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あなたの「旨い」は大丈夫?

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mamedeno

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この記事は約15分で読めます。

先日、時々来店される顔見知りのお客様が店でランチを召し上がった後、
お帰りの際におっしゃった言葉があります。

「私、実は最初、ここのお料理が美味しいと思えなかったんです。

でもそれは、自分が化学調味料の味に慣れてしまっていたからだと気付きました」と。

美味しいと感じなかったにもかかわらず
何度も来店してくださっていたなんて、
なんとありがたいことか!

ありがとございます!!!

確かに、化学調味料は、私たちの舌に絶大な影響を及ぼして
旨いと感じさせます。
それはとても強大です。
私は、化学調味料が入ったものを食べると、3日ほど舌が痺れています。


また、以前実家で、醤油差しに入っていた醤油様の黒い液体を
味見しようと数滴口にした途端、舌に突き刺すような痛みがはしり、
「お母さーん!」

と思わず叫んでしまいました。

これは、父がどこかで貰ってきた市販の昆布風味のしょうゆという類の化学調味料入りの味付け醤油だったのです。

本来はそれくらい味覚に刺激を与えるものです。
でも食べ続けていると、慣れて麻痺して、感じなくなります。

独身で一人暮らしをしていた頃、仕事が忙しくて、お昼をコンビニ弁当で済ませていた時期があります。

最初にコンビニ弁当を食べ始めた時は、「なんか嫌な味だな」とか「嫌な匂いだな」と思っていたのですが、数回利用するうちに嫌な感じも何もなくなって美味しいと感じるようになっていたのです。

その後、手作り弁当に戻していましたが、環境が変わって、久しぶりにまたコンビニ弁当を食べたら、やっぱり「嫌な味、匂い」がしました。

本当に、怖いことに、科学的な味で、舌が麻痺してより強い刺激じゃないと美味しいと感じなくなってしまうということです。

前述の、便利な市販の化学調味料入りの味付け醤油、たった数滴で、無数の針で舌を突かれたような激しい痛みを伴いました。

このように、化学調味料は、激しく舌を刺激し、そのうち麻痺させ、味覚を鈍化させてしまうものだということです。

あなたが今、もし化学調味料入りのものを日常的に召し上がっているなら、1週間から10日くらいそれらがない生活をして、その後に元の化学調味料入りに戻してみるとよくわかると思います。

ある方が、普段は市販の一般的な醤油を使っていたのですが、厳選した材料を使った天然醸造の醤油を目にし、さぞかし美味しいだろうと購入し、楽しみに家に帰って使ってみました。

すると

「ん・・・?思ったほど美味しいと思えない。」

「高いお金払って、残念だったな。」と思ったそうです。

そして、その醤油を使い切る頃、今までの醤油に戻しました。

そうしたら、なんということか、
「すごく不味い!」
と思ったそうです。

今まで、強い化学的な旨味に慣れて麻痺していたんでしょうね。

市販のお醤油は、早く大量に醸造するため、製造過程で、アミノ酸液など旨味になる成分を添加したり、甘味料・着色料や保存のためにアルコールを添加したりします。

醤油に何が添加されているかは、地域によってちょっとずつ違うように思います。

その地域の人たちの好みというか食文化に影響されるのでしょうね。

以前、島根県の出雲大社の近くの蕎麦屋さんで、お蕎麦を食べようとして、
「砂糖が食べれないので、つゆではなくて醤油をください」と店員さんにお願いしたところ、一瞬、ん?という間があって、帰ってきた言葉は、

「え?お醤油には砂糖入っていますよね!」
というものでした。

島根県が全てそうではありませんが、地域によって甘い醤油が好まれる地域があるのだと思いました。
当店が使用している同じ島根県の奥出雲の井上醤油店さんは、大豆、小麦、塩という昔ながらのシンプルな原材料で作られています。
奥出雲地域は、井上醤油店さん意外にも、森田醤油さんなど、昔ながらの製法で厳選した材料で作ったお醤油メーカーやお酒の醸造メーカーもあって、私にとっては好きな地域です。

私は乳は口にしませんが、牛乳やバターなど乳製品で質の良いものを作られている「木次乳業」さんのある木次町もこの近くです。

ここの製品は自然食品店に置いてありますのでご存知の方も多いのではないかと思います。

話を先ほどの醤油に戻しますと、私の生まれ育った地域では、
残念ながら、現在、地域で流通している醤油は、
アミノ酸、アルコールなどが添加された地元の醸造メーカーものです。


私が子供の頃に実家で使っていた地元の醤油メーカーさんは、残念ながら今はありませんが、
井上醤油店さんと丸島醤油さんの間のようなお醤油だったような記憶があります。

(余談ですが、こうしてみると、私、けっこう醤油愛がありますね汗)

さて本日は、さらに、

美味い→うまい→からの「旨い」について、ちょっと思ったことを記してみたいと思います。


まず先に、旨いの「旨味」というのは、西洋学的にいうと、グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸などだそうですが、
グルタミン酸は、海藻や肉や魚、野菜、発酵食品など多くの食べ物に含まれています。
イノシン酸は、主に肉や魚。
グアニル酸は、干ししいたけなど、主にきのこ類に多く含まれているそうです。

しかし、どうもそれだけでは語れない、人間の旨いの認知、知覚があるように思います。


それは、先の出雲大社近くのお蕎麦屋さんの醤油に入っていたように砂糖の「甘み」=「旨み」という事実です。
和食に砂糖など甘みが多様されているのは、それが「旨味として美味しい」と私たちが感じるからなのではないでしょうか。

肉や魚など動物性食品を食べない人たちは、玉ねぎや、ネギ、ニンニクなどで
旨味を出して料理するのですが、中には、アジア圏を中心としたオリエンタルヴィーガンと言って、五葷(ごくん)抜きの方がいらしゃいます。
五葷とは、ニンニク、ワケギ、ニラ、ネギ類(玉ねぎも)、ラッキョウなどで、どれも強い匂いを持っています。
これらを食べないとする人たちは、五葷に含まれる旨味の代わりに、砂糖などの甘みを旨味成分として使って召し上がっているように思います。

五葷を食べないのは、仏教思想に基づく菜食の考え方の一種なのだそうで、精進料理にもこの五葷は使われていません。


ただし、動物性食品を使っていないからと精進料理ばかり食べていると
結構な量の砂糖と添加物を撮ってしまうことになるかもしれません。
肉魚、五葷は使っていないけど、砂糖は煮物や煮豆にたっぷり入っています。
肉や魚に見立てた既製品の擬き食品の中には添加物や着色料がたくさん入ったものもあるので、店を選ぶ時は慎重に選ぶに越したことはないでしょう。

ここで誤解しないで頂きたいのは、五葷抜き自体を否定しているわけではないということです。

ヴィーガンなど植物性の物だけを食べている場合、自然の摂理として、これら匂いの強い五葷の野菜は必要なくなるということです。

なぜなら、これら匂いの強い五葷は、肉などの毒消しになるものだからです。

当店に、かつて、20年以上ヴィーガンというスタッフがいました。
20年以上菜食なので、消化すべき肉の毒素がないので、何もしなくても体が自然に五葷を欲しないということなんです。だから逆に食べると体内のバランスが崩れてしまうということです。


私は、今は時々動物性を入れますが、それでも数日に1回なので、一般の方より少ないと思います。
先日、韓国ドラマで、ワケギのキムチを食べているのをみて、作ってみたくて作ったのですが、生のわけぎに、塩をしてキムチ漬けにしたのですが、出来上がったキムチをそのまま食べると、やはり強すぎたようで、数日しんどい感じがしていました。
その残りは、やはりたくさんは食べれず、炒め物や、汁など火を入れて、少しずつ使い切りました。
わけぎキムチは、焼肉などたくさんお肉を食べる人向きのサイドメニューということでしょう。

20年ヴィーガンのスタッフがいた一方、別な時期には、ヴィーガン1、2年めのスタッフがいたこともあります。
この2人の違いは、とても興味深かったです。
同じように五葷を食べないように見えますが、
一方は、自然に体が欲してないから食べない
もう一方は、食べてはならないものだから食べないようにしている、
なのです。
20年ヴィーガンさんがよく口にしていたのは、
「20年やってると、どうでも良くなる」でした。
最初はどういう意味か、よくわかりませんでしたが、
新米ヴィーガンさんと接してよくわかりました。
20年ヴィーガンさんは、自然体で、体の声を聞いていただけなんだなあと感じました。
新米さんは頭の理解(理論・理屈 )で、ああしなくては、こうしなくては、と行動していたように思いました。
私の目には、新米さんは、体内に動物性毒が残っているのに、五葷はダメ!って、食べないようにしていたので、毒素がうまく抜けず、排毒して欲しくないところから排毒して、しんどそうに見えました。(私の目にはそう見えた、というだけですが)

話を旨味の代替え甘みに戻します。
五葷抜きのオリエンタルヴィーガンさんでも、旨味を甘みに頼らず、ヴィーガンライフを送っていらっしゃる方もきっといらっしゃるのではないかと思います。

オリエンタルヴィーガンの店や既成食品を見る限りでは五葷の代わりに砂糖を多用しているなあと感じるだけです。


ですから、砂糖を控えたいならば、オリエンタルヴィーガンの店やヴィーガン食品を利用するときに、甘味の使用がご自身の許容範囲かどうか確認してからご利用をお決めになるとよいのではないでしょうか。

マクロビオティックカフェでも旨いの違いがありました。
私が、かつて自然食に興味を持ち始めた頃、割と近場にあった2店の自然食カフェがとても印象的でした。
2店のうち、私は、当時、一方の店の方が美味しいと思っていました。
いえ、事実おいしかったですし、今はなき、このカフェを先輩店として今でも尊敬しています。
もう一方も、素敵な器に盛り付けてあって、素敵でしたが、正直、何か物足りないような気がしていました。

この2店の決定的な違いは、私が自然食の勉強をさらに進めた時に気付きました。
美味しいと思った方の店は、白砂糖こそ使っていなかったものの、
味付けの一部に「甜菜糖」を使っていたのです。
そしてもう一方は、今の当店のように、砂糖不使用の店でした(乳・卵も不使用。)
つまり、自然食に慣れていなくて、まだ添加物入りの食材を食べていた身には「甘い」方の店が「旨い」と感じたということです。

その数年後、私は「もう一方」の砂糖不使用の店で修業させていただくことになりました。
関心を持ち始めた頃には想像すらできなかったことでした。
今はなき、この店での修業は、辛く厳しくかったですが、砂糖を使わない料理の実践をさせていただき、とても鍛えられました。

働かせていただき、とてもありがたかったです。

砂糖不使用は、先輩方が、礎を築いてくださったから、後に続けたのだと思います。
これからも、砂糖なくても美味しくなるよう工夫、開発していきたいと思います。

お読みくださってありがとうございます。