきものたちです。 私の火傷も、痛みと水膨れを サニーレタスが持って行ってくれました。 ちなみに、東城百合子先生の著書 「自然療法」では、 「すぐ塩水につけること」とまずあって、 ビワの葉エキスにつけると痛みなく 早く傷も残さず治る」とある あとは、私も子供の頃からお世話になっていた アロエ。 それから石蕗(ツワブキ)を炙ってつけるのも 効果的だとか。 ツワブキって、身近に庭とかにある方は、 都会では少ないかもしれませんが、 アウトドアで火傷した時なんかに 野にあったら使える?!かな。 ビワの葉エキスは、自然食品店などに 売っていることがありますが、 自分で作れます。 私は自家製のビワの葉エキスを常備しています。 傷にはビワの葉エキスです。 今回はサニーレタスのおかげで出番はなかったですが。 いやあ、葉っぱ(植物)すごい!!と 思ったので、 火傷の話をちょっとだけ書くのつもりが、 書いちゃいましたね(汗 もちろん、重度の火傷には、 さらに別のお手当が必要なので、 全ての火傷に葉っぱ、ではありません。 お気をつけください。 ところで 冒頭に記したように、 火傷に葉っぱ貼るなんて、 『ちょっとおかしな人』 これが一般的な感覚なのだと この時、気づかされました。 「傷や疾患は薬や医療行為で 直すもの」→ 「薬や医療でしか治らない」 近年、私たちはこのように 刷り込まれてきましたからね。 かくゆう私も子供の頃、 風邪をひいた祖父が 喉にネギを貼り付けて 手拭いを巻いている (ネギ湿布?!というのでしょうかね) という姿を何度も目撃していて、 「おじいちゃん、そんなことしても治らないよ」 とそのたびに言っていたのを思い出しました。 当時、私は、体調不良は病院や薬でしか治らないと 思っていたのです。 ネギ湿布は、 一度も試したことはありませんが、 何度もやっていたということは、 ひょっとして効果があったのかも しれませんね。 いつかやってみよう笑 何はともあれ、私たちの糧として また代わりに萎びたり枯れたり その生命を差し出してくれる 植物たちにとても感謝しています。 植物は高貴な存在だと個人的には思っています。 あぁ、こういうこと書くから 変な人なんでしょうね(汗 最後までお読みくださって ありがとうございます。

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    保護中: 、けどGyunewについて、ちょっと整理してみようかな。

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    あなたの「旨い」は大丈夫?

    先日、時々来店される顔見知りのお客様が店でランチを召し上がった後、お帰りの際におっしゃった言葉があります。 「私、実は最初、ここのお料理が美味しいと思えなかったんです。 でもそれは、自分が化学調味料の味に慣れてしまっていたからだと気付きました」と。 美味しいと感じなかったにもかかわらず何度も来店してくださっていたなんて、なんとありがたいことか! ありがとございます!!! 確かに、化学調味料は、私たちの舌に絶大な影響を及ぼして旨いと感じさせます。それはとても強大です。私は、化学調味料が入ったものを食べると、3日ほど舌が痺れています。 また、以前実家で、醤油差しに入っていた醤油様の黒い液体を味見しようと数滴口にした途端、舌に突き刺すような痛みがはしり、「お母さーん!」 と思わず叫んでしまいました。 これは、父がどこかで貰ってきた市販の昆布風味のしょうゆという類の化学調味料入りの味付け醤油だったのです。 本来はそれくらい味覚に刺激を与えるものです。でも食べ続けていると、慣れて麻痺して、感じなくなります。 独身で一人暮らしをしていた頃、仕事が忙しくて、お昼をコンビニ弁当で済ませていた時期があります。 最初にコンビニ弁当を食べ始めた時は、「なんか嫌な味だな」とか「嫌な匂いだな」と思っていたのですが、数回利用するうちに嫌な感じも何もなくなって美味しいと感じるようになっていたのです。 その後、手作り弁当に戻していましたが、環境が変わって、久しぶりにまたコンビニ弁当を食べたら、やっぱり「嫌な味、匂い」がしました。 本当に、怖いことに、科学的な味で、舌が麻痺してより強い刺激じゃないと美味しいと感じなくなってしまうということです。 前述の、便利な市販の化学調味料入りの味付け醤油、たった数滴で、無数の針で舌を突かれたような激しい痛みを伴いました。 このように、化学調味料は、激しく舌を刺激し、そのうち麻痺させ、味覚を鈍化させてしまうものだということです。 あなたが今、もし化学調味料入りのものを日常的に召し上がっているなら、1週間から10日くらいそれらがない生活をして、その後に元の化学調味料入りに戻してみるとよくわかると思います。 ある方が、普段は市販の一般的な醤油を使っていたのですが、厳選した材料を使った天然醸造の醤油を目にし、さぞかし美味しいだろうと購入し、楽しみに家に帰って使ってみました。 すると 「ん・・・?思ったほど美味しいと思えない。」 「高いお金払って、残念だったな。」と思ったそうです。 そして、その醤油を使い切る頃、今までの醤油に戻しました。 そうしたら、なんということか、「すごく不味い!」と思ったそうです。 今まで、強い化学的な旨味に慣れて麻痺していたんでしょうね。 市販のお醤油は、早く大量に醸造するため、製造過程で、アミノ酸液など旨味になる成分を添加したり、甘味料・着色料や保存のためにアルコールを添加したりします。 醤油に何が添加されているかは、地域によってちょっとずつ違うように思います。 その地域の人たちの好みというか食文化に影響されるのでしょうね。 以前、島根県の出雲大社の近くの蕎麦屋さんで、お蕎麦を食べようとして、「砂糖が食べれないので、つゆではなくて醤油をください」と店員さんにお願いしたところ、一瞬、ん?という間があって、帰ってきた言葉は、 「え?お醤油には砂糖入っていますよね!」というものでした。 島根県が全てそうではありませんが、地域によって甘い醤油が好まれる地域があるのだと思いました。当店が使用している同じ島根県の奥出雲の井上醤油店さんは、大豆、小麦、塩という昔ながらのシンプルな原材料で作られています。奥出雲地域は、井上醤油店さん意外にも、森田醤油さんなど、昔ながらの製法で厳選した材料で作ったお醤油メーカーやお酒の醸造メーカーもあって、私にとっては好きな地域です。 私は乳は口にしませんが、牛乳やバターなど乳製品で質の良いものを作られている「木次乳業」さんのある木次町もこの近くです。 ここの製品は自然食品店に置いてありますのでご存知の方も多いのではないかと思います。 話を先ほどの醤油に戻しますと、私の生まれ育った地域では、残念ながら、現在、地域で流通している醤油は、アミノ酸、アルコールなどが添加された地元の醸造メーカーものです。 私が子供の頃に実家で使っていた地元の醤油メーカーさんは、残念ながら今はありませんが、井上醤油店さんと丸島醤油さんの間のようなお醤油だったような記憶があります。 (余談ですが、こうしてみると、私、けっこう醤油愛がありますね汗) さて本日は、さらに、 美味い→うまい→からの「旨い」について、ちょっと思ったことを記してみたいと思います。 まず先に、旨いの「旨味」というのは、西洋学的にいうと、グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸などだそうですが、グルタミン酸は、海藻や肉や魚、野菜、発酵食品など多くの食べ物に含まれています。イノシン酸は、主に肉や魚。グアニル酸は、干ししいたけなど、主にきのこ類に多く含まれているそうです。 しかし、どうもそれだけでは語れない、人間の旨いの認知、知覚があるように思います。 それは、先の出雲大社近くのお蕎麦屋さんの醤油に入っていたように砂糖の「甘み」=「旨み」という事実です。和食に砂糖など甘みが多様されているのは、それが「旨味として美味しい」と私たちが感じるからなのではないでしょうか。 肉や魚など動物性食品を食べない人たちは、玉ねぎや、ネギ、ニンニクなどで旨味を出して料理するのですが、中には、アジア圏を中心としたオリエンタルヴィーガンと言って、五葷(ごくん)抜きの方がいらしゃいます。五葷とは、ニンニク、ワケギ、ニラ、ネギ類(玉ねぎも)、ラッキョウなどで、どれも強い匂いを持っています。これらを食べないとする人たちは、五葷に含まれる旨味の代わりに、砂糖などの甘みを旨味成分として使って召し上がっているように思います。 五葷を食べないのは、仏教思想に基づく菜食の考え方の一種なのだそうで、精進料理にもこの五葷は使われていません。 ただし、動物性食品を使っていないからと精進料理ばかり食べていると結構な量の砂糖と添加物を撮ってしまうことになるかもしれません。肉魚、五葷は使っていないけど、砂糖は煮物や煮豆にたっぷり入っています。肉や魚に見立てた既製品の擬き食品の中には添加物や着色料がたくさん入ったものもあるので、店を選ぶ時は慎重に選ぶに越したことはないでしょう。 ここで誤解しないで頂きたいのは、五葷抜き自体を否定しているわけではないということです。 ヴィーガンなど植物性の物だけを食べている場合、自然の摂理として、これら匂いの強い五葷の野菜は必要なくなるということです。 なぜなら、これら匂いの強い五葷は、肉などの毒消しになるものだからです。 当店に、かつて、20年以上ヴィーガンというスタッフがいました。20年以上菜食なので、消化すべき肉の毒素がないので、何もしなくても体が自然に五葷を欲しないということなんです。だから逆に食べると体内のバランスが崩れてしまうということです。 私は、今は時々動物性を入れますが、それでも数日に1回なので、一般の方より少ないと思います。先日、韓国ドラマで、ワケギのキムチを食べているのをみて、作ってみたくて作ったのですが、生のわけぎに、塩をしてキムチ漬けにしたのですが、出来上がったキムチをそのまま食べると、やはり強すぎたようで、数日しんどい感じがしていました。その残りは、やはりたくさんは食べれず、炒め物や、汁など火を入れて、少しずつ使い切りました。わけぎキムチは、焼肉などたくさんお肉を食べる人向きのサイドメニューということでしょう。 20年ヴィーガンのスタッフがいた一方、別な時期には、ヴィーガン1、2年めのスタッフがいたこともあります。この2人の違いは、とても興味深かったです。同じように五葷を食べないように見えますが、一方は、自然に体が欲してないから食べないもう一方は、食べてはならないものだから食べないようにしている、なのです。20年ヴィーガンさんがよく口にしていたのは、「20年やってると、どうでも良くなる」でした。最初はどういう意味か、よくわかりませんでしたが、新米ヴィーガンさんと接してよくわかりました。20年ヴィーガンさんは、自然体で、体の声を聞いていただけなんだなあと感じました。新米さんは頭の理解(理論・理屈 )で、ああしなくては、こうしなくては、と行動していたように思いました。私の目には、新米さんは、体内に動物性毒が残っているのに、五葷はダメ!って、食べないようにしていたので、毒素がうまく抜けず、排毒して欲しくないところから排毒して、しんどそうに見えました。(私の目にはそう見えた、というだけですが) 話を旨味の代替え甘みに戻します。五葷抜きのオリエンタルヴィーガンさんでも、旨味を甘みに頼らず、ヴィーガンライフを送っていらっしゃる方もきっといらっしゃるのではないかと思います。 オリエンタルヴィーガンの店や既成食品を見る限りでは五葷の代わりに砂糖を多用しているなあと感じるだけです。 ですから、砂糖を控えたいならば、オリエンタルヴィーガンの店やヴィーガン食品を利用するときに、甘味の使用がご自身の許容範囲かどうか確認してからご利用をお決めになるとよいのではないでしょうか。 マクロビオティックカフェでも旨いの違いがありました。私が、かつて自然食に興味を持ち始めた頃、割と近場にあった2店の自然食カフェがとても印象的でした。2店のうち、私は、当時、一方の店の方が美味しいと思っていました。いえ、事実おいしかったですし、今はなき、このカフェを先輩店として今でも尊敬しています。もう一方も、素敵な器に盛り付けてあって、素敵でしたが、正直、何か物足りないような気がしていました。 この2店の決定的な違いは、私が自然食の勉強をさらに進めた時に気付きました。美味しいと思った方の店は、白砂糖こそ使っていなかったものの、味付けの一部に「甜菜糖」を使っていたのです。そしてもう一方は、今の当店のように、砂糖不使用の店でした(乳・卵も不使用。)つまり、自然食に慣れていなくて、まだ添加物入りの食材を食べていた身には「甘い」方の店が「旨い」と感じたということです。 その数年後、私は「もう一方」の砂糖不使用の店で修業させていただくことになりました。関心を持ち始めた頃には想像すらできなかったことでした。今はなき、この店での修業は、辛く厳しくかったですが、砂糖を使わない料理の実践をさせていただき、とても鍛えられました。 働かせていただき、とてもありがたかったです。 砂糖不使用は、先輩方が、礎を築いてくださったから、後に続けたのだと思います。これからも、砂糖なくても美味しくなるよう工夫、開発していきたいと思います。 お読みくださってありがとうございます。

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    反響ありがとうございます、米一粒の価値観

    前回の「明治女…」に、思った以上に反響がありまして、Instagram等へメッセージくださった方々もいらして、本当にありがたく思っております。 「すごく刺激を受けた」というお声や「私も言われた!」という共感のお声もありました。やっぱり明治や大正生まれあたりのおじいちゃん、おばあちゃん世代が農業されてて、接したことのある方が教えをいただいているのかなと思いました。ありがとうございます。「米1粒でも無駄にすると目がつぶれる!」は、お米が真に「生きていく上での糧」であった時代からの教えなのだと思います。ちなみに、このような明治女に影響を受けて育った私は、子供の頃から、もし結婚するなら、結婚相手かどうか見極める際にまずは最初に見る判断基準は、お茶碗にご飯粒を残して食べ終わる人か、全て米粒を残さず食べ終わるか、を確認しようと決めておりました。これは、ご家庭でどのようなしつけを受けたかであり、価値観であるので、米粒残して食べ終わっても気にならないご家庭の人と結婚したならば、きっと姻戚関係での価値観の相違が大きく、大変なのではないかと思ったからです。結婚して結果どうだったか気になりますか? 少なくとも私サイドは、義父母と価値観の相違で大きく葛藤したことはないので、おそらく、この見当は間違っていなかったと思います。私は全くもって至らぬ嫁ですが、いつも優しく接してくれる義父母には感謝しかありません。 え、嘘っぽいですか?いえ、本当です。 ただ、夫からは、いろんな場面で 「そんなことするなんて信じられない」と言われることがよくあります。 双方向ではないかもしれませんね。。。どんな話だったっけ?は、こちらをご覧ください↓https://mamedeno1.com/?p=529

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    がんこ明治女の教えがもたらした影響

    私は、兼業農家の生まれで、7人家族で育ちました。祖父母、父母、弟2人と私です。 父母は、外で働いていたので、平日、学校から帰ってくると家にいたのは祖父母でした。 つまり、18歳で家を出るまでの、とても重要な時間を祖父母と過ごすことが多かったのです。 祖父は温厚な人でいつもニコニコしていて、恵比寿さんのような人だと言う人もいました。 一方、祖母は、1本しんが通っていて、考え方がはっきりしていて、間違っていると思ったことには決して譲歩しない硬い石の、いえ固い意志の持ち主でした。 そんな鉄の女ならぬ「意志の女」祖母は、当時、祖父と一緒に、畑で野菜を作り、米作りのため田仕事、山仕事をしていました。 学校から帰ると、近所の友達と遊ぶこともありましたが、田や畑で、また納屋で仕事している祖父母のところに行き、傍で遊んだりすることもありました。当たり前のように、日常的にその光景を見て育ちました。 18歳までの多感な時期に一緒に過ごすことが多かったので、沢山の影響を受けたと思いますし、祖母には厳しくしつけられたと思います。 受験勉強で最も机についていたい時期にも、上げ膳据え膳は許してもらえませんでした。 そんな祖母の言葉の中で、最も心に残っていて忘れられない教えは、「米1粒でも無駄にすると目がつぶれる!」でした。 面白いこともひねって感動的なことも言わない生真面目で厳しい祖母らしい言葉です。 『「米」は、「八十八」の手間をかけて作る作物なので感謝して大切に食べよう。』とよく言われますね。 理屈は一切語らない祖母なので、米という字の成り立ちを私が知ったのは、ずっと後のことです。いえ、ひょっとしたら米という字の成り立ちを知っていたかどうかもわかりません。 祖母も、親や育ててくれた人に「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と言われてきたのかもしれません。 でも、ただ言われても何も感じなかったら、身体を通り抜けて行ってしまい、残らないと思いますがら、人に伝えることはないでしょう。 祖母は明治生まれ、今のように米作りが機械化されていない頃の米作りは、想像を超える大変さだっただろうと思います。 私には想像するしかなく、本当に実感することは不可能でしょう。 ただ、実家の納屋や農機具庫に残っていた昔の農機具(民族博物館とかにありそうなヤツです)を見ると稲刈りや脱穀も大変な手間だったのだなと感じますし、祖父母の所有していた昔の写真を見ると、農繁期が一大行事で、どんなに大変だっただろうかと思います。 昔、私の地方では、田植えの時期や稲刈りの時期には、近所の農家が順番に、総出で、それぞれの田の田植え、稲狩りをみんなで手伝ってやっていたそうです。 子供の頃、祖父母のアルバムで、母屋の前で、何十人もの人たちが並んで写っていいる集合写真を見て、なんだろうと思っていましたが、農繁期の手伝いに来てくれた人たちとの記念写真だったのです。 田んぼが多い農家にはちょっと遠いところからも手伝いの人が来て、結構な人数の人が集まって田植え、稲刈りをやるのです。来てもらった農家は、手伝いにきた大勢の人たちに食事を振る舞い、決して『腹の細い』思いをさせないよう、十分に食事を用意して提供しなければなりませんでした。 いやぁ、同時の農家の女性は本当に大変だったでしょう。祖母もそれをやってきたのでしょう。もちろんお勝手も、この人数の食事を一人ではできないですから近所の女性たちが集まって相互に助け合っていたのでしょう。 今は、田植え機も、稲刈り機も機械化され、近所の応援なくして各自でできるようになりました。余談ですが、この相互に助け合う共同体は、今も残っていて、お葬式を自宅で行いますので、その際には、皆、仕事を切り上げて食事の支度や葬儀の準備にその家に行きます。この先は、それもなくなって行くのだろうと思いますが。 話を戻しますと、「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」は、祖父母の世代の人たちは、本当に、本当の実感を持って米や食物のありがたみがわかっていただろうということです。 安易にご飯を残して捨てることは、本当に罰当たりなことだったのです。 「食べ物を大切にしよう」よく言われる言葉ですがこの飽食の時代の私たちには、単なるスローガンのようなものになっているかもしれませんね。 ~祖父母が遺してくれたもの~祖父母はすでに他界してこの世界にはおりません。 「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と小さい頃に言われて、私は「はいそうします」と簡単に大切にできる人間になれたわけではありません。わかっていることと、できることは違うんです。 頭では理解していましたが、10代の頃、20代の頃、本当にはできていませんでした。 それは、甘いものを貪るように食べていた私のブラックな歴史が物語っています。(※1巻末参照) わかっていてもできなくて、一人暮らしの夕飯はチョコ!ちょっと罪悪感もありつつ暮らしていた20代後半祖母が亡くなりました。 祖母と私は心理的な結びつきが強かったようです。祖母を亡くした喪失感は言葉には言い表せないほどで、毎晩夢に見ること1ヶ月以上。 亡くなってからの、その1ヶ月以上、私は、ほどんど何も食べれない状態になってしまいました。 頭では食べなくては、何か口にしなければと思っても、あれほど、中毒で食べたくて仕方なかった甘いものも、食欲がなくて何も欲しくなくなりました。 そして、祖母は仏教徒でしたから四十九日の法要をし、その頃、ようやく少し気持ちの整理がついたのだと思います。 食欲が少し戻ってきて、最初に食べたのは、甘いものではなく、普通のご飯だったと思います。 一口、口に入れたとき、ご飯が美味しいと思い、美味しかった以上に、その時、「食べれることはなんてありがたいことか」と真に思いました。 こみ上げてきた感情と、食べる事ができたことへの感謝の思いは、今でも忘れられません。 それ以来、夕食がわりにチョコやチューインガムを食べる生活は卒業しました。 砂糖をやめるのはまだずっと後のことですが、約10年ほど、めちゃくちゃな食生活だったところから抜け出して、ご飯が美味しく、楽しく、ありがたく食べれるようになりました。 祖母の最後のプレゼント!なんて言ってしまえばかっこいいですが、まぁ、一種のショック療法になったということでしょう。 そんな明治女の影響を受けていますので、まめでのキッチンでも、食べ物を粗末にするスタッフに厳しいです。 お客様にお出しする以外の野菜くずや食材は、できる限り、賄いなどでいただくようにしています。鍋肌にたくさん料理が残った状態で洗おうとするスタッフは、もれなく私に叱られます。 「それくらいいいでしょ、ケチ臭いオーナーだな」と内心思っているかもしれません笑今まで、ここまで詳しく背景は話していなかったですしね。 ちなみに、タイトルの「がんこ」とはですね祖母の名前です。本当は『岩子』と書いて『いわこ』と読みます。本名です。女性に『岩』とつけるなんて子供心にすごい名前だなあと思っていました。名前の通り、がんこな岩のような人だと思っていました。(おばあちゃん、ごめんなさい)でも、言い方を変えれば、本当に『意志の人』でした。誰に認めてもらえなくても、誰にも分かってもらえなくても「天が見ていてくださる」と言っていたそうです。(私は子供だったので直接聞いたことはないですが母にはよくそう言っていたそうです) 実家の辺りでは、5月上旬が田植えシーズンです。土をおこした田んぼの匂いと、苗の匂いを思い出しながら、記してみました。 お読みくださってありがとうございます。 ※1 文中の”私のブラックな歴史が物語っています。”は、 以下にも記載があります。 https://mamedeno1.com/?p=375 https://mamedeno1.com/?p=537

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    小麦『粉』が消えたキッチン、それから。

    まめでのcafe店舗での話です。 まめでのcafeは、オープン当初より、 乳製品・卵・砂糖不使用、動物性食材不使用で スイーツやランチを提供してきました。 コンセプトに小麦不使用とはうたっていなくて、 当初はスイーツは全て小麦粉を使った焼き菓子や 生菓子でした。 ランチも、ペンネやマカロニ、 車麩(小麦グルテン)フライにコロッケ、 揚げ物の衣は小麦粉、というように 小麦粉を普通に使っておりました。 しかし、今年2022年4月上旬より、小麦粉を使ったメニューが店頭から消えました。 この小麦粉は、2〜3年くらいかけて少しずつ、撤退したので、 不自由さや、大変さはそれほどなくやっております。 ないないづくしのまめでのに「無い」が一つ増え、 それはそれで、制約が増えると新たなメニューが浮かんだりするので面白かったりします。 経緯は、こちらに記しております。↓ https://mamedeno1.com/?p=509 ↑前回も書きましたが、あくまでも、 「小麦粉」つまり小麦「粉」の使用が無くなったということであって、「小麦」の使用はあるということです。 たった一つ、お醤油のみ小麦を使っています。 それから、麦味噌(麦麹)は使っていませんが、 スイーツの甘みに米水飴を使用しておりまして、 これは『大麦麦芽』を使用しております。 ですから、『グルテンフリー』とはうたっておりません。 このたった一つ、小麦を使っているもの、 そのお醤油は、 奥出雲の井上醤油店さんの古式醤油です。 小麦を使わない、大豆醤油や、米醤油、雑穀醤油などに 変える方法もありますが、料理の味が変わってしまうので、 簡単には決断はできません。 私は、西日本の出身で、日常の醤油は薄口醤油という 環境で育ったため、たまり醤油のような、とっぷりコクのある 醤油が未だになれなくて、 この奥出雲の井上醤油店さんの古式醤油は、 「濃口」ではあるのですが、 名古屋の濃口醤油とは粘度や風味が違います。 濃い口と言いつつも、濃厚なエグ味はなく、 すっきりサラッとしていて旨味があります。 お客様の中には、当店のお料理を美味しいと思ってくださる方が いらっしゃいますが、それは、野菜の力とこの醤油の 力だと思っています。 それでも、「良い野菜で、良い調味料を使ってみたけど、 同じような味にならない」とおっしゃるお客様がいました。 あとは、どのタイミングで調味料を入れるか、という タイミングも味に影響するかと思います。 そんなことわかっているよ、という ベテラン主婦の方もいらっしゃるでしょう。 ただ、無い無いづくしのベジクッキングは、 肉や魚を使った調理とは、すこーし違ったアプローチも 必要です。 ともすれば、あなたが不必要なものだと思っていたものが 大きなポイントになったりします。 あなたがいらないものだと思っていたものを、うまく活用すれば、野菜の旨味を存分に引き出し、美味しい料理ができると 思います。 ないないづくしでもお料理ができる! そんなことも近い将来、提案していきたいなと思っております。

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    毎度1秒パニック!!

    あぁ〜今、いい季節になりましたね。 暖房もいらない、冷房もまだ早い。 こんな季節は 窓を開けて気持ちよい風を受けたく 自宅で窓を開けて過ごします。 そんな時、実は毎度、パニックに陥ることがあるのです。 それは、隣家から入ってくる匂い。 「わ!殺虫剤の匂いだ!」と 一瞬パニックになるのです。 殺虫剤だと思った次の瞬間には 「ああ、これはシャンプーの匂いか。」 と認識を改めるのですが 私のセンサーが最初に感知するのが 必ず「殺虫剤の匂い」 なのです。 しかもこの殺虫剤は、 今の殺虫剤ではなくて、私が子供の頃にあった ブルーのピストンのような噴霧式の殺虫剤の匂いなのです。 ネットで調べると、昭和レトロ感たっぷりの 噴霧器の写真が出てきたのですが、 匂いの成分はよく分かりませんでした。 でも、今の殺虫剤とは違うように思います。 近頃のものは人体に無害とか安全とかうたっているものが 多いように思います。 殺虫剤でよくわからなかったので、違う方向から 改めてみてみましょう。 それは、 洗剤で虫が殺せるということです。 台所洗剤、お風呂の洗剤、もちろんシャンプーも。 虫が殺せる理由は、 市販の洗剤に含まれる界面活性剤の作用で 虫の気門という呼吸孔が塞がれて、窒息死するからなのだそうです。 一説には、下手な殺虫剤よりよく殺せるとか。 私が感知している匂いが界面活性剤なのかは、 分かりません。 界面活性剤の匂いがどんなものかもわかりません。 界面活性剤が登場したので、 界面活性剤を、もうちょっとみてみましょう。 界面活性剤は、 『天然』のものと 『合成』のものがあります。 天然は『石けん』とか『純石けん』と言われる 「脂肪酸ナトリウム」とか「「脂肪酸カリウム」という 表示のあるものが天然界面活性剤で、 それ以外のものが 合成界面活性剤なのだそうです。 界面活性剤の種類は数千種類もあるようです。 天然界面活性剤は、安全度は高いですが 合成界面活性剤の中には、発がん性のあるものもあるようです。 界面活性剤は、水と油のように、本来混じり合わない成分のものを 混じり合わせる性質があります。 故に、人間の皮膚など、 外部からの有害なものの侵入を防いでいる皮脂膜を 突き破って界面活性剤は体内に侵入できるのです。 これによって、市販のシャンプーやボディーソープなどに含まれる 合成界面活性剤は、容易に体内に侵入できるということです。 同じように、市販の洗濯洗剤の残留した衣類を着ることによっても 合成界面活性剤は皮膚から体内へ侵入します。 また、市販の食器用洗剤の残留によって食器に入れた食べ物とともに 口からも侵入します。 ひょっとしたら、 私のように隣家の人間が、だたよってきた洗剤の匂いで 口や鼻から侵入する可能性もあるでしょうか。 合成界面活性剤は、 体内に入ると肝臓でも分解できないのだそうです。 分解できないどころか、肝臓の組織を破壊し、肝臓障害を引き起こし ひいては、癌を発症する恐れもあるのだとか。 恐るべし、合成界面活性剤。 洗剤で虫ならず人も殺せるということでしょうか。 私のセンサーは、何度でもシャンプーの匂いを 「殺虫剤」と誤認識し瞬間パニックになります。 これは「殺人剤」つまり 「殺される!」と認識して、瞬間パニックになるのかもしれません。 真実は分かりませんが。 いつもは砂糖不使用・食について書きますが、 同じ、もしくはそれ以上に大切なことのように思い、 私の体験をもとに紐解いてみました。 お読みくださってありがとうございます。

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    あなたのセンサーどう?

    seasonセンサー って、言葉を 勝手に私が作りました。 どう言ったらしっくりくるかなあと 考えた結果、 出てきた言葉です。 人間に体内時計があるなら、 同じような感じで、 季節ごとに どんな風に食べて暮らすか、 季節感を感じ取って 自然と口にしたくなるもの、 今季節には食べたくないなあと 思うものが わかるセンサーのようなものが あるんじゃないかな、という 話です。 人間が、狩猟していた時代が終わって、 土地に根づき、稲作を始めた頃から 季節に合わせて その時期に採取できるものを 食べ、何も採れない時期のために 保存食を編み出し、食べつなぐ、 そんな生活を私たちの祖先の方々は 長らくやってこられましたよね。 近代化し、工場生産の食べ物で 溢れる時代になる前は。 農耕民族だった私たちは、 自然と共存しながら 旬のものを食べ、 旬のものの幾らかを 味噌や漬物や保存食にして、 いました。 冬場の寒く食料の乏しい時期に、 保存食の少し強めの塩の入ったものを 食べるのは、体を温め、自然の摂理に かなっていたことだったと思います。 今みたいに、ナトリウムを沢山含有した肉を たくさん食べていた時代ではなかったですしね。 そんなご先祖さまたちは、 学問的にあーだこーだ言って 何かを食べてはいなかったと 思います。 親から子へと脈々と 受け継がれていたことでもあり、 自然がとても身近な時代だったので、 教わらなくても、 体内で、この季節にはこれが食べたいという センサーのようなものが働いていたんじゃないかと 私は思うのです。 これは、ご先祖さまだけではなくて、 現代でも、自然食をなさっている方は、 感覚が研ぎ澄まされていて、 seasonセンサーの感度が高いのではないかと 思うのです。 しかし、私たちの多くは、街中に住み、 街路樹や川縁の木々に注意を向ければ 多少の季節感はありますが、 気にしなければ、気温の変化くらいしか わからずに過ごしてしまします。 スーパーに買い物に行けば、 年中手に入る野菜も多く、 どの野菜が、いつが旬なのか、 ご存知ない方も、今とても多いように思います。 かくゆう私も、実家を離れて20年くらい マクロビオティックに出会うまでは 季節を忘れて過ごしていました。 もちろん、頭の理解で、季節はわかっています。 夏は暑いし冬は寒いし、スキー、スノーボードをやる アウトドアな一面もありますので、 雪山にも行っていたのですが、 seasonセンサーを働かせていなかったので 単なる季節なんですね。 言葉でどう説明していいのかわかりませんが。 センサーで感知しなければ わからないかもしれませんが、 ひょっとしたら、これは、 単なる外的な刺激を拾うのではなくて、 それを体に受けた時に、 どう感じるのか という内感と言うべきでしょうか、 内側で何を感じるか、 ということなんだと思います。 気温の変化を肌で感じた時に、 どんな感覚なのか、 また、 季節によって匂いが違います。 天候によっても匂いが違います。 台風の季節、 風が運んできた匂いでその台風の大きさに 驚き、体感として 自然に対して畏敬の念を 感じることもあります。 匂いだけではありません。 季節や天候によって、その場の 空気が違います。 これ、「空気読めない」の時に使うのと 多分同じ「空気」ですね、 その場にある エネルギー、パワーとも いうのでしょうか。 住む場所によって、季節を感じ易い、 感じにくいもありますが、 それ以上に、 私たちは、近年、 添加物たっぷり、人工甘味料、砂糖たっぷりの加工食品や、 生産性とコストカットのために化学的に生産された 調味料を食べることに慣れてしまい、 季節によって、これが食べたいとか 食べたくないとか、体調によって、 これは食べたくないとかの感受性が、 鈍化して失われてしまっているのでは ないでしょうか。 鈍化したものは簡単には回復しないかもしれません。 でも、「今、私はどんな感じかな?」と 注意を向けることと、 頭の理解でもいいので 「できるだけ旬のものを食べよう」 とするだけで、何か いつもと違った感覚があるかもしれません。 夏野菜は体を冷やす作用があります。 暑い季節には程よくとって、 暑気払いをしてくれるでしょう。 そんな夏野菜を冬に食べたら体がとても冷えるのですが それすら気付かない方も多いようです。 私は、春先にはよもぎが無性に食べたくなります。 冬の間に溜まった毒素を出そうとするのでしょう。 秋ぐちは、無花果の季節ですが、 私は無花果が子供の頃から大好きです。 名古屋では、秋に安城産の無花果が美味しそうに並んでいますが、 実は自分ではあまり食べません。 私の体質では、大きなあの無花果は1つ食べても 体の芯から指の先までものすごく冷えるのです。 火を入れてコンポートなどにすればそこまでではないでしょうし、 干し無花果は大丈夫です。 あくまでも私の体質の話で、無花果が悪いわけではないので 誤解のないように。 実家の無花果は、安城の無花果の三分の一くらいの大きさなので、 名古屋にきて、その大きさにとてもびっくりしました。 (余談です) なんだか話が脱線してきたので、この辺りにしようかと思います。 色々書きましたが、 何が言いたかったかと言いますと 要するに、 旬を知って旬のものを食べましょうよ! というシンプルな話です。 そうするうちに、seasonセンサーが うまく働くようになるのではないかなあという 私の仮説です。 seasonセンサーが働いた方がいいと思う理由は seasonセンサーが、体に負担をかけない食べ方に 導いてくれるのではないかと思うからです。 ということで、 当店まめでのでは、 季節外れなご注文は、 知らずしらすに お客様の体に負担をかけてしまいますので お断りする場合があります。 真冬にパイナップルなど南国のフルーツや 真夏にほっこり黒胡麻スイーツやホクホクしたさつまいもスイーツなど お断りすると思います。 お許しください。 (実際にあった例です) お読みくださってありがとうございます。

  • ノンシュガークッキング2.0

    こんにちは。 少しご無沙汰していました。 まめでの店主改め、 自称:ないない料理研究家 藤田名帆子です。 砂糖を使わないクッキングメソッドサイトまめでのを運営しています。 2022年より開始しましたこのクッキングサイトですが、 この間、砂糖なしクッキングの購入者様にレシピと手順動画、そして砂糖なしのマインドを提供をしており、 購入者様から、喜びの声や驚きの声、 さまざまなご要望もいただき、 サイトを少しずつバージョンアップしてきました。 さて、今回、このクッキングメソッドをご紹介したいのですが、 その前に、少し砂糖のお話と私の体験談を聞いてください。 日本の食卓では、ほとんどの料理に隠し味で『砂糖』が入っています。 私たちは、食べ物に入っている甘さを、実は『旨い』と感じていることが多いのです。 砂糖には、食べたらまた食べたくなるという強い常習性があります。 それはドラッグより強い中毒性で、簡単には抜け出せないのものです。 食品会社の多くは、この常習性を利用して、甘みをたくさん入れ、甘いとわからなくするために塩けも強くして濃い味の食品を作り、 それによってまた食べたくなりリピート買いするという仕組みになっているのです。 しかもその甘みの多くは砂糖よりもっと安価で厄介なブドウ糖果糖液糖などの異性化糖と言われるものです。 私たちの大半は砂糖(異性化糖も)の中毒ループにハマり、 それと気づかず砂糖を欲して繰り返し食べ続けているのです。 『砂糖は病気のデパート』です。 あらゆる病気や体調不良に関与しています。 ちなみに、私は、砂糖が食べれません 口にすると、目に見えて体調不良になるからです。 そんな私は、以前はひどい砂糖中毒でした。 でも当時は、自分が砂糖中毒だなんて思いもしませんでした。 ちょっとした体調不良がきっかけで、、 独学で、ゆる~く玄米菜食を始めましたが 砂糖をやめた方がいいとまでは思っていませんでした。 ただ、白砂糖はよくなさそうな気がして、 レシピ本なども白砂糖は使っていないので、 白砂糖はやめて、甜菜糖に変え、 甜菜糖を使ったパウンドケーキを毎日焼いて食べていました。 あるとき、マクロビオティックの著名な方に、 望診という、顔や体の見た目を観察することで 体調や体質を測る漢方の診察法で見てもらったときに、 私の体調では、砂糖をはじめ、甘いものを止めるように言われたのです。 「3~4ヶ月でいいから甘いものをやめてみなさい」と言われていました。 「甜菜糖も蜂蜜もですか?」 「そうです」 「····」 それでも、そんなことが必要?と半信半疑でした。 思いもよらないことで、信じられず、拒絶する気持ちの方が大きかったかもしれません。 けれど、甘いものを止めることが、本当に必要かどうか、 それをやってみて検証するしか、真実はわからないと思いました。 そこで、心を決めて、3ヶ月、やってみることにしました。 3ヶ月だけ、と思ったからできたのだと思います。 定期的にマクロビオティックの料理を学びながら、 自宅で実践するようになりました。 当時、食べていたものは、私のカフェで出していたような 玄米と、植物性の料理でした。 3ヶ月経ちました。 今までとは違う味付けや調理法だけれど、 この新しい料理がすっかり気に入ってしまっていました。 なので、つらいといった気持ちはありませんでした。 不思議と甘いものが食べたいという気持ちが あまりおきませんでした。 このみたこともない料理法が新鮮でおもしろかったからかもしれません。 私のこの新しいライフスタイルがすっかり気に入ってしまっていたからかもしれません。 けれど、自分が何か変わったか? 望診で言われたことを実践して何かが変わったか? 実は、この時、全く実感がありませんでした。 「望診してもらっても意味なかったかなぁ」 と正直思っていました。 それでも、 新たな料理法に出会って、 それが面白くて、 3ヶ月経った後も止める理由がなくて 続けていきました。 続けていく中で、ある時気づいたのです。 何かのはずみで砂糖を食べてしまった時に 体調が悪くなることが分かったのです。 砂糖をやめて食べない生活の中で、うっかり砂糖を口にしたことで これまでの不調が砂糖が原因だと気づいたのです。 砂糖をやめて ·慢性的な鼻詰まりが治っていた。 ·毎晩、就寝中に咳が出ていたのが治った。 ·よく喉が痛くなっていたのがなくなった。 砂糖をとると顕著に症状が現れるので そのとき初めて砂糖が原因だと気づいたのです。 確実に砂糖だとわかるものだけでもこれだけ ありますが、 関与しているだろうと思われるものも他にもあります。 砂糖をやめて ·生理痛がなくなった。 ·視力が回復していた。 などがあります。 視力回復は驚きました。 私はそれまで視力が0.3~0.5くらいでした。 叔父が、眼鏡店をやっていて、 「そろそろ新しいメガネを作ろうかな」と 店に行って検査したところ、 叔父が 「視力が0.9くらいあるからメガネは必要ないんじゃないの?] と。 「車の免許証もこれでメガネの限定が解除できると思うよ、行ってみたら?」 メガネを新調することなく店を後にし、 勧められるように、運転免許証の変更の手続きに行き、検査したところ、 見事クリアし、眼鏡なく運転しても良いことになりました。 (ただ、現在、ほとんどペーパードライバーですが) その後の免許更新も寝不足で悪コンディションでしたがクリアし、 現時点でも眼鏡なしの状態です。 思い返してみると、子供の頃、視力が2.0だったのが 視力が落ち始めた時期と、 甘いものにはまって 普通の食事がわりにもチョコや甘いものを食べるように なった時期とが見事に同じだったことに このとき気づきました。 「砂糖はよくない」と本当の意味で『気づいた』のは この時、砂糖をやめてから後だったのです。 砂糖をやめて、15年になります。 ひどい中毒だったと、後になって気付いたということなんです。 この砂糖中毒を、何の苦痛も感じずにやめれたことは 砂糖を使わない料理に出会えたからだと思います。 砂糖がなくても料理は美味しいと知ることができたからです。 楽しくなければ続かなかったと思います。 「今までとは違うこの料理を 食べ続けたらどうなるのだろう?」 そんな探究心で楽しく料理を実践してきました。 私が学んだ料理の分野は、 「マクロビオティック」というものです。 ただ、これは、丁寧に料理を作るが故に、 ·日常、お仕事を抱えて忙しい人や、 ·子育てで、なかなか料理に手がかけれないという人、 ·料理に苦手意識があって、やるのが億劫な人、 ·健康にいいのはわかるけど、めんどくさいと思っている人 にとっては、 なかなか継続して続けるのが難しいように思います。 そこで、料理教室をやろうと思い立った時に、 手に入れやすい材料で、 簡単で、 時間をかけずにできる、 をモットーに マクロビオティックでもなく、 今までのカフェのメソッドでもなく 今まで築き上げたものは生かしつつも、 固定観念は捨てて、 おうちで簡単に作れるレシピを開発いたしました。 大切なことは、 砂糖を使わない料理を まずはやってみる、 作ってみることが大切だと思っています。 難しいことは置いといて、 とにかくまずやってみることが 大切です。 楽しく簡単にシンプルに作る 発想を転換したクッキングを あなたのお好きな時間に あなたの自宅や好きな場所で モバイルやパソコンで学べる クッキングサイトを作りました。 ただいま、募集を開始いたしましたので お知らせいたします。 ↓ ↓ ↓ https://mamedeno1.com/km-pro/net-cooking_lp_20220612/net-cooking_sl_2024_0503 申し込み期限は5月6日です。 どうぞよろしくお願いいたします。

  • 植物性でタンパク質はどうやって何を食べればいいですか?

    これは、本当によく質問されることです。 かつて十数年前、私も、料理教室も先生など何人かの方に質問したことがあります。 私は、小学校の家庭科食物で、肉や魚、卵などが 「血や肉を作る食べ物」と西洋の栄養学に基づいた知識を教わったのでその発想で質問したのです。 私は食生活を変えた十数年前、当時は動物性のものは食べなかったのですが、 実はヴィーガンというわけではなく、 マクロビオティックという食事法を実践していたため、 体を健康的な方向に整えるために動物性のものを食べなかったのです。 先生方から帰ってきた答えは、 「コーフー」など食物成分上、やはりタンパク質の多い食べ物だったりしたわけです。 ちなみに「コーフー」は小麦グルテンから作られたもの。 生麩に近い感じの弾力のある食べ物です。 これはまだ、今のように小麦のグルテンが体に与える影響をあまり問題視していなかった時代の話。 それでも、この小麦グルテンは消化が良くないのと、小麦が腸を痛めることはわかっていたので 血や肉を作るためにコーフーを積極的に食べるのことは、なんだか違うような気がしていました。 小麦グルテンじゃないなら、大豆や大豆製品、とも容易に想像がつくのですが、 だからと言って「主菜(メインのおかず)」を毎食大豆や大豆製品のもの、というもの なんだかそれも違うような気がしていました。 結局、答えがわからないまま、年月が経ちました。 ここで、質問の答えなのですが、 『正直、何が正解かはわかりません。』 というのが一応の私の答えです。 ではあるのですが、 ここ十数年、自分の体を常に実験台にしてきた私が導き出した一つの考えが あります。 こうも意識して「タンパク質」「タンパク質」といって 「『タンパク質を取らなけれなならない』という考えが そもそも、間違っているのではないか」 ということです。 「タンパク質」は西洋の栄養学で言われてきた概念です。 私が小学生の頃は、六大栄養素の一つとして 血や肉を作るものとして「タンパク質」と言われていました。 (今も同じのようです) しかし、私の友人、知人の中には、生まれた時から動物性のものを 食べない菜食の人たちがいます。 彼らは、「タンパク質を摂ろう」という意識なく食生活を送られているように 感じます(私の目には) 彼らは、親、もしくは祖父母の代から植物性のものだけ食べてきて、 植物性だけで体ができています。 彼らはある程度自分で食べ物を選んで食べれる年になった時に、 友達と同じようにちょっと肉食をしてみることがあったそうです。 普段食べていないので、体調が悪くなるそうです。 食べた翌日は、獣のように髪の毛がバリバリに逆立つそうです。 彼らは、食べた植物性の物から、血や肉を作っていることになります。 近年、特にタンパク質を取ることが重視されているようですが、 本当にそんなにタンパク質をとらなければいけないなら、 彼らはとても虚弱な体質なはずです。 しかし生まれながらの彼らは、特別痩せすぎていたり、虚弱な体質ではなく、 活き活きと健康そうに見えます。 タンパク質を食べなければ、肉体が作られないのだとすると、 草原の草しか食べない鹿やインパラなど草食動物はどうやって体を作っているのでしょう? あの大きなゾウやキリンも草食動物ですね。 植物性と言っても大豆などを食べているわけではありません。 乾いた草原の草や干草を食べているのです。 この件でネット検索すると、草に含まれるごくわずかなタンパク質を、 草を大量に食べて補っているとする記事もあります。 しかし、生まれながらの菜食者たちが、野菜を大量に食べているのを私は見たことがありません。 これを説明できる一つの仮説があります。 『原子転換』です。 「生物の内部で特定の元素が、別の元素に転換する」というものです。 しかし、『原子転換』は昔から論争があって、 化学的には証明できないものだとされています。 私は科学者でも研究者でもないので、 「草を食べた後、体内で『原子転換』が起こって、 草食動物の血や肉を作った、とはとても言えません。」 ですが、私が見てきたものを素直に捉えるならば、 「特にタンパク質が多いものとは限らず植物性のものを食べて それで体を作り、生きている人たちがいる。 そして彼らは、そのことを起因として不健康でも虚弱でもない。」 ということは紛れもない事実です。 ですから、近年の「タンパク質信仰」はちょっと度を越しているように感じます。 ただ、長寿であるためには、ある程度、良質のタンパク質が必要であることも 否定はできません。 しかし、だからと言って、肉や魚をたくさん食べていると、 一方で消化しきれなかったものが、臓器に溜まっていき、 他の重篤な病気につながる可能性もあり、注意が必要です。 また、生まれながらの菜食者を取り上げましたが、 人生の途中から菜食になられた方は、注意が必要だと 私の経験上、思います。 小さい頃からある年齢まで、動物性のものを食べていた人は、 体を作ってきたのは動物の食べ物です。 血や肉を動物の食べ物で作るよう体の仕組みが出来上がっているので いきなり菜食になっても、体が対応してくれませんし、 簡単には順応しません。 無理に頭の理解で厳格に菜食を続けると、 体力を落としたり、筋力がなくなったり、 貧血やカルシウム不足に陥ったりする可能性があります。 常に、「今自分の体はどうなのかな?」と問いかけて 必要ならば、たまに動物性のものを慎重に口にしてみてはいかがでしょう? ヴィーガンの方などはこれは受け入れ難いのかもしれませんが、 動物も生き物ですが、野菜や穀物など植物も生き物です。 生き物の命をありがたくいただいて体を維持していると 感謝して口にしてみてはいかがでしょう。 長くビーガンや菜食をされている方は、おそらく 植物性だけで体を維持する体になってきていると思うので 動物性のものは必要なくなっている方がほとんどだと思います。 知り合いの中には、二十歳の頃から20年以上ビーガンという方もいます。 その方は、ナチュラルに体の声に従ってこれは食べれるけど、これはちょっと無理かな、という感じで食べるものを選択されているようでした。 決して単なる知識や頭の理解や禁止事項などにとらわれていない印象を受けました。 この方も特段、植物性であってもタンパク質を摂ろうとされているようには見えませんでした。 冒頭の質問「植物性のものでタンパク質はどうやって取ればいいですか?」は、 結局のところ、明確な答えが見つかってはいません。 万人共通の答えもないのではないかと思います。 ただ、自然に沿った食べ方をしていると、心身の声に気づけて、 今何を食べたらいいのかを自分自身で導いてくれるのではないかと思ったりするのです。 答えになってなくてごめんなさい。

  • 保護中: 『チャチャっとかんたんベジごはん』料理教室

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  • 市販のタレ・ソース・麺つゆ

    原材料名で砂糖が先に記載されており、割合的に最も多く入っていることがわかる。 原材料名で砂糖が先に記載されており、割合的に最も多く入っていることがわかる。 原材料名で醤油の次に砂糖が記載され割合的に多く入っていることがわかる。 原材料名で醤油の次に砂糖が記載され割合的に多く入っていることがわかる。 糖類と総称して、「ブドウ糖果糖液糖」と「砂糖」が入っている 糖類と総称して、「ブドウ糖果糖液糖」と「砂糖」と「水あめ」が入っている

  • まめでのランチを紹介します!

    まめでのランチ 《料理は全て100%植物性・乳・卵・砂糖不使用・化学調味料不使用》 ご飯は、「玄米」か「分搗き」のご飯が選べます。 ◆玄米とは、稲穂についた籾から籾殻をとった状態で、ぬかの部分もついたままの茶色いお米です。  この茶色いぬかの部分に、ビタミンやミネラル、食物繊維など多くの栄養素が含まれています。  このぬかのおかげで、血糖値を上げにくく、ご飯が糖質から脂肪に変わることもほとんどありません。  ただし、食物繊維が多いので、よく噛んで召し上がってください。かめば噛むほど、栄養素が体に取り込まれます。  一口100回くらい噛む方もいます。  まめでのでは、食べやすいように少し手を施してから、圧力鍋で炊いています。  ◆五分搗きとは、玄米を半分くらい精米したもので、完全に精白した白米よりぬかの部分が残っているので栄養素を残しながらも精米してあるので、玄米が苦手な方にも食べやすいご飯です。  まめでのでは、白米を食べ慣れた方にも食べやすいよう、それでいて、ぬかの部分の栄養素も残せるよう毎日工夫しながら自家製米しています。  本日のメイン 植物性100%、小麦粉不使用で作った唐揚げやナゲット、フライ、フリッター米春巻きなど、その時手に入った食材を使って、店主おまかせで作ります。 「メインはこれがいい!」という人のためにメインが選べるランチもあります。 デリ その時、手に入った食材を使った和え物や煮物、炒め物などのデリです。旬の食材を使ったメニューや季節に合わせた料理が登場します。 サラダ 愛知県内の野菜を中心に、可能な限り、無農薬、減農薬の野菜を使って作ってます。手に入る野菜によって、サラダの内容は変わります。 ドレッシングは自家製です。既製品は使っていません。 スープ 化学調味料を使わず、野菜から出る旨味を大切に使いながら作っています。手に入る野菜によって内容が変わります。

  • 明治女の米一粒

    私は、兼業農家の生まれで、7人家族で育ちました。祖父母、父母、兄弟2人と私です。 父母は、外で働いていたので、平日、学校から帰ってくると家にいたのは祖父母でした。 つまり、18歳で家を出るまでの、とても重要な時間を祖父母と過ごすことが多かったのです。 祖父は温厚な人でいつもニコニコしていて、恵比寿さんのような人だと言う人もいました。 一方、祖母は、1本しんが通っていて、考え方がはっきりしていて、間違っていると思ったことには決して譲歩しない硬い石の、いえ固い意志の持ち主でした。 そんな鉄の女ならぬ「意志の女」祖母は、当時、祖父と一緒に、畑で野菜を作り、米作りのため田仕事、山仕事をしていました。 学校から帰ると、近所の友達と遊ぶこともありましたが、田や畑で、また納屋で仕事している祖父母のところに行き、傍で遊んだりすることもありました。当たり前のように、日常的にその光景を見て育ちました。 18歳までの多感な時期に一緒に過ごすことが多かったので、沢山の影響を受けたと思いますし、祖母には厳しくしつけられたと思います。 受験勉強で最も机についていたい時期にも、上げ膳据え膳は許してもらえませんでした。 そんな祖母の言葉の中で、最も心に残っていて忘れられない教えは、「米1粒でも無駄にすると目がつぶれる!」でした。 面白いこともひねって感動的なことも言わない生真面目で厳しい祖母らしい言葉です。 『「米」は、「八十八」の手間をかけて作る作物なので感謝して大切に食べよう。』とよく言われますね。 理屈は一切語らない祖母なので、米という字の成り立ちを私が知ったのは、ずっと後のことです。いえ、ひょっとしたら米という字の成り立ちを知っていたかどうかもわかりません。 祖母も、親や育ててくれた人に「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と言われてきたのかもしれません。 でも、ただ言われても何も感じなかったら、身体を通り抜けて行ってしまい、残らないと思いますがら、人に伝えることはないでしょう。 祖母は明治生まれ、今のように米作りが機械化されていない頃の米作りは、想像を超える大変さだっただろうと思います。 私には想像するしかなく、本当に実感することは不可能でしょう。 ただ、実家の納屋や農機具庫に残っていた昔の農機具(民族博物館とかにありそうなヤツです)を見ると稲刈りや脱穀も大変な手間だったのだなと感じますし、祖父母の所有していた昔の写真を見ると、農繁期が一大行事で、どんなに大変だっただろうかと思います。 昔、私の地方では、田植えの時期や稲刈りの時期には、近所の農家が順番に、総出で、それぞれの田の田植え、稲狩りをみんなで手伝ってやっていたそうです。 子供の頃、祖父母のアルバムで、母屋の前で、何十人もの人たちが並んで写っていいる集合写真を見て、なんだろうと思っていましたが、農繁期の手伝いに来てくれた人たちとの記念写真だったのです。 田んぼが多い農家にはちょっと遠いところからも手伝いの人が来て、結構な人数の人が集まって田植え、稲刈りをやるのです。来てもらった農家は、手伝いにきた大勢の人たちに食事を振る舞い、決して『腹の細い』思いをさせないよう、十分に食事を用意して提供しなければなりませんでした。 当時の農家の女性は本当に大変だったでしょう。祖母もそれをやってきたのです。もちろんお勝手も、何十人もの食事を一人ではできないですから近所の女性たちが集まって相互に助け合っていたのでしょう。 今は、田植え機も、稲刈り機も機械化され、近所の応援なくして各自でできるようになりました。「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」は、 祖父母の世代の人たちは、 本当に、本当の実感を持って 米や食物のありがたみがわかっていただろうということです。 安易にご飯を残して捨てることは、本当に罰当たりなことだったのです。 「食べ物を大切にしよう」よく言われる言葉ですがこの飽食の時代の私たちには、単なるスローガンのようなものになっているかもしれませんね。 ~祖父母が遺してくれたもの~祖父母はすでに他界してこの世界にはおりません。 「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と小さい頃に言われて、私は「はいわかりました、そうします」と簡単に大切にできる人間だったわけではありません。わかっていることと、できることは違います。 頭では理解していましたが、10代・20代の頃は、本当にはできていませんでした。 そのころは、甘いものが大好きで、ご飯の代わりに甘いものを食べていたのです。 わかっていても普通のご飯を食べる気になれなくて、一人暮らしの夕飯はチョコ!そんなめちゃくちゃな食生活をしていた20代後半、祖母が亡くなりました。 祖母と私は心理的な結びつきが強かったようです。祖母を亡くした喪失感は言葉には言い表せないほどで、毎晩、祖母が夢に現れました。 亡くなってからの、その1ヶ月以上、私は、ほどんど何も食べれない状態になってしまいました。 頭では食べなくては、何か口にしなければと思っても、あれほど食べたくて仕方なかった甘いものも、食欲がなくて何も食べることができなくなりました。 そして、祖母は仏教徒でしたから四十九日の法要をし、その後くらいだったと思います。 ようやく祖母を見送る心の準備ができてきて、少しずつ気持ちの整理がついてきたのだと思います。 食欲が少し戻ってきて、最初に食べたのは、甘いものではなく、普通のご飯でした。 一口、口に入れたとき、「あぁ、ご飯が美味しい」と思いました。美味しかった以上に、その時、「ご飯が食べれることがこんなにありがたいことだったなんて」と真に思いました。 その時の、食べることができた安堵の気持ちと食べる事への感謝の思いは、今でも忘れられません。 それ以来、夕食がわりにチョコやチューインガムを食べる生活は卒業しました。 砂糖をやめるのはまだずっと後のことですが、約10年ほど、めちゃくちゃな食生活だったところから抜け出して、ご飯が美味しく、楽しく、ありがたく食べれるようになりました。 祖母の死が、一種のショック療法になったということですが、 これも祖母の最後の贈り物、いえ、私に与えられた試練だったのでしょうか。 頑固一徹信念の人、祖母らしい荒療法を施して旅立って行きました。 そんな明治女の影響を受けていますので、まめでのキッチンでも、食べ物を粗末にするスタッフに厳しいです。 私たちは飽食の時代に育っていますから、入りたての新人スタッフの多くは、野菜や食材を無駄に切り刻んで、いとも簡単に捨てようとします。鍋肌にたくさん料理が残った状態で洗おうとするスタッフは、もれなく私に叱られます。 「それくらいいいでしょ、ケチ臭い店主だな」と内心思っているかもしれません笑今まで、ここまで詳しく背景は話していなかったですしね。 後日談: ブログに目を通したスタッフの姿勢が変わったのを感じます。 私に注意されるからじゃなくて、自発的に食材を大切にしてくれているように思います。 お読みくださってありがとうございます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ブログは、週刊メルマガをrewriteしています。 ブログには載らない呟きや記事もあります。 直接メルマガを受け取ってみませんか? メルマガは、maga.sugar-free@mamedeno1.com より配信しています(配信専用) 携帯メールの方は、受信できるよう設定をお願いいたします。 メルマガ登録はこちらから 砂糖なしでe-magazine

  • 保護中: Gyu-newな話2 その対策、すごいです・・・

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  • やけどの水膨れが数時間で跡形もなく消滅

    先日、ランチライム中に、 揚げ油が跳ねて、火傷したんです。 右手の中指、薬指、小指。 揚げ油の中に、 食材からか、調理器具からかは、 わからないのですが 何か水気があったらしい。 手を近づけた時に、ちょうど 『ボワンッ!』と 油が大きくうねり跳ねて、 右手の3本の指にまともにぶっかかりました。 飲食店やってらっしゃる方は、 おそらく皆さんそうだと思いますけど、 指を怪我しても、火傷しても オーダーが入っている時は そのまま、調理続けるんですね。 (怪我は輪ゴムとかでぐるぐる巻きにして止血してビニール袋かぶせて食材を汚染しないようにしてやりますよ) さて、火傷は皆さんご存知のように、 すぐに冷やさないと、水膨れになったり 症状がひどくなりますよね。 でも右手なので、 作業を止めるわけにもいかず、 流水を2、3秒かけるくらいで、あとは保冷剤を引っ張り出してきて当てがうくらい。 されど、作業中の利き手なので、 これも5秒くらいだけあてる。 何しろ、お料理出すのが優先です。 注文とその次の注文の間に、 もう一回、流水数秒、保冷剤数秒くらい 当てて冷やしました。 そのまま仕事続けていて、気付いたら 1時間近く経っていたでしょうか。 14時にちょうどスタッフがやってきて、 ようやく自分の状況を省みる余裕ができました。 はたと気づいたら、小指あたりに 水膨れができていて痛みがある。 ヤバイ! と思ったけれど、 今度はウーバーイーツの注文が入り、 ゆっくり冷やしている暇はない。 どうしようかと考えた時に、 ふと、あることを思い出して、 サニーレタスの外葉、 お客様にはお出ししない部分の、 葉っぱを右手に巻き付けた。 冷蔵庫に入っていたし、いい感じにひんやりする。 この時の状況を、若いスタッフは、 「おかしなことやるなあ」と見ていたようだ。 後日、 「そんなのやってる人見たら、  この人、完全にいっちゃってると思うだろう」と いってましたから笑 で、火傷に話を戻しますと、 火傷に巻き付けたサニーレタスは、 完全に萎びてしなしな、 体温で熱くなったところで ありがとうさせていただいた。 そのあとは、火傷のことは 忘れてしまって、仕事を続けました。 そして 翌日、ふと、「そういえば火傷!」と、 思い出しました。 火傷の指を見ると、何と 水膨れはなかったのです。 どの指も正常で、痛みもなし。 びっくりするほど、何も異変なく、 水膨れも火傷の後もない。 痛みも違和感もないから つい火傷したこと忘れちゃったんでしょうね。 マクロビオッティックなどを学ばれた方は ご存知でしょうが、 火傷の時に葉物野菜で冷やすのは お手当てのひとつである。 座学で学んだが、今までやったことはなかった。 「机上の理論」とまでは言わないが、 まさか、ここまで効くとは思わなかった、 これまで、自然派のお手当は、 どちらかと言うと ゆっくり作用するもので、 即効性はないと思っていて、 対処療法である西洋医学の方が、 早く効くだろうと思っていた。 しかし、考えてみると、 仮に、できかけていた水膨れに 火傷用の軟膏を塗っても 一晩で治ったかどうかわからない。 そんなに早くは治らなかった のではないかと推測する。 そうやって考えると、 葉物野菜で火傷があっという間に 消滅してしまったことが あまりにもすごーい!!と思ったので ご紹介したくなり、ペンを取りました。 今、手元に、 大森一慧 先生の著書 「からだの自然治癒力を引きだす食事と手当て」 がありまして、 それによると、 「油がはねた、というような軽い火傷には 軽く塩を塗ってから青菜をのせクールダウン。 痛みが出てきたら青菜は取り替えます」 とのこと。 一慧先生、塩と青菜なんですね。 塩は、実は切り傷にも有効です。 「傷口に塩」って、悪い冗談だと 思う人もいるでしょうが、 塩は「締める」作用があるので 止血効果や患部を収縮させる(ふさぐ)作用があります。 殺菌効果も。 この本には、火傷に塩を使う理由は書いてありませんが、 おそらくそのような理由なのではないかと 私は思いました。 化膿したり、水膨れ(膨れる=広がる)のを 防ぐ目的ではないかと推測します。 「痛みが出たら、青菜を取り換える」 そう、だから私は、野菜(植物)は尊いと 思うのです。 ただ単に冷やすだけではなくて、 火傷の熱と一緒に、痛みや炎症持って行ってくれる ってことなんでしょうね。 植物は代わりに萎れてくれる、 優しきものたちです。 私の火傷も、痛みと水膨れを サニーレタスが持って行ってくれました。 ちなみに、東城百合子先生の著書 「自然療法」では、 「すぐ塩水につけること」とまずあって、 ビワの葉エキスにつけると痛みなく 早く傷も残さず治る」とある あとは、私も子供の頃からお世話になっていた アロエ。 それから石蕗(ツワブキ)を炙ってつけるのも 効果的だとか。 ツワブキって、身近に庭とかにある方は、 都会では少ないかもしれませんが、 アウトドアで火傷した時なんかに 野にあったら使える?!かな。 ビワの葉エキスは、自然食品店などに 売っていることがありますが、 自分で作れます。 私は自家製のビワの葉エキスを常備しています。 傷にはビワの葉エキスです。 今回はサニーレタスのおかげで出番はなかったですが。 いやあ、葉っぱ(植物)すごい!!と 思ったので、 火傷の話をちょっとだけ書くのつもりが、 書いちゃいましたね(汗 もちろん、重度の火傷には、 さらに別のお手当が必要なので、 全ての火傷に葉っぱ、ではありません。 お気をつけください。 ところで 冒頭に記したように、 火傷に葉っぱ貼るなんて、 『ちょっとおかしな人』 これが一般的な感覚なのだと この時、気づかされました。 「傷や疾患は薬や医療行為で 直すもの」→ 「薬や医療でしか治らない」 近年、私たちはこのように 刷り込まれてきましたからね。 かくゆう私も子供の頃、 風邪をひいた祖父が 喉にネギを貼り付けて 手拭いを巻いている (ネギ湿布?!というのでしょうかね) という姿を何度も目撃していて、 「おじいちゃん、そんなことしても治らないよ」 とそのたびに言っていたのを思い出しました。 当時、私は、体調不良は病院や薬でしか治らないと 思っていたのです。 ネギ湿布は、 一度も試したことはありませんが、 何度もやっていたということは、 ひょっとして効果があったのかも しれませんね。 いつかやってみよう笑 何はともあれ、私たちの糧として また代わりに萎びたり枯れたり その生命を差し出してくれる 植物たちにとても感謝しています。 植物は高貴な存在だと個人的には思っています。 あぁ、こういうこと書くから 変な人なんでしょうね(汗 最後までお読みくださって ありがとうございます。

  • 保護中: 、けどGyunewについて、ちょっと整理してみようかな。

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  • あなたの「旨い」は大丈夫?

    先日、時々来店される顔見知りのお客様が店でランチを召し上がった後、お帰りの際におっしゃった言葉があります。 「私、実は最初、ここのお料理が美味しいと思えなかったんです。 でもそれは、自分が化学調味料の味に慣れてしまっていたからだと気付きました」と。 美味しいと感じなかったにもかかわらず何度も来店してくださっていたなんて、なんとありがたいことか! ありがとございます!!! 確かに、化学調味料は、私たちの舌に絶大な影響を及ぼして旨いと感じさせます。それはとても強大です。私は、化学調味料が入ったものを食べると、3日ほど舌が痺れています。 また、以前実家で、醤油差しに入っていた醤油様の黒い液体を味見しようと数滴口にした途端、舌に突き刺すような痛みがはしり、「お母さーん!」 と思わず叫んでしまいました。 これは、父がどこかで貰ってきた市販の昆布風味のしょうゆという類の化学調味料入りの味付け醤油だったのです。 本来はそれくらい味覚に刺激を与えるものです。でも食べ続けていると、慣れて麻痺して、感じなくなります。 独身で一人暮らしをしていた頃、仕事が忙しくて、お昼をコンビニ弁当で済ませていた時期があります。 最初にコンビニ弁当を食べ始めた時は、「なんか嫌な味だな」とか「嫌な匂いだな」と思っていたのですが、数回利用するうちに嫌な感じも何もなくなって美味しいと感じるようになっていたのです。 その後、手作り弁当に戻していましたが、環境が変わって、久しぶりにまたコンビニ弁当を食べたら、やっぱり「嫌な味、匂い」がしました。 本当に、怖いことに、科学的な味で、舌が麻痺してより強い刺激じゃないと美味しいと感じなくなってしまうということです。 前述の、便利な市販の化学調味料入りの味付け醤油、たった数滴で、無数の針で舌を突かれたような激しい痛みを伴いました。 このように、化学調味料は、激しく舌を刺激し、そのうち麻痺させ、味覚を鈍化させてしまうものだということです。 あなたが今、もし化学調味料入りのものを日常的に召し上がっているなら、1週間から10日くらいそれらがない生活をして、その後に元の化学調味料入りに戻してみるとよくわかると思います。 ある方が、普段は市販の一般的な醤油を使っていたのですが、厳選した材料を使った天然醸造の醤油を目にし、さぞかし美味しいだろうと購入し、楽しみに家に帰って使ってみました。 すると 「ん・・・?思ったほど美味しいと思えない。」 「高いお金払って、残念だったな。」と思ったそうです。 そして、その醤油を使い切る頃、今までの醤油に戻しました。 そうしたら、なんということか、「すごく不味い!」と思ったそうです。 今まで、強い化学的な旨味に慣れて麻痺していたんでしょうね。 市販のお醤油は、早く大量に醸造するため、製造過程で、アミノ酸液など旨味になる成分を添加したり、甘味料・着色料や保存のためにアルコールを添加したりします。 醤油に何が添加されているかは、地域によってちょっとずつ違うように思います。 その地域の人たちの好みというか食文化に影響されるのでしょうね。 以前、島根県の出雲大社の近くの蕎麦屋さんで、お蕎麦を食べようとして、「砂糖が食べれないので、つゆではなくて醤油をください」と店員さんにお願いしたところ、一瞬、ん?という間があって、帰ってきた言葉は、 「え?お醤油には砂糖入っていますよね!」というものでした。 島根県が全てそうではありませんが、地域によって甘い醤油が好まれる地域があるのだと思いました。当店が使用している同じ島根県の奥出雲の井上醤油店さんは、大豆、小麦、塩という昔ながらのシンプルな原材料で作られています。奥出雲地域は、井上醤油店さん意外にも、森田醤油さんなど、昔ながらの製法で厳選した材料で作ったお醤油メーカーやお酒の醸造メーカーもあって、私にとっては好きな地域です。 私は乳は口にしませんが、牛乳やバターなど乳製品で質の良いものを作られている「木次乳業」さんのある木次町もこの近くです。 ここの製品は自然食品店に置いてありますのでご存知の方も多いのではないかと思います。 話を先ほどの醤油に戻しますと、私の生まれ育った地域では、残念ながら、現在、地域で流通している醤油は、アミノ酸、アルコールなどが添加された地元の醸造メーカーものです。 私が子供の頃に実家で使っていた地元の醤油メーカーさんは、残念ながら今はありませんが、井上醤油店さんと丸島醤油さんの間のようなお醤油だったような記憶があります。 (余談ですが、こうしてみると、私、けっこう醤油愛がありますね汗) さて本日は、さらに、 美味い→うまい→からの「旨い」について、ちょっと思ったことを記してみたいと思います。 まず先に、旨いの「旨味」というのは、西洋学的にいうと、グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸などだそうですが、グルタミン酸は、海藻や肉や魚、野菜、発酵食品など多くの食べ物に含まれています。イノシン酸は、主に肉や魚。グアニル酸は、干ししいたけなど、主にきのこ類に多く含まれているそうです。 しかし、どうもそれだけでは語れない、人間の旨いの認知、知覚があるように思います。 それは、先の出雲大社近くのお蕎麦屋さんの醤油に入っていたように砂糖の「甘み」=「旨み」という事実です。和食に砂糖など甘みが多様されているのは、それが「旨味として美味しい」と私たちが感じるからなのではないでしょうか。 肉や魚など動物性食品を食べない人たちは、玉ねぎや、ネギ、ニンニクなどで旨味を出して料理するのですが、中には、アジア圏を中心としたオリエンタルヴィーガンと言って、五葷(ごくん)抜きの方がいらしゃいます。五葷とは、ニンニク、ワケギ、ニラ、ネギ類(玉ねぎも)、ラッキョウなどで、どれも強い匂いを持っています。これらを食べないとする人たちは、五葷に含まれる旨味の代わりに、砂糖などの甘みを旨味成分として使って召し上がっているように思います。 五葷を食べないのは、仏教思想に基づく菜食の考え方の一種なのだそうで、精進料理にもこの五葷は使われていません。 ただし、動物性食品を使っていないからと精進料理ばかり食べていると結構な量の砂糖と添加物を撮ってしまうことになるかもしれません。肉魚、五葷は使っていないけど、砂糖は煮物や煮豆にたっぷり入っています。肉や魚に見立てた既製品の擬き食品の中には添加物や着色料がたくさん入ったものもあるので、店を選ぶ時は慎重に選ぶに越したことはないでしょう。 ここで誤解しないで頂きたいのは、五葷抜き自体を否定しているわけではないということです。 ヴィーガンなど植物性の物だけを食べている場合、自然の摂理として、これら匂いの強い五葷の野菜は必要なくなるということです。 なぜなら、これら匂いの強い五葷は、肉などの毒消しになるものだからです。 当店に、かつて、20年以上ヴィーガンというスタッフがいました。20年以上菜食なので、消化すべき肉の毒素がないので、何もしなくても体が自然に五葷を欲しないということなんです。だから逆に食べると体内のバランスが崩れてしまうということです。 私は、今は時々動物性を入れますが、それでも数日に1回なので、一般の方より少ないと思います。先日、韓国ドラマで、ワケギのキムチを食べているのをみて、作ってみたくて作ったのですが、生のわけぎに、塩をしてキムチ漬けにしたのですが、出来上がったキムチをそのまま食べると、やはり強すぎたようで、数日しんどい感じがしていました。その残りは、やはりたくさんは食べれず、炒め物や、汁など火を入れて、少しずつ使い切りました。わけぎキムチは、焼肉などたくさんお肉を食べる人向きのサイドメニューということでしょう。 20年ヴィーガンのスタッフがいた一方、別な時期には、ヴィーガン1、2年めのスタッフがいたこともあります。この2人の違いは、とても興味深かったです。同じように五葷を食べないように見えますが、一方は、自然に体が欲してないから食べないもう一方は、食べてはならないものだから食べないようにしている、なのです。20年ヴィーガンさんがよく口にしていたのは、「20年やってると、どうでも良くなる」でした。最初はどういう意味か、よくわかりませんでしたが、新米ヴィーガンさんと接してよくわかりました。20年ヴィーガンさんは、自然体で、体の声を聞いていただけなんだなあと感じました。新米さんは頭の理解(理論・理屈 )で、ああしなくては、こうしなくては、と行動していたように思いました。私の目には、新米さんは、体内に動物性毒が残っているのに、五葷はダメ!って、食べないようにしていたので、毒素がうまく抜けず、排毒して欲しくないところから排毒して、しんどそうに見えました。(私の目にはそう見えた、というだけですが) 話を旨味の代替え甘みに戻します。五葷抜きのオリエンタルヴィーガンさんでも、旨味を甘みに頼らず、ヴィーガンライフを送っていらっしゃる方もきっといらっしゃるのではないかと思います。 オリエンタルヴィーガンの店や既成食品を見る限りでは五葷の代わりに砂糖を多用しているなあと感じるだけです。 ですから、砂糖を控えたいならば、オリエンタルヴィーガンの店やヴィーガン食品を利用するときに、甘味の使用がご自身の許容範囲かどうか確認してからご利用をお決めになるとよいのではないでしょうか。 マクロビオティックカフェでも旨いの違いがありました。私が、かつて自然食に興味を持ち始めた頃、割と近場にあった2店の自然食カフェがとても印象的でした。2店のうち、私は、当時、一方の店の方が美味しいと思っていました。いえ、事実おいしかったですし、今はなき、このカフェを先輩店として今でも尊敬しています。もう一方も、素敵な器に盛り付けてあって、素敵でしたが、正直、何か物足りないような気がしていました。 この2店の決定的な違いは、私が自然食の勉強をさらに進めた時に気付きました。美味しいと思った方の店は、白砂糖こそ使っていなかったものの、味付けの一部に「甜菜糖」を使っていたのです。そしてもう一方は、今の当店のように、砂糖不使用の店でした(乳・卵も不使用。)つまり、自然食に慣れていなくて、まだ添加物入りの食材を食べていた身には「甘い」方の店が「旨い」と感じたということです。 その数年後、私は「もう一方」の砂糖不使用の店で修業させていただくことになりました。関心を持ち始めた頃には想像すらできなかったことでした。今はなき、この店での修業は、辛く厳しくかったですが、砂糖を使わない料理の実践をさせていただき、とても鍛えられました。 働かせていただき、とてもありがたかったです。 砂糖不使用は、先輩方が、礎を築いてくださったから、後に続けたのだと思います。これからも、砂糖なくても美味しくなるよう工夫、開発していきたいと思います。 お読みくださってありがとうございます。

  • 反響ありがとうございます、米一粒の価値観

    前回の「明治女…」に、思った以上に反響がありまして、Instagram等へメッセージくださった方々もいらして、本当にありがたく思っております。 「すごく刺激を受けた」というお声や「私も言われた!」という共感のお声もありました。やっぱり明治や大正生まれあたりのおじいちゃん、おばあちゃん世代が農業されてて、接したことのある方が教えをいただいているのかなと思いました。ありがとうございます。「米1粒でも無駄にすると目がつぶれる!」は、お米が真に「生きていく上での糧」であった時代からの教えなのだと思います。ちなみに、このような明治女に影響を受けて育った私は、子供の頃から、もし結婚するなら、結婚相手かどうか見極める際にまずは最初に見る判断基準は、お茶碗にご飯粒を残して食べ終わる人か、全て米粒を残さず食べ終わるか、を確認しようと決めておりました。これは、ご家庭でどのようなしつけを受けたかであり、価値観であるので、米粒残して食べ終わっても気にならないご家庭の人と結婚したならば、きっと姻戚関係での価値観の相違が大きく、大変なのではないかと思ったからです。結婚して結果どうだったか気になりますか? 少なくとも私サイドは、義父母と価値観の相違で大きく葛藤したことはないので、おそらく、この見当は間違っていなかったと思います。私は全くもって至らぬ嫁ですが、いつも優しく接してくれる義父母には感謝しかありません。 え、嘘っぽいですか?いえ、本当です。 ただ、夫からは、いろんな場面で 「そんなことするなんて信じられない」と言われることがよくあります。 双方向ではないかもしれませんね。。。どんな話だったっけ?は、こちらをご覧ください↓https://mamedeno1.com/?p=529

  • がんこ明治女の教えがもたらした影響

    私は、兼業農家の生まれで、7人家族で育ちました。祖父母、父母、弟2人と私です。 父母は、外で働いていたので、平日、学校から帰ってくると家にいたのは祖父母でした。 つまり、18歳で家を出るまでの、とても重要な時間を祖父母と過ごすことが多かったのです。 祖父は温厚な人でいつもニコニコしていて、恵比寿さんのような人だと言う人もいました。 一方、祖母は、1本しんが通っていて、考え方がはっきりしていて、間違っていると思ったことには決して譲歩しない硬い石の、いえ固い意志の持ち主でした。 そんな鉄の女ならぬ「意志の女」祖母は、当時、祖父と一緒に、畑で野菜を作り、米作りのため田仕事、山仕事をしていました。 学校から帰ると、近所の友達と遊ぶこともありましたが、田や畑で、また納屋で仕事している祖父母のところに行き、傍で遊んだりすることもありました。当たり前のように、日常的にその光景を見て育ちました。 18歳までの多感な時期に一緒に過ごすことが多かったので、沢山の影響を受けたと思いますし、祖母には厳しくしつけられたと思います。 受験勉強で最も机についていたい時期にも、上げ膳据え膳は許してもらえませんでした。 そんな祖母の言葉の中で、最も心に残っていて忘れられない教えは、「米1粒でも無駄にすると目がつぶれる!」でした。 面白いこともひねって感動的なことも言わない生真面目で厳しい祖母らしい言葉です。 『「米」は、「八十八」の手間をかけて作る作物なので感謝して大切に食べよう。』とよく言われますね。 理屈は一切語らない祖母なので、米という字の成り立ちを私が知ったのは、ずっと後のことです。いえ、ひょっとしたら米という字の成り立ちを知っていたかどうかもわかりません。 祖母も、親や育ててくれた人に「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と言われてきたのかもしれません。 でも、ただ言われても何も感じなかったら、身体を通り抜けて行ってしまい、残らないと思いますがら、人に伝えることはないでしょう。 祖母は明治生まれ、今のように米作りが機械化されていない頃の米作りは、想像を超える大変さだっただろうと思います。 私には想像するしかなく、本当に実感することは不可能でしょう。 ただ、実家の納屋や農機具庫に残っていた昔の農機具(民族博物館とかにありそうなヤツです)を見ると稲刈りや脱穀も大変な手間だったのだなと感じますし、祖父母の所有していた昔の写真を見ると、農繁期が一大行事で、どんなに大変だっただろうかと思います。 昔、私の地方では、田植えの時期や稲刈りの時期には、近所の農家が順番に、総出で、それぞれの田の田植え、稲狩りをみんなで手伝ってやっていたそうです。 子供の頃、祖父母のアルバムで、母屋の前で、何十人もの人たちが並んで写っていいる集合写真を見て、なんだろうと思っていましたが、農繁期の手伝いに来てくれた人たちとの記念写真だったのです。 田んぼが多い農家にはちょっと遠いところからも手伝いの人が来て、結構な人数の人が集まって田植え、稲刈りをやるのです。来てもらった農家は、手伝いにきた大勢の人たちに食事を振る舞い、決して『腹の細い』思いをさせないよう、十分に食事を用意して提供しなければなりませんでした。 いやぁ、同時の農家の女性は本当に大変だったでしょう。祖母もそれをやってきたのでしょう。もちろんお勝手も、この人数の食事を一人ではできないですから近所の女性たちが集まって相互に助け合っていたのでしょう。 今は、田植え機も、稲刈り機も機械化され、近所の応援なくして各自でできるようになりました。余談ですが、この相互に助け合う共同体は、今も残っていて、お葬式を自宅で行いますので、その際には、皆、仕事を切り上げて食事の支度や葬儀の準備にその家に行きます。この先は、それもなくなって行くのだろうと思いますが。 話を戻しますと、「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」は、祖父母の世代の人たちは、本当に、本当の実感を持って米や食物のありがたみがわかっていただろうということです。 安易にご飯を残して捨てることは、本当に罰当たりなことだったのです。 「食べ物を大切にしよう」よく言われる言葉ですがこの飽食の時代の私たちには、単なるスローガンのようなものになっているかもしれませんね。 ~祖父母が遺してくれたもの~祖父母はすでに他界してこの世界にはおりません。 「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と小さい頃に言われて、私は「はいそうします」と簡単に大切にできる人間になれたわけではありません。わかっていることと、できることは違うんです。 頭では理解していましたが、10代の頃、20代の頃、本当にはできていませんでした。 それは、甘いものを貪るように食べていた私のブラックな歴史が物語っています。(※1巻末参照) わかっていてもできなくて、一人暮らしの夕飯はチョコ!ちょっと罪悪感もありつつ暮らしていた20代後半祖母が亡くなりました。 祖母と私は心理的な結びつきが強かったようです。祖母を亡くした喪失感は言葉には言い表せないほどで、毎晩夢に見ること1ヶ月以上。 亡くなってからの、その1ヶ月以上、私は、ほどんど何も食べれない状態になってしまいました。 頭では食べなくては、何か口にしなければと思っても、あれほど、中毒で食べたくて仕方なかった甘いものも、食欲がなくて何も欲しくなくなりました。 そして、祖母は仏教徒でしたから四十九日の法要をし、その頃、ようやく少し気持ちの整理がついたのだと思います。 食欲が少し戻ってきて、最初に食べたのは、甘いものではなく、普通のご飯だったと思います。 一口、口に入れたとき、ご飯が美味しいと思い、美味しかった以上に、その時、「食べれることはなんてありがたいことか」と真に思いました。 こみ上げてきた感情と、食べる事ができたことへの感謝の思いは、今でも忘れられません。 それ以来、夕食がわりにチョコやチューインガムを食べる生活は卒業しました。 砂糖をやめるのはまだずっと後のことですが、約10年ほど、めちゃくちゃな食生活だったところから抜け出して、ご飯が美味しく、楽しく、ありがたく食べれるようになりました。 祖母の最後のプレゼント!なんて言ってしまえばかっこいいですが、まぁ、一種のショック療法になったということでしょう。 そんな明治女の影響を受けていますので、まめでのキッチンでも、食べ物を粗末にするスタッフに厳しいです。 お客様にお出しする以外の野菜くずや食材は、できる限り、賄いなどでいただくようにしています。鍋肌にたくさん料理が残った状態で洗おうとするスタッフは、もれなく私に叱られます。 「それくらいいいでしょ、ケチ臭いオーナーだな」と内心思っているかもしれません笑今まで、ここまで詳しく背景は話していなかったですしね。 ちなみに、タイトルの「がんこ」とはですね祖母の名前です。本当は『岩子』と書いて『いわこ』と読みます。本名です。女性に『岩』とつけるなんて子供心にすごい名前だなあと思っていました。名前の通り、がんこな岩のような人だと思っていました。(おばあちゃん、ごめんなさい)でも、言い方を変えれば、本当に『意志の人』でした。誰に認めてもらえなくても、誰にも分かってもらえなくても「天が見ていてくださる」と言っていたそうです。(私は子供だったので直接聞いたことはないですが母にはよくそう言っていたそうです) 実家の辺りでは、5月上旬が田植えシーズンです。土をおこした田んぼの匂いと、苗の匂いを思い出しながら、記してみました。 お読みくださってありがとうございます。 ※1 文中の”私のブラックな歴史が物語っています。”は、 以下にも記載があります。 https://mamedeno1.com/?p=375 https://mamedeno1.com/?p=537

  • 小麦『粉』が消えたキッチン、それから。

    まめでのcafe店舗での話です。 まめでのcafeは、オープン当初より、 乳製品・卵・砂糖不使用、動物性食材不使用で スイーツやランチを提供してきました。 コンセプトに小麦不使用とはうたっていなくて、 当初はスイーツは全て小麦粉を使った焼き菓子や 生菓子でした。 ランチも、ペンネやマカロニ、 車麩(小麦グルテン)フライにコロッケ、 揚げ物の衣は小麦粉、というように 小麦粉を普通に使っておりました。 しかし、今年2022年4月上旬より、小麦粉を使ったメニューが店頭から消えました。 この小麦粉は、2〜3年くらいかけて少しずつ、撤退したので、 不自由さや、大変さはそれほどなくやっております。 ないないづくしのまめでのに「無い」が一つ増え、 それはそれで、制約が増えると新たなメニューが浮かんだりするので面白かったりします。 経緯は、こちらに記しております。↓ https://mamedeno1.com/?p=509 ↑前回も書きましたが、あくまでも、 「小麦粉」つまり小麦「粉」の使用が無くなったということであって、「小麦」の使用はあるということです。 たった一つ、お醤油のみ小麦を使っています。 それから、麦味噌(麦麹)は使っていませんが、 スイーツの甘みに米水飴を使用しておりまして、 これは『大麦麦芽』を使用しております。 ですから、『グルテンフリー』とはうたっておりません。 このたった一つ、小麦を使っているもの、 そのお醤油は、 奥出雲の井上醤油店さんの古式醤油です。 小麦を使わない、大豆醤油や、米醤油、雑穀醤油などに 変える方法もありますが、料理の味が変わってしまうので、 簡単には決断はできません。 私は、西日本の出身で、日常の醤油は薄口醤油という 環境で育ったため、たまり醤油のような、とっぷりコクのある 醤油が未だになれなくて、 この奥出雲の井上醤油店さんの古式醤油は、 「濃口」ではあるのですが、 名古屋の濃口醤油とは粘度や風味が違います。 濃い口と言いつつも、濃厚なエグ味はなく、 すっきりサラッとしていて旨味があります。 お客様の中には、当店のお料理を美味しいと思ってくださる方が いらっしゃいますが、それは、野菜の力とこの醤油の 力だと思っています。 それでも、「良い野菜で、良い調味料を使ってみたけど、 同じような味にならない」とおっしゃるお客様がいました。 あとは、どのタイミングで調味料を入れるか、という タイミングも味に影響するかと思います。 そんなことわかっているよ、という ベテラン主婦の方もいらっしゃるでしょう。 ただ、無い無いづくしのベジクッキングは、 肉や魚を使った調理とは、すこーし違ったアプローチも 必要です。 ともすれば、あなたが不必要なものだと思っていたものが 大きなポイントになったりします。 あなたがいらないものだと思っていたものを、うまく活用すれば、野菜の旨味を存分に引き出し、美味しい料理ができると 思います。 ないないづくしでもお料理ができる! そんなことも近い将来、提案していきたいなと思っております。

  • 毎度1秒パニック!!

    あぁ〜今、いい季節になりましたね。 暖房もいらない、冷房もまだ早い。 こんな季節は 窓を開けて気持ちよい風を受けたく 自宅で窓を開けて過ごします。 そんな時、実は毎度、パニックに陥ることがあるのです。 それは、隣家から入ってくる匂い。 「わ!殺虫剤の匂いだ!」と 一瞬パニックになるのです。 殺虫剤だと思った次の瞬間には 「ああ、これはシャンプーの匂いか。」 と認識を改めるのですが 私のセンサーが最初に感知するのが 必ず「殺虫剤の匂い」 なのです。 しかもこの殺虫剤は、 今の殺虫剤ではなくて、私が子供の頃にあった ブルーのピストンのような噴霧式の殺虫剤の匂いなのです。 ネットで調べると、昭和レトロ感たっぷりの 噴霧器の写真が出てきたのですが、 匂いの成分はよく分かりませんでした。 でも、今の殺虫剤とは違うように思います。 近頃のものは人体に無害とか安全とかうたっているものが 多いように思います。 殺虫剤でよくわからなかったので、違う方向から 改めてみてみましょう。 それは、 洗剤で虫が殺せるということです。 台所洗剤、お風呂の洗剤、もちろんシャンプーも。 虫が殺せる理由は、 市販の洗剤に含まれる界面活性剤の作用で 虫の気門という呼吸孔が塞がれて、窒息死するからなのだそうです。 一説には、下手な殺虫剤よりよく殺せるとか。 私が感知している匂いが界面活性剤なのかは、 分かりません。 界面活性剤の匂いがどんなものかもわかりません。 界面活性剤が登場したので、 界面活性剤を、もうちょっとみてみましょう。 界面活性剤は、 『天然』のものと 『合成』のものがあります。 天然は『石けん』とか『純石けん』と言われる 「脂肪酸ナトリウム」とか「「脂肪酸カリウム」という 表示のあるものが天然界面活性剤で、 それ以外のものが 合成界面活性剤なのだそうです。 界面活性剤の種類は数千種類もあるようです。 天然界面活性剤は、安全度は高いですが 合成界面活性剤の中には、発がん性のあるものもあるようです。 界面活性剤は、水と油のように、本来混じり合わない成分のものを 混じり合わせる性質があります。 故に、人間の皮膚など、 外部からの有害なものの侵入を防いでいる皮脂膜を 突き破って界面活性剤は体内に侵入できるのです。 これによって、市販のシャンプーやボディーソープなどに含まれる 合成界面活性剤は、容易に体内に侵入できるということです。 同じように、市販の洗濯洗剤の残留した衣類を着ることによっても 合成界面活性剤は皮膚から体内へ侵入します。 また、市販の食器用洗剤の残留によって食器に入れた食べ物とともに 口からも侵入します。 ひょっとしたら、 私のように隣家の人間が、だたよってきた洗剤の匂いで 口や鼻から侵入する可能性もあるでしょうか。 合成界面活性剤は、 体内に入ると肝臓でも分解できないのだそうです。 分解できないどころか、肝臓の組織を破壊し、肝臓障害を引き起こし ひいては、癌を発症する恐れもあるのだとか。 恐るべし、合成界面活性剤。 洗剤で虫ならず人も殺せるということでしょうか。 私のセンサーは、何度でもシャンプーの匂いを 「殺虫剤」と誤認識し瞬間パニックになります。 これは「殺人剤」つまり 「殺される!」と認識して、瞬間パニックになるのかもしれません。 真実は分かりませんが。 いつもは砂糖不使用・食について書きますが、 同じ、もしくはそれ以上に大切なことのように思い、 私の体験をもとに紐解いてみました。 お読みくださってありがとうございます。

  • あなたのセンサーどう?

    seasonセンサー って、言葉を 勝手に私が作りました。 どう言ったらしっくりくるかなあと 考えた結果、 出てきた言葉です。 人間に体内時計があるなら、 同じような感じで、 季節ごとに どんな風に食べて暮らすか、 季節感を感じ取って 自然と口にしたくなるもの、 今季節には食べたくないなあと 思うものが わかるセンサーのようなものが あるんじゃないかな、という 話です。 人間が、狩猟していた時代が終わって、 土地に根づき、稲作を始めた頃から 季節に合わせて その時期に採取できるものを 食べ、何も採れない時期のために 保存食を編み出し、食べつなぐ、 そんな生活を私たちの祖先の方々は 長らくやってこられましたよね。 近代化し、工場生産の食べ物で 溢れる時代になる前は。 農耕民族だった私たちは、 自然と共存しながら 旬のものを食べ、 旬のものの幾らかを 味噌や漬物や保存食にして、 いました。 冬場の寒く食料の乏しい時期に、 保存食の少し強めの塩の入ったものを 食べるのは、体を温め、自然の摂理に かなっていたことだったと思います。 今みたいに、ナトリウムを沢山含有した肉を たくさん食べていた時代ではなかったですしね。 そんなご先祖さまたちは、 学問的にあーだこーだ言って 何かを食べてはいなかったと 思います。 親から子へと脈々と 受け継がれていたことでもあり、 自然がとても身近な時代だったので、 教わらなくても、 体内で、この季節にはこれが食べたいという センサーのようなものが働いていたんじゃないかと 私は思うのです。 これは、ご先祖さまだけではなくて、 現代でも、自然食をなさっている方は、 感覚が研ぎ澄まされていて、 seasonセンサーの感度が高いのではないかと 思うのです。 しかし、私たちの多くは、街中に住み、 街路樹や川縁の木々に注意を向ければ 多少の季節感はありますが、 気にしなければ、気温の変化くらいしか わからずに過ごしてしまします。 スーパーに買い物に行けば、 年中手に入る野菜も多く、 どの野菜が、いつが旬なのか、 ご存知ない方も、今とても多いように思います。 かくゆう私も、実家を離れて20年くらい マクロビオティックに出会うまでは 季節を忘れて過ごしていました。 もちろん、頭の理解で、季節はわかっています。 夏は暑いし冬は寒いし、スキー、スノーボードをやる アウトドアな一面もありますので、 雪山にも行っていたのですが、 seasonセンサーを働かせていなかったので 単なる季節なんですね。 言葉でどう説明していいのかわかりませんが。 センサーで感知しなければ わからないかもしれませんが、 ひょっとしたら、これは、 単なる外的な刺激を拾うのではなくて、 それを体に受けた時に、 どう感じるのか という内感と言うべきでしょうか、 内側で何を感じるか、 ということなんだと思います。 気温の変化を肌で感じた時に、 どんな感覚なのか、 また、 季節によって匂いが違います。 天候によっても匂いが違います。 台風の季節、 風が運んできた匂いでその台風の大きさに 驚き、体感として 自然に対して畏敬の念を 感じることもあります。 匂いだけではありません。 季節や天候によって、その場の 空気が違います。 これ、「空気読めない」の時に使うのと 多分同じ「空気」ですね、 その場にある エネルギー、パワーとも いうのでしょうか。 住む場所によって、季節を感じ易い、 感じにくいもありますが、 それ以上に、 私たちは、近年、 添加物たっぷり、人工甘味料、砂糖たっぷりの加工食品や、 生産性とコストカットのために化学的に生産された 調味料を食べることに慣れてしまい、 季節によって、これが食べたいとか 食べたくないとか、体調によって、 これは食べたくないとかの感受性が、 鈍化して失われてしまっているのでは ないでしょうか。 鈍化したものは簡単には回復しないかもしれません。 でも、「今、私はどんな感じかな?」と 注意を向けることと、 頭の理解でもいいので 「できるだけ旬のものを食べよう」 とするだけで、何か いつもと違った感覚があるかもしれません。 夏野菜は体を冷やす作用があります。 暑い季節には程よくとって、 暑気払いをしてくれるでしょう。 そんな夏野菜を冬に食べたら体がとても冷えるのですが それすら気付かない方も多いようです。 私は、春先にはよもぎが無性に食べたくなります。 冬の間に溜まった毒素を出そうとするのでしょう。 秋ぐちは、無花果の季節ですが、 私は無花果が子供の頃から大好きです。 名古屋では、秋に安城産の無花果が美味しそうに並んでいますが、 実は自分ではあまり食べません。 私の体質では、大きなあの無花果は1つ食べても 体の芯から指の先までものすごく冷えるのです。 火を入れてコンポートなどにすればそこまでではないでしょうし、 干し無花果は大丈夫です。 あくまでも私の体質の話で、無花果が悪いわけではないので 誤解のないように。 実家の無花果は、安城の無花果の三分の一くらいの大きさなので、 名古屋にきて、その大きさにとてもびっくりしました。 (余談です) なんだか話が脱線してきたので、この辺りにしようかと思います。 色々書きましたが、 何が言いたかったかと言いますと 要するに、 旬を知って旬のものを食べましょうよ! というシンプルな話です。 そうするうちに、seasonセンサーが うまく働くようになるのではないかなあという 私の仮説です。 seasonセンサーが働いた方がいいと思う理由は seasonセンサーが、体に負担をかけない食べ方に 導いてくれるのではないかと思うからです。 ということで、 当店まめでのでは、 季節外れなご注文は、 知らずしらすに お客様の体に負担をかけてしまいますので お断りする場合があります。 真冬にパイナップルなど南国のフルーツや 真夏にほっこり黒胡麻スイーツやホクホクしたさつまいもスイーツなど お断りすると思います。 お許しください。 (実際にあった例です) お読みくださってありがとうございます。