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2022年5月の記事一覧

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    保護中: 、けどGyunewについて、ちょっと整理してみようかな。

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    あなたの「旨い」は大丈夫?

    先日、時々来店される顔見知りのお客様が店でランチを召し上がった後、お帰りの際におっしゃった言葉があります。 「私、実は最初、ここのお料理が美味しいと思えなかったんです。 でもそれは、自分が化学調味料の味に慣れてしまっていたからだと気付きました」と。 美味しいと感じなかったにもかかわらず何度も来店してくださっていたなんて、なんとありがたいことか! ありがとございます!!! 確かに、化学調味料は、私たちの舌に絶大な影響を及ぼして旨いと感じさせます。それはとても強大です。私は、化学調味料が入ったものを食べると、3日ほど舌が痺れています。 また、以前実家で、醤油差しに入っていた醤油様の黒い液体を味見しようと数滴口にした途端、舌に突き刺すような痛みがはしり、「お母さーん!」 と思わず叫んでしまいました。 これは、父がどこかで貰ってきた市販の昆布風味のしょうゆという類の化学調味料入りの味付け醤油だったのです。 本来はそれくらい味覚に刺激を与えるものです。でも食べ続けていると、慣れて麻痺して、感じなくなります。 独身で一人暮らしをしていた頃、仕事が忙しくて、お昼をコンビニ弁当で済ませていた時期があります。 最初にコンビニ弁当を食べ始めた時は、「なんか嫌な味だな」とか「嫌な匂いだな」と思っていたのですが、数回利用するうちに嫌な感じも何もなくなって美味しいと感じるようになっていたのです。 その後、手作り弁当に戻していましたが、環境が変わって、久しぶりにまたコンビニ弁当を食べたら、やっぱり「嫌な味、匂い」がしました。 本当に、怖いことに、科学的な味で、舌が麻痺してより強い刺激じゃないと美味しいと感じなくなってしまうということです。 前述の、便利な市販の化学調味料入りの味付け醤油、たった数滴で、無数の針で舌を突かれたような激しい痛みを伴いました。 このように、化学調味料は、激しく舌を刺激し、そのうち麻痺させ、味覚を鈍化させてしまうものだということです。 あなたが今、もし化学調味料入りのものを日常的に召し上がっているなら、1週間から10日くらいそれらがない生活をして、その後に元の化学調味料入りに戻してみるとよくわかると思います。 ある方が、普段は市販の一般的な醤油を使っていたのですが、厳選した材料を使った天然醸造の醤油を目にし、さぞかし美味しいだろうと購入し、楽しみに家に帰って使ってみました。 すると 「ん・・・?思ったほど美味しいと思えない。」 「高いお金払って、残念だったな。」と思ったそうです。 そして、その醤油を使い切る頃、今までの醤油に戻しました。 そうしたら、なんということか、「すごく不味い!」と思ったそうです。 今まで、強い化学的な旨味に慣れて麻痺していたんでしょうね。 市販のお醤油は、早く大量に醸造するため、製造過程で、アミノ酸液など旨味になる成分を添加したり、甘味料・着色料や保存のためにアルコールを添加したりします。 醤油に何が添加されているかは、地域によってちょっとずつ違うように思います。 その地域の人たちの好みというか食文化に影響されるのでしょうね。 以前、島根県の出雲大社の近くの蕎麦屋さんで、お蕎麦を食べようとして、「砂糖が食べれないので、つゆではなくて醤油をください」と店員さんにお願いしたところ、一瞬、ん?という間があって、帰ってきた言葉は、 「え?お醤油には砂糖入っていますよね!」というものでした。 島根県が全てそうではありませんが、地域によって甘い醤油が好まれる地域があるのだと思いました。当店が使用している同じ島根県の奥出雲の井上醤油店さんは、大豆、小麦、塩という昔ながらのシンプルな原材料で作られています。奥出雲地域は、井上醤油店さん意外にも、森田醤油さんなど、昔ながらの製法で厳選した材料で作ったお醤油メーカーやお酒の醸造メーカーもあって、私にとっては好きな地域です。 私は乳は口にしませんが、牛乳やバターなど乳製品で質の良いものを作られている「木次乳業」さんのある木次町もこの近くです。 ここの製品は自然食品店に置いてありますのでご存知の方も多いのではないかと思います。 話を先ほどの醤油に戻しますと、私の生まれ育った地域では、残念ながら、現在、地域で流通している醤油は、アミノ酸、アルコールなどが添加された地元の醸造メーカーものです。 私が子供の頃に実家で使っていた地元の醤油メーカーさんは、残念ながら今はありませんが、井上醤油店さんと丸島醤油さんの間のようなお醤油だったような記憶があります。 (余談ですが、こうしてみると、私、けっこう醤油愛がありますね汗) さて本日は、さらに、 美味い→うまい→からの「旨い」について、ちょっと思ったことを記してみたいと思います。 まず先に、旨いの「旨味」というのは、西洋学的にいうと、グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸などだそうですが、グルタミン酸は、海藻や肉や魚、野菜、発酵食品など多くの食べ物に含まれています。イノシン酸は、主に肉や魚。グアニル酸は、干ししいたけなど、主にきのこ類に多く含まれているそうです。 しかし、どうもそれだけでは語れない、人間の旨いの認知、知覚があるように思います。 それは、先の出雲大社近くのお蕎麦屋さんの醤油に入っていたように砂糖の「甘み」=「旨み」という事実です。和食に砂糖など甘みが多様されているのは、それが「旨味として美味しい」と私たちが感じるからなのではないでしょうか。 肉や魚など動物性食品を食べない人たちは、玉ねぎや、ネギ、ニンニクなどで旨味を出して料理するのですが、中には、アジア圏を中心としたオリエンタルヴィーガンと言って、五葷(ごくん)抜きの方がいらしゃいます。五葷とは、ニンニク、ワケギ、ニラ、ネギ類(玉ねぎも)、ラッキョウなどで、どれも強い匂いを持っています。これらを食べないとする人たちは、五葷に含まれる旨味の代わりに、砂糖などの甘みを旨味成分として使って召し上がっているように思います。 五葷を食べないのは、仏教思想に基づく菜食の考え方の一種なのだそうで、精進料理にもこの五葷は使われていません。 ただし、動物性食品を使っていないからと精進料理ばかり食べていると結構な量の砂糖と添加物を撮ってしまうことになるかもしれません。肉魚、五葷は使っていないけど、砂糖は煮物や煮豆にたっぷり入っています。肉や魚に見立てた既製品の擬き食品の中には添加物や着色料がたくさん入ったものもあるので、店を選ぶ時は慎重に選ぶに越したことはないでしょう。 ここで誤解しないで頂きたいのは、五葷抜き自体を否定しているわけではないということです。 ヴィーガンなど植物性の物だけを食べている場合、自然の摂理として、これら匂いの強い五葷の野菜は必要なくなるということです。 なぜなら、これら匂いの強い五葷は、肉などの毒消しになるものだからです。 当店に、かつて、20年以上ヴィーガンというスタッフがいました。20年以上菜食なので、消化すべき肉の毒素がないので、何もしなくても体が自然に五葷を欲しないということなんです。だから逆に食べると体内のバランスが崩れてしまうということです。 私は、今は時々動物性を入れますが、それでも数日に1回なので、一般の方より少ないと思います。先日、韓国ドラマで、ワケギのキムチを食べているのをみて、作ってみたくて作ったのですが、生のわけぎに、塩をしてキムチ漬けにしたのですが、出来上がったキムチをそのまま食べると、やはり強すぎたようで、数日しんどい感じがしていました。その残りは、やはりたくさんは食べれず、炒め物や、汁など火を入れて、少しずつ使い切りました。わけぎキムチは、焼肉などたくさんお肉を食べる人向きのサイドメニューということでしょう。 20年ヴィーガンのスタッフがいた一方、別な時期には、ヴィーガン1、2年めのスタッフがいたこともあります。この2人の違いは、とても興味深かったです。同じように五葷を食べないように見えますが、一方は、自然に体が欲してないから食べないもう一方は、食べてはならないものだから食べないようにしている、なのです。20年ヴィーガンさんがよく口にしていたのは、「20年やってると、どうでも良くなる」でした。最初はどういう意味か、よくわかりませんでしたが、新米ヴィーガンさんと接してよくわかりました。20年ヴィーガンさんは、自然体で、体の声を聞いていただけなんだなあと感じました。新米さんは頭の理解(理論・理屈 )で、ああしなくては、こうしなくては、と行動していたように思いました。私の目には、新米さんは、体内に動物性毒が残っているのに、五葷はダメ!って、食べないようにしていたので、毒素がうまく抜けず、排毒して欲しくないところから排毒して、しんどそうに見えました。(私の目にはそう見えた、というだけですが) 話を旨味の代替え甘みに戻します。五葷抜きのオリエンタルヴィーガンさんでも、旨味を甘みに頼らず、ヴィーガンライフを送っていらっしゃる方もきっといらっしゃるのではないかと思います。 オリエンタルヴィーガンの店や既成食品を見る限りでは五葷の代わりに砂糖を多用しているなあと感じるだけです。 ですから、砂糖を控えたいならば、オリエンタルヴィーガンの店やヴィーガン食品を利用するときに、甘味の使用がご自身の許容範囲かどうか確認してからご利用をお決めになるとよいのではないでしょうか。 マクロビオティックカフェでも旨いの違いがありました。私が、かつて自然食に興味を持ち始めた頃、割と近場にあった2店の自然食カフェがとても印象的でした。2店のうち、私は、当時、一方の店の方が美味しいと思っていました。いえ、事実おいしかったですし、今はなき、このカフェを先輩店として今でも尊敬しています。もう一方も、素敵な器に盛り付けてあって、素敵でしたが、正直、何か物足りないような気がしていました。 この2店の決定的な違いは、私が自然食の勉強をさらに進めた時に気付きました。美味しいと思った方の店は、白砂糖こそ使っていなかったものの、味付けの一部に「甜菜糖」を使っていたのです。そしてもう一方は、今の当店のように、砂糖不使用の店でした(乳・卵も不使用。)つまり、自然食に慣れていなくて、まだ添加物入りの食材を食べていた身には「甘い」方の店が「旨い」と感じたということです。 その数年後、私は「もう一方」の砂糖不使用の店で修業させていただくことになりました。関心を持ち始めた頃には想像すらできなかったことでした。今はなき、この店での修業は、辛く厳しくかったですが、砂糖を使わない料理の実践をさせていただき、とても鍛えられました。 働かせていただき、とてもありがたかったです。 砂糖不使用は、先輩方が、礎を築いてくださったから、後に続けたのだと思います。これからも、砂糖なくても美味しくなるよう工夫、開発していきたいと思います。 お読みくださってありがとうございます。

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    反響ありがとうございます、米一粒の価値観

    前回の「明治女…」に、思った以上に反響がありまして、Instagram等へメッセージくださった方々もいらして、本当にありがたく思っております。 「すごく刺激を受けた」というお声や「私も言われた!」という共感のお声もありました。やっぱり明治や大正生まれあたりのおじいちゃん、おばあちゃん世代が農業されてて、接したことのある方が教えをいただいているのかなと思いました。ありがとうございます。「米1粒でも無駄にすると目がつぶれる!」は、お米が真に「生きていく上での糧」であった時代からの教えなのだと思います。ちなみに、このような明治女に影響を受けて育った私は、子供の頃から、もし結婚するなら、結婚相手かどうか見極める際にまずは最初に見る判断基準は、お茶碗にご飯粒を残して食べ終わる人か、全て米粒を残さず食べ終わるか、を確認しようと決めておりました。これは、ご家庭でどのようなしつけを受けたかであり、価値観であるので、米粒残して食べ終わっても気にならないご家庭の人と結婚したならば、きっと姻戚関係での価値観の相違が大きく、大変なのではないかと思ったからです。結婚して結果どうだったか気になりますか? 少なくとも私サイドは、義父母と価値観の相違で大きく葛藤したことはないので、おそらく、この見当は間違っていなかったと思います。私は全くもって至らぬ嫁ですが、いつも優しく接してくれる義父母には感謝しかありません。 え、嘘っぽいですか?いえ、本当です。 ただ、夫からは、いろんな場面で 「そんなことするなんて信じられない」と言われることがよくあります。 双方向ではないかもしれませんね。。。どんな話だったっけ?は、こちらをご覧ください↓https://mamedeno1.com/?p=529

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    がんこ明治女の教えがもたらした影響

    私は、兼業農家の生まれで、7人家族で育ちました。祖父母、父母、弟2人と私です。 父母は、外で働いていたので、平日、学校から帰ってくると家にいたのは祖父母でした。 つまり、18歳で家を出るまでの、とても重要な時間を祖父母と過ごすことが多かったのです。 祖父は温厚な人でいつもニコニコしていて、恵比寿さんのような人だと言う人もいました。 一方、祖母は、1本しんが通っていて、考え方がはっきりしていて、間違っていると思ったことには決して譲歩しない硬い石の、いえ固い意志の持ち主でした。 そんな鉄の女ならぬ「意志の女」祖母は、当時、祖父と一緒に、畑で野菜を作り、米作りのため田仕事、山仕事をしていました。 学校から帰ると、近所の友達と遊ぶこともありましたが、田や畑で、また納屋で仕事している祖父母のところに行き、傍で遊んだりすることもありました。当たり前のように、日常的にその光景を見て育ちました。 18歳までの多感な時期に一緒に過ごすことが多かったので、沢山の影響を受けたと思いますし、祖母には厳しくしつけられたと思います。 受験勉強で最も机についていたい時期にも、上げ膳据え膳は許してもらえませんでした。 そんな祖母の言葉の中で、最も心に残っていて忘れられない教えは、「米1粒でも無駄にすると目がつぶれる!」でした。 面白いこともひねって感動的なことも言わない生真面目で厳しい祖母らしい言葉です。 『「米」は、「八十八」の手間をかけて作る作物なので感謝して大切に食べよう。』とよく言われますね。 理屈は一切語らない祖母なので、米という字の成り立ちを私が知ったのは、ずっと後のことです。いえ、ひょっとしたら米という字の成り立ちを知っていたかどうかもわかりません。 祖母も、親や育ててくれた人に「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と言われてきたのかもしれません。 でも、ただ言われても何も感じなかったら、身体を通り抜けて行ってしまい、残らないと思いますがら、人に伝えることはないでしょう。 祖母は明治生まれ、今のように米作りが機械化されていない頃の米作りは、想像を超える大変さだっただろうと思います。 私には想像するしかなく、本当に実感することは不可能でしょう。 ただ、実家の納屋や農機具庫に残っていた昔の農機具(民族博物館とかにありそうなヤツです)を見ると稲刈りや脱穀も大変な手間だったのだなと感じますし、祖父母の所有していた昔の写真を見ると、農繁期が一大行事で、どんなに大変だっただろうかと思います。 昔、私の地方では、田植えの時期や稲刈りの時期には、近所の農家が順番に、総出で、それぞれの田の田植え、稲狩りをみんなで手伝ってやっていたそうです。 子供の頃、祖父母のアルバムで、母屋の前で、何十人もの人たちが並んで写っていいる集合写真を見て、なんだろうと思っていましたが、農繁期の手伝いに来てくれた人たちとの記念写真だったのです。 田んぼが多い農家にはちょっと遠いところからも手伝いの人が来て、結構な人数の人が集まって田植え、稲刈りをやるのです。来てもらった農家は、手伝いにきた大勢の人たちに食事を振る舞い、決して『腹の細い』思いをさせないよう、十分に食事を用意して提供しなければなりませんでした。 いやぁ、同時の農家の女性は本当に大変だったでしょう。祖母もそれをやってきたのでしょう。もちろんお勝手も、この人数の食事を一人ではできないですから近所の女性たちが集まって相互に助け合っていたのでしょう。 今は、田植え機も、稲刈り機も機械化され、近所の応援なくして各自でできるようになりました。余談ですが、この相互に助け合う共同体は、今も残っていて、お葬式を自宅で行いますので、その際には、皆、仕事を切り上げて食事の支度や葬儀の準備にその家に行きます。この先は、それもなくなって行くのだろうと思いますが。 話を戻しますと、「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」は、祖父母の世代の人たちは、本当に、本当の実感を持って米や食物のありがたみがわかっていただろうということです。 安易にご飯を残して捨てることは、本当に罰当たりなことだったのです。 「食べ物を大切にしよう」よく言われる言葉ですがこの飽食の時代の私たちには、単なるスローガンのようなものになっているかもしれませんね。 ~祖父母が遺してくれたもの~祖父母はすでに他界してこの世界にはおりません。 「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と小さい頃に言われて、私は「はいそうします」と簡単に大切にできる人間になれたわけではありません。わかっていることと、できることは違うんです。 頭では理解していましたが、10代の頃、20代の頃、本当にはできていませんでした。 それは、甘いものを貪るように食べていた私のブラックな歴史が物語っています。(※1巻末参照) わかっていてもできなくて、一人暮らしの夕飯はチョコ!ちょっと罪悪感もありつつ暮らしていた20代後半祖母が亡くなりました。 祖母と私は心理的な結びつきが強かったようです。祖母を亡くした喪失感は言葉には言い表せないほどで、毎晩夢に見ること1ヶ月以上。 亡くなってからの、その1ヶ月以上、私は、ほどんど何も食べれない状態になってしまいました。 頭では食べなくては、何か口にしなければと思っても、あれほど、中毒で食べたくて仕方なかった甘いものも、食欲がなくて何も欲しくなくなりました。 そして、祖母は仏教徒でしたから四十九日の法要をし、その頃、ようやく少し気持ちの整理がついたのだと思います。 食欲が少し戻ってきて、最初に食べたのは、甘いものではなく、普通のご飯だったと思います。 一口、口に入れたとき、ご飯が美味しいと思い、美味しかった以上に、その時、「食べれることはなんてありがたいことか」と真に思いました。 こみ上げてきた感情と、食べる事ができたことへの感謝の思いは、今でも忘れられません。 それ以来、夕食がわりにチョコやチューインガムを食べる生活は卒業しました。 砂糖をやめるのはまだずっと後のことですが、約10年ほど、めちゃくちゃな食生活だったところから抜け出して、ご飯が美味しく、楽しく、ありがたく食べれるようになりました。 祖母の最後のプレゼント!なんて言ってしまえばかっこいいですが、まぁ、一種のショック療法になったということでしょう。 そんな明治女の影響を受けていますので、まめでのキッチンでも、食べ物を粗末にするスタッフに厳しいです。 お客様にお出しする以外の野菜くずや食材は、できる限り、賄いなどでいただくようにしています。鍋肌にたくさん料理が残った状態で洗おうとするスタッフは、もれなく私に叱られます。 「それくらいいいでしょ、ケチ臭いオーナーだな」と内心思っているかもしれません笑今まで、ここまで詳しく背景は話していなかったですしね。 ちなみに、タイトルの「がんこ」とはですね祖母の名前です。本当は『岩子』と書いて『いわこ』と読みます。本名です。女性に『岩』とつけるなんて子供心にすごい名前だなあと思っていました。名前の通り、がんこな岩のような人だと思っていました。(おばあちゃん、ごめんなさい)でも、言い方を変えれば、本当に『意志の人』でした。誰に認めてもらえなくても、誰にも分かってもらえなくても「天が見ていてくださる」と言っていたそうです。(私は子供だったので直接聞いたことはないですが母にはよくそう言っていたそうです) 実家の辺りでは、5月上旬が田植えシーズンです。土をおこした田んぼの匂いと、苗の匂いを思い出しながら、記してみました。 お読みくださってありがとうございます。 ※1 文中の”私のブラックな歴史が物語っています。”は、 以下にも記載があります。 https://mamedeno1.com/?p=375 https://mamedeno1.com/?p=537

  • 保護中: 、けどGyunewについて、ちょっと整理してみようかな。

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  • あなたの「旨い」は大丈夫?

    先日、時々来店される顔見知りのお客様が店でランチを召し上がった後、お帰りの際におっしゃった言葉があります。 「私、実は最初、ここのお料理が美味しいと思えなかったんです。 でもそれは、自分が化学調味料の味に慣れてしまっていたからだと気付きました」と。 美味しいと感じなかったにもかかわらず何度も来店してくださっていたなんて、なんとありがたいことか! ありがとございます!!! 確かに、化学調味料は、私たちの舌に絶大な影響を及ぼして旨いと感じさせます。それはとても強大です。私は、化学調味料が入ったものを食べると、3日ほど舌が痺れています。 また、以前実家で、醤油差しに入っていた醤油様の黒い液体を味見しようと数滴口にした途端、舌に突き刺すような痛みがはしり、「お母さーん!」 と思わず叫んでしまいました。 これは、父がどこかで貰ってきた市販の昆布風味のしょうゆという類の化学調味料入りの味付け醤油だったのです。 本来はそれくらい味覚に刺激を与えるものです。でも食べ続けていると、慣れて麻痺して、感じなくなります。 独身で一人暮らしをしていた頃、仕事が忙しくて、お昼をコンビニ弁当で済ませていた時期があります。 最初にコンビニ弁当を食べ始めた時は、「なんか嫌な味だな」とか「嫌な匂いだな」と思っていたのですが、数回利用するうちに嫌な感じも何もなくなって美味しいと感じるようになっていたのです。 その後、手作り弁当に戻していましたが、環境が変わって、久しぶりにまたコンビニ弁当を食べたら、やっぱり「嫌な味、匂い」がしました。 本当に、怖いことに、科学的な味で、舌が麻痺してより強い刺激じゃないと美味しいと感じなくなってしまうということです。 前述の、便利な市販の化学調味料入りの味付け醤油、たった数滴で、無数の針で舌を突かれたような激しい痛みを伴いました。 このように、化学調味料は、激しく舌を刺激し、そのうち麻痺させ、味覚を鈍化させてしまうものだということです。 あなたが今、もし化学調味料入りのものを日常的に召し上がっているなら、1週間から10日くらいそれらがない生活をして、その後に元の化学調味料入りに戻してみるとよくわかると思います。 ある方が、普段は市販の一般的な醤油を使っていたのですが、厳選した材料を使った天然醸造の醤油を目にし、さぞかし美味しいだろうと購入し、楽しみに家に帰って使ってみました。 すると 「ん・・・?思ったほど美味しいと思えない。」 「高いお金払って、残念だったな。」と思ったそうです。 そして、その醤油を使い切る頃、今までの醤油に戻しました。 そうしたら、なんということか、「すごく不味い!」と思ったそうです。 今まで、強い化学的な旨味に慣れて麻痺していたんでしょうね。 市販のお醤油は、早く大量に醸造するため、製造過程で、アミノ酸液など旨味になる成分を添加したり、甘味料・着色料や保存のためにアルコールを添加したりします。 醤油に何が添加されているかは、地域によってちょっとずつ違うように思います。 その地域の人たちの好みというか食文化に影響されるのでしょうね。 以前、島根県の出雲大社の近くの蕎麦屋さんで、お蕎麦を食べようとして、「砂糖が食べれないので、つゆではなくて醤油をください」と店員さんにお願いしたところ、一瞬、ん?という間があって、帰ってきた言葉は、 「え?お醤油には砂糖入っていますよね!」というものでした。 島根県が全てそうではありませんが、地域によって甘い醤油が好まれる地域があるのだと思いました。当店が使用している同じ島根県の奥出雲の井上醤油店さんは、大豆、小麦、塩という昔ながらのシンプルな原材料で作られています。奥出雲地域は、井上醤油店さん意外にも、森田醤油さんなど、昔ながらの製法で厳選した材料で作ったお醤油メーカーやお酒の醸造メーカーもあって、私にとっては好きな地域です。 私は乳は口にしませんが、牛乳やバターなど乳製品で質の良いものを作られている「木次乳業」さんのある木次町もこの近くです。 ここの製品は自然食品店に置いてありますのでご存知の方も多いのではないかと思います。 話を先ほどの醤油に戻しますと、私の生まれ育った地域では、残念ながら、現在、地域で流通している醤油は、アミノ酸、アルコールなどが添加された地元の醸造メーカーものです。 私が子供の頃に実家で使っていた地元の醤油メーカーさんは、残念ながら今はありませんが、井上醤油店さんと丸島醤油さんの間のようなお醤油だったような記憶があります。 (余談ですが、こうしてみると、私、けっこう醤油愛がありますね汗) さて本日は、さらに、 美味い→うまい→からの「旨い」について、ちょっと思ったことを記してみたいと思います。 まず先に、旨いの「旨味」というのは、西洋学的にいうと、グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸などだそうですが、グルタミン酸は、海藻や肉や魚、野菜、発酵食品など多くの食べ物に含まれています。イノシン酸は、主に肉や魚。グアニル酸は、干ししいたけなど、主にきのこ類に多く含まれているそうです。 しかし、どうもそれだけでは語れない、人間の旨いの認知、知覚があるように思います。 それは、先の出雲大社近くのお蕎麦屋さんの醤油に入っていたように砂糖の「甘み」=「旨み」という事実です。和食に砂糖など甘みが多様されているのは、それが「旨味として美味しい」と私たちが感じるからなのではないでしょうか。 肉や魚など動物性食品を食べない人たちは、玉ねぎや、ネギ、ニンニクなどで旨味を出して料理するのですが、中には、アジア圏を中心としたオリエンタルヴィーガンと言って、五葷(ごくん)抜きの方がいらしゃいます。五葷とは、ニンニク、ワケギ、ニラ、ネギ類(玉ねぎも)、ラッキョウなどで、どれも強い匂いを持っています。これらを食べないとする人たちは、五葷に含まれる旨味の代わりに、砂糖などの甘みを旨味成分として使って召し上がっているように思います。 五葷を食べないのは、仏教思想に基づく菜食の考え方の一種なのだそうで、精進料理にもこの五葷は使われていません。 ただし、動物性食品を使っていないからと精進料理ばかり食べていると結構な量の砂糖と添加物を撮ってしまうことになるかもしれません。肉魚、五葷は使っていないけど、砂糖は煮物や煮豆にたっぷり入っています。肉や魚に見立てた既製品の擬き食品の中には添加物や着色料がたくさん入ったものもあるので、店を選ぶ時は慎重に選ぶに越したことはないでしょう。 ここで誤解しないで頂きたいのは、五葷抜き自体を否定しているわけではないということです。 ヴィーガンなど植物性の物だけを食べている場合、自然の摂理として、これら匂いの強い五葷の野菜は必要なくなるということです。 なぜなら、これら匂いの強い五葷は、肉などの毒消しになるものだからです。 当店に、かつて、20年以上ヴィーガンというスタッフがいました。20年以上菜食なので、消化すべき肉の毒素がないので、何もしなくても体が自然に五葷を欲しないということなんです。だから逆に食べると体内のバランスが崩れてしまうということです。 私は、今は時々動物性を入れますが、それでも数日に1回なので、一般の方より少ないと思います。先日、韓国ドラマで、ワケギのキムチを食べているのをみて、作ってみたくて作ったのですが、生のわけぎに、塩をしてキムチ漬けにしたのですが、出来上がったキムチをそのまま食べると、やはり強すぎたようで、数日しんどい感じがしていました。その残りは、やはりたくさんは食べれず、炒め物や、汁など火を入れて、少しずつ使い切りました。わけぎキムチは、焼肉などたくさんお肉を食べる人向きのサイドメニューということでしょう。 20年ヴィーガンのスタッフがいた一方、別な時期には、ヴィーガン1、2年めのスタッフがいたこともあります。この2人の違いは、とても興味深かったです。同じように五葷を食べないように見えますが、一方は、自然に体が欲してないから食べないもう一方は、食べてはならないものだから食べないようにしている、なのです。20年ヴィーガンさんがよく口にしていたのは、「20年やってると、どうでも良くなる」でした。最初はどういう意味か、よくわかりませんでしたが、新米ヴィーガンさんと接してよくわかりました。20年ヴィーガンさんは、自然体で、体の声を聞いていただけなんだなあと感じました。新米さんは頭の理解(理論・理屈 )で、ああしなくては、こうしなくては、と行動していたように思いました。私の目には、新米さんは、体内に動物性毒が残っているのに、五葷はダメ!って、食べないようにしていたので、毒素がうまく抜けず、排毒して欲しくないところから排毒して、しんどそうに見えました。(私の目にはそう見えた、というだけですが) 話を旨味の代替え甘みに戻します。五葷抜きのオリエンタルヴィーガンさんでも、旨味を甘みに頼らず、ヴィーガンライフを送っていらっしゃる方もきっといらっしゃるのではないかと思います。 オリエンタルヴィーガンの店や既成食品を見る限りでは五葷の代わりに砂糖を多用しているなあと感じるだけです。 ですから、砂糖を控えたいならば、オリエンタルヴィーガンの店やヴィーガン食品を利用するときに、甘味の使用がご自身の許容範囲かどうか確認してからご利用をお決めになるとよいのではないでしょうか。 マクロビオティックカフェでも旨いの違いがありました。私が、かつて自然食に興味を持ち始めた頃、割と近場にあった2店の自然食カフェがとても印象的でした。2店のうち、私は、当時、一方の店の方が美味しいと思っていました。いえ、事実おいしかったですし、今はなき、このカフェを先輩店として今でも尊敬しています。もう一方も、素敵な器に盛り付けてあって、素敵でしたが、正直、何か物足りないような気がしていました。 この2店の決定的な違いは、私が自然食の勉強をさらに進めた時に気付きました。美味しいと思った方の店は、白砂糖こそ使っていなかったものの、味付けの一部に「甜菜糖」を使っていたのです。そしてもう一方は、今の当店のように、砂糖不使用の店でした(乳・卵も不使用。)つまり、自然食に慣れていなくて、まだ添加物入りの食材を食べていた身には「甘い」方の店が「旨い」と感じたということです。 その数年後、私は「もう一方」の砂糖不使用の店で修業させていただくことになりました。関心を持ち始めた頃には想像すらできなかったことでした。今はなき、この店での修業は、辛く厳しくかったですが、砂糖を使わない料理の実践をさせていただき、とても鍛えられました。 働かせていただき、とてもありがたかったです。 砂糖不使用は、先輩方が、礎を築いてくださったから、後に続けたのだと思います。これからも、砂糖なくても美味しくなるよう工夫、開発していきたいと思います。 お読みくださってありがとうございます。

  • 反響ありがとうございます、米一粒の価値観

    前回の「明治女…」に、思った以上に反響がありまして、Instagram等へメッセージくださった方々もいらして、本当にありがたく思っております。 「すごく刺激を受けた」というお声や「私も言われた!」という共感のお声もありました。やっぱり明治や大正生まれあたりのおじいちゃん、おばあちゃん世代が農業されてて、接したことのある方が教えをいただいているのかなと思いました。ありがとうございます。「米1粒でも無駄にすると目がつぶれる!」は、お米が真に「生きていく上での糧」であった時代からの教えなのだと思います。ちなみに、このような明治女に影響を受けて育った私は、子供の頃から、もし結婚するなら、結婚相手かどうか見極める際にまずは最初に見る判断基準は、お茶碗にご飯粒を残して食べ終わる人か、全て米粒を残さず食べ終わるか、を確認しようと決めておりました。これは、ご家庭でどのようなしつけを受けたかであり、価値観であるので、米粒残して食べ終わっても気にならないご家庭の人と結婚したならば、きっと姻戚関係での価値観の相違が大きく、大変なのではないかと思ったからです。結婚して結果どうだったか気になりますか? 少なくとも私サイドは、義父母と価値観の相違で大きく葛藤したことはないので、おそらく、この見当は間違っていなかったと思います。私は全くもって至らぬ嫁ですが、いつも優しく接してくれる義父母には感謝しかありません。 え、嘘っぽいですか?いえ、本当です。 ただ、夫からは、いろんな場面で 「そんなことするなんて信じられない」と言われることがよくあります。 双方向ではないかもしれませんね。。。どんな話だったっけ?は、こちらをご覧ください↓https://mamedeno1.com/?p=529

  • がんこ明治女の教えがもたらした影響

    私は、兼業農家の生まれで、7人家族で育ちました。祖父母、父母、弟2人と私です。 父母は、外で働いていたので、平日、学校から帰ってくると家にいたのは祖父母でした。 つまり、18歳で家を出るまでの、とても重要な時間を祖父母と過ごすことが多かったのです。 祖父は温厚な人でいつもニコニコしていて、恵比寿さんのような人だと言う人もいました。 一方、祖母は、1本しんが通っていて、考え方がはっきりしていて、間違っていると思ったことには決して譲歩しない硬い石の、いえ固い意志の持ち主でした。 そんな鉄の女ならぬ「意志の女」祖母は、当時、祖父と一緒に、畑で野菜を作り、米作りのため田仕事、山仕事をしていました。 学校から帰ると、近所の友達と遊ぶこともありましたが、田や畑で、また納屋で仕事している祖父母のところに行き、傍で遊んだりすることもありました。当たり前のように、日常的にその光景を見て育ちました。 18歳までの多感な時期に一緒に過ごすことが多かったので、沢山の影響を受けたと思いますし、祖母には厳しくしつけられたと思います。 受験勉強で最も机についていたい時期にも、上げ膳据え膳は許してもらえませんでした。 そんな祖母の言葉の中で、最も心に残っていて忘れられない教えは、「米1粒でも無駄にすると目がつぶれる!」でした。 面白いこともひねって感動的なことも言わない生真面目で厳しい祖母らしい言葉です。 『「米」は、「八十八」の手間をかけて作る作物なので感謝して大切に食べよう。』とよく言われますね。 理屈は一切語らない祖母なので、米という字の成り立ちを私が知ったのは、ずっと後のことです。いえ、ひょっとしたら米という字の成り立ちを知っていたかどうかもわかりません。 祖母も、親や育ててくれた人に「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と言われてきたのかもしれません。 でも、ただ言われても何も感じなかったら、身体を通り抜けて行ってしまい、残らないと思いますがら、人に伝えることはないでしょう。 祖母は明治生まれ、今のように米作りが機械化されていない頃の米作りは、想像を超える大変さだっただろうと思います。 私には想像するしかなく、本当に実感することは不可能でしょう。 ただ、実家の納屋や農機具庫に残っていた昔の農機具(民族博物館とかにありそうなヤツです)を見ると稲刈りや脱穀も大変な手間だったのだなと感じますし、祖父母の所有していた昔の写真を見ると、農繁期が一大行事で、どんなに大変だっただろうかと思います。 昔、私の地方では、田植えの時期や稲刈りの時期には、近所の農家が順番に、総出で、それぞれの田の田植え、稲狩りをみんなで手伝ってやっていたそうです。 子供の頃、祖父母のアルバムで、母屋の前で、何十人もの人たちが並んで写っていいる集合写真を見て、なんだろうと思っていましたが、農繁期の手伝いに来てくれた人たちとの記念写真だったのです。 田んぼが多い農家にはちょっと遠いところからも手伝いの人が来て、結構な人数の人が集まって田植え、稲刈りをやるのです。来てもらった農家は、手伝いにきた大勢の人たちに食事を振る舞い、決して『腹の細い』思いをさせないよう、十分に食事を用意して提供しなければなりませんでした。 いやぁ、同時の農家の女性は本当に大変だったでしょう。祖母もそれをやってきたのでしょう。もちろんお勝手も、この人数の食事を一人ではできないですから近所の女性たちが集まって相互に助け合っていたのでしょう。 今は、田植え機も、稲刈り機も機械化され、近所の応援なくして各自でできるようになりました。余談ですが、この相互に助け合う共同体は、今も残っていて、お葬式を自宅で行いますので、その際には、皆、仕事を切り上げて食事の支度や葬儀の準備にその家に行きます。この先は、それもなくなって行くのだろうと思いますが。 話を戻しますと、「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」は、祖父母の世代の人たちは、本当に、本当の実感を持って米や食物のありがたみがわかっていただろうということです。 安易にご飯を残して捨てることは、本当に罰当たりなことだったのです。 「食べ物を大切にしよう」よく言われる言葉ですがこの飽食の時代の私たちには、単なるスローガンのようなものになっているかもしれませんね。 ~祖父母が遺してくれたもの~祖父母はすでに他界してこの世界にはおりません。 「米1粒を無駄にすると目がつぶれる!」と小さい頃に言われて、私は「はいそうします」と簡単に大切にできる人間になれたわけではありません。わかっていることと、できることは違うんです。 頭では理解していましたが、10代の頃、20代の頃、本当にはできていませんでした。 それは、甘いものを貪るように食べていた私のブラックな歴史が物語っています。(※1巻末参照) わかっていてもできなくて、一人暮らしの夕飯はチョコ!ちょっと罪悪感もありつつ暮らしていた20代後半祖母が亡くなりました。 祖母と私は心理的な結びつきが強かったようです。祖母を亡くした喪失感は言葉には言い表せないほどで、毎晩夢に見ること1ヶ月以上。 亡くなってからの、その1ヶ月以上、私は、ほどんど何も食べれない状態になってしまいました。 頭では食べなくては、何か口にしなければと思っても、あれほど、中毒で食べたくて仕方なかった甘いものも、食欲がなくて何も欲しくなくなりました。 そして、祖母は仏教徒でしたから四十九日の法要をし、その頃、ようやく少し気持ちの整理がついたのだと思います。 食欲が少し戻ってきて、最初に食べたのは、甘いものではなく、普通のご飯だったと思います。 一口、口に入れたとき、ご飯が美味しいと思い、美味しかった以上に、その時、「食べれることはなんてありがたいことか」と真に思いました。 こみ上げてきた感情と、食べる事ができたことへの感謝の思いは、今でも忘れられません。 それ以来、夕食がわりにチョコやチューインガムを食べる生活は卒業しました。 砂糖をやめるのはまだずっと後のことですが、約10年ほど、めちゃくちゃな食生活だったところから抜け出して、ご飯が美味しく、楽しく、ありがたく食べれるようになりました。 祖母の最後のプレゼント!なんて言ってしまえばかっこいいですが、まぁ、一種のショック療法になったということでしょう。 そんな明治女の影響を受けていますので、まめでのキッチンでも、食べ物を粗末にするスタッフに厳しいです。 お客様にお出しする以外の野菜くずや食材は、できる限り、賄いなどでいただくようにしています。鍋肌にたくさん料理が残った状態で洗おうとするスタッフは、もれなく私に叱られます。 「それくらいいいでしょ、ケチ臭いオーナーだな」と内心思っているかもしれません笑今まで、ここまで詳しく背景は話していなかったですしね。 ちなみに、タイトルの「がんこ」とはですね祖母の名前です。本当は『岩子』と書いて『いわこ』と読みます。本名です。女性に『岩』とつけるなんて子供心にすごい名前だなあと思っていました。名前の通り、がんこな岩のような人だと思っていました。(おばあちゃん、ごめんなさい)でも、言い方を変えれば、本当に『意志の人』でした。誰に認めてもらえなくても、誰にも分かってもらえなくても「天が見ていてくださる」と言っていたそうです。(私は子供だったので直接聞いたことはないですが母にはよくそう言っていたそうです) 実家の辺りでは、5月上旬が田植えシーズンです。土をおこした田んぼの匂いと、苗の匂いを思い出しながら、記してみました。 お読みくださってありがとうございます。 ※1 文中の”私のブラックな歴史が物語っています。”は、 以下にも記載があります。 https://mamedeno1.com/?p=375 https://mamedeno1.com/?p=537